死をことほぐ社会へ向けて 第14回
2025/08/08

下り支援の現実……呪いの言葉と「下り坂の支援」
誰にもいずれ「死」は訪れる。多死社会を迎えた現在の日本において、いずれくる「死」をどのように考え、どのように受け止め、そして迎えるか。医療、介護・ケアの問題とあわせて、みなさんも一緒に考えてみませんか。
名郷 直樹(なごう なおき)
武蔵国分寺公園クリニック名誉院長
1961年、名古屋市生まれ。自治医科大学卒業。へき地医療に従事した後、2011年に西国分寺で「武蔵国分寺公園クリニック」を開業。2021年に院長を退き、現在は特別養護老人ホームの配置医として週休5日の生活。
著書に『いずれくる死にそなえない』(生活の医療社)、『これからの「お看取り」を考える本』(丸善出版)など。
人生の困難さに対処する方法を、YouTube(名郷直樹の診察室では言いにくいこと)で発信中。
2025年7月に『名郷先生、臨床に役立つ論文の読み方を教えてください!』(共著、日本医事新報社)が発売!
YouTube
X
今回もまた「下り坂の支援」について考えてみる。その前に、これまでを簡単にまとめておこう。人生の全体を考えれば、登山のように上りと下りがある。下りを避けることはできないが、避けることができない「下り」を後ろめたく思う必要はない。乳幼児が支援なしに生きていけないように、高齢者も長生きになればなるほど支援なしに生きることは困難になる。高齢者に対する支援は、ときどきの回復を目指す上り坂の支援を行いながら、全体的には下り坂の支援が中心になるほかない。
支援における呪いの言葉
今回は、「上り坂の支援」と「下り坂の支援」で使われるある言葉を示しながら、具体的な「下り坂の支援」とその問題点について取り上げたい。まずは「上り坂の支援」だが、これは元気に過ごしていた高齢者が病気などをきっかけに支援が必要となった時に、回復を目指す支援である。つまり、再び元気になることを目指す支援である。回復のためには多くの部分を医療に依存する。ただし、医療に多くを依存しながら、診断・治療と並行して、食事に代わる点滴や、着替え、排泄、移動などに全面的な介助の必要性は増している。さらに治療が成功した先、また以前のように自分で食事をとり、着替え、動けるようになるためには、リハビリテーションや介護・ケアの支援こそが回復のカギとなる。この「上り坂の支援」においてしばしば投げかけられる言葉が、「がんばらないと歩けなくなりますよ」「がんばらないと寝たきりになってしまいますよ」というようなものだ。もちろんこれは支援としての励ましでもあるし、現実に日ごろから耳にする言葉である。しかしこの言葉が、全体的には下り坂という状況でもしばしば使われる。
回復後に自宅や施設へ戻った後、たとえ急激な悪化がなくても高齢者の場合は、なだらかに介護が必要な状況は増えていく。つまり下り坂の状況であるが、そこでも急に悪化して回復を目指すときと同じように、「歩けなくなりますよ」「寝たきりになってしまいますよ」という言葉が投げかけられたりする見出し1見出し1見出し1。なだらかに下っていきながらも安定した日々を送る中では、回復を目指す励ましは、呪いの言葉に転じてしまう。それはどういうことか。
急な悪化を乗り越えたとしても、全体的な下りが上りに転じるわけではない。最終的には寝たきりになり、全面的な介助が必要となる。急な悪化を乗り越えることがその後の下りの介護を必要とする期間を長引かせる。急な悪化のたびに回復を目指すということは、「ピンピンコロリ」を避けるということでもあり、その結果は徐々に下っていき、多くは寝たきりになり、さらにその先には死ぬということである。「歩けなくなりますよ」「寝たきりになりますよ」という言葉は、急性期の悪化を乗り越えるたびに、以前のように回復する可能性は低くなり、最終的にはその言葉通り、歩けなくなり、寝たきりになる。いくら頑張っても決して避けることができない未来に対して、「がんばらないと」というのは呪い以外の何物でもない。
下るからこそ必要な「下り坂の支援」とは何か
それでは「下り坂の支援」において、どんな言葉をかけることができるだろうか。「歩けなくなってもお手伝いしますよ」「寝たきりになっても助けますよ」「死ぬまでお付き合いしますよ」というのはどうだろうか。歩けなくなれば、寝たきりになれば、死が間近になれば、支援の必要性が高まるのは当然だ。「あなたががんばるだけでなく、周りの私たちが、今までに増して支援します」、これを「下り坂の支援」と呼びたい。できることが少なくなるほど支援が必要になる。「がんばらないと歩けなくなりますよ」という言葉には、支援の意図とは裏腹に、その先の支援を避けたいという呪いが含まれる。「下りを避ける社会」、その先の「死を避ける社会」である。それに対して、繰り返しになるが、最後にもう一度述べておきたい。下るからこそ、支援が必要になるのだ。