死をことほぐ社会へ向けて 第13回

2025/07/24

「上り坂の支援」「下り坂の支援」……乳幼児の介護と高齢者の介護

誰にもいずれ「死」は訪れる。多死社会を迎えた現在の日本において、いずれくる「死」をどのように考え、どのように受け止め、そして迎えるか。医療、介護・ケアの問題とあわせて、みなさんも一緒に考えてみませんか。


名郷 直樹(なごう なおき)
武蔵国分寺公園クリニック名誉院長

1961年、名古屋市生まれ。自治医科大学卒業。へき地医療に従事した後、2011年に西国分寺で「武蔵国分寺公園クリニック」を開業。2021年に院長を退き、現在は特別養護老人ホームの配置医として週休5日の生活。
著書に『いずれくる死にそなえない』(生活の医療社)、『これからの「お看取り」を考える本』(丸善出版)など。
人生の困難さに対処する方法を、YouTube(名郷直樹の診察室では言いにくいこと)で発信中。

2025年7月に『名郷先生、臨床に役立つ論文の読み方を教えてください!』(共著、日本医事新報社)が発売!

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 引き続き、「上り坂の支援」「下り坂の支援」について考えたい。前回は登山の上り/下りをもとに考えてみたが、今回は乳幼児の介護と高齢者の介護を、上り/下りの視点で取り上げてみる。


「乳幼児の介護」と「高齢者の介護」の比較

 乳幼児に対するものをそもそも「介護」とは呼ばないかもしれない。しかし、やっていることは高齢者に対することと同じである。食事の介助をし、着替えをし、おむつを交換し、お風呂に入れ、ベビーカーに乗せと、高齢者の介護と全く違いはない。ベビーカーが車いすに代わるくらいだ。その違いがどこにあるかと言えば、乳幼児は自分でできることが徐々に多くなって、いずれ介護が不要になるのに対し、高齢者ではその反対に、できることが少なくなって、徐々により多くの介護が必要になる点である。いうなれば、乳幼児に対する介護は「上り坂の支援」で、高齢者に対する介護は「下り坂の支援」ということである。

 

 自分では食事も、着替えも、歩くこともできない状態で生まれ、それができるようになったあと、また徐々にできなくなっていく。人の一生のこの大きな流れは、医療が進歩した現在の世の中でも変わらない。人類が誕生して以来、変わることのない人の一生である。
 ここでも上りと下りは釣り合っている。介護という点に絞れば、こどもとして介護を受け、おとなになってからは親としてこどもに介護を提供する。さらには親に介護を提供し、最期には自分自身が介護を受ける。介護を受けたり、提供したりの繰り返しである。こうして、生まれてから死ぬまでの全体を見渡せば、お互いさまといえるのではないか。そこに提供する側、される側という区別はない。ある時期は介護を受け、ある時期は介護を提供する、状況によって役割が変わるだけである。重要なことは、上りも下りも介護が必要ということだ。こどもが支援なしには生活できないように、高齢者も支援なしには生活できない。ただ違いは、こどもは成長という先があるのに対し、高齢者にはその先が死であるという点だ。しかし、その違いは避けがたいものであって、どうにかなるものではない。
 とはいえ、こどもに対する介護に疑問を持つことは少ないが、高齢者の介護に対してはそうではない。「自分でトイレに行けなくなったら死んだほうがましだ」という意見をしばしば耳にする。高齢者の介護には常に後ろめたさや罪悪感が伴う。この違いは何だろうか。


下り坂の支援への後ろめたさからの解放

 ここにも上りに価値を置きすぎる世の中がある。下ることより上ることに価値があるのではない。ただ人生のそういう時期にあるというに過ぎないのではないか。上りには上りの価値があり、下りには下りの価値がある。あるいはどちらにも大した価値はないといったほうがいいかもしれない。人生は上って下るという、ただそういうものに過ぎないのだと。
 こどもの時におむつをしていることと高齢になってからおむつをすることに何の違いもない。こどもの時のおむつを恥ずかしがる必要がないように、高齢になっておむつをすることを恥じる必要はない。歩けずに生まれてくることをダメだと思わないように、高齢になって歩けなくなることをダメだと思う必要はない。人の一生とはそういうものだ。

 

 「下り坂の支援」とは、上りに向かって回復を目指す支援ではない。下ること自体に対する支援である。上手に下っていけるように支援することだ。常に改善、回復を目指す支援は、人の一生の全体像が見えていない。見えていないというより見ようとしていない、「死を避ける」社会である。それに対して、下ることの必然から目をそらさず、下るからこそ必要とする支援を重視する社会が「死を避けない社会」である。上りに支援が必要であるように、下りにも支援が必要である。下りの支援を後ろめたく思う必要など何もないのと思うのだが、どうだろうか。