【vol.7】心の支えが必要なミューズ | 私はミューズとゼウスのケアラーです

2025/06/18

韓国の介護現場で働く作家が送るケア文学

 激しいスピードで高齢化が進む隣国で、 ケアの最前線に立つ作家による、初の日本語エッセイ連載スタート!! 昼は介護の仕事をして夜は文章を書く、作家イ・ウンジュの連載が始まります。日本の介護福祉士にあたる、「療養保護士」という韓国の介護の国家資格を持つイ・ウンジュさんは、自身もケアの現場に立ちながら、ケアに関する文章を韓国語で発表する数少ない作家です。
  • そんなイ・ウンジュさんは韓国で、ケアについてのエッセイ三部作(『私は神々の療養保護士です』こんなにいてれたでしょう』『東京因縁)を出版して話題を集め、2023年には母親の在宅療養保護の経験を盛り込んだ『ケアの温度』を刊行しました。ケア部作の『私は神々の療養保護士です』では、療養保護士として歩んだ療養院での日々から訪問介護に至るまでの道のりについて、『ケアの温度』では、誰かをケアする時の適切な距離感・温度感とレジリエンスについて、やさしい筆致で綴っています。この連載では、イさんの目に映った韓国の介護現場から、「ミューズとゼウス」のためのケアについて考えます。 


本人が希望して老人ホームに入所した。

「家族と離れて暮らすことに適応しようと努力する。精神的なサポートが必要」

 

 夜勤に入って、すぐにミューズの健康記録を調べてみた。「精神的なサポートが必要」だと書いてあるのを読んで、胸が痛くなった。あの数々の不平不満は、彼女が孤独だったからだったのだ。昨日は忙しく働いている私を、珍しく追いかけてきた。それなのに私は彼女と向き合ってお茶を飲む余裕もなく、スケジュール通りにしか行動しなかった。ついにシステマチック介護に飼い慣らされたのか、私は……。

 

 そんなことを考えながら、みんなが寝静まった夜、リビングの廊下をモップで拭いていた。背後から気配がして振り返ると、今年100歳を迎えた「文庫本のミューズ」が紫色の下着を着たまま、ドアの近くに立っていた。
 

「まだ夜ですよ」。モップを置いて肩を軽く抱きしめる。「文庫本のミューズ」が微笑みながら言う。


 

 仕事が大変そうだね。
 

 苦労しているんだな。
 

 仕事しすぎないで。
 

 あそこには、何がそんなにあるの?

 

リビングに置いてある物干し台のことだ。

「ちょっと見てみようかな」と部屋を出る。

 
先ほど、「精神的なサポート」という言葉を読んだばかりなので、彼女にも心の支えが必要だろう。一緒に長い廊下を歩く。ミューズは、睡眠薬を飲まれていたので歩くのは少し危険だ。彼女が私の腕に寄りかかりながら言う。私の腕をポンポンと叩きながら言う。

 

 気に入った人がいる。


 私の妹になってほしい。


 


 私を妹にしたいですか。心の中で、50歳年上の人がお姉さんというのは、悪くはないなと思っている。
 

やがて物干し台に到着した文庫本のミューズは、まるで服屋で買い物するように服を一つずつ見ている。花柄がプリントされた服をしばらく眺めて、ようやく「まあ、たいしたことはないわね」と言って自分の部屋に向う。
 

部屋に着いたミューズは、引き出しから眼鏡を取り出して渡す。


 

 これ一つ使って。
 

 私はメガネが多い。
 

 これは私が使って……あなたに一つ、私に一つ。
 

 私は彼女から眼鏡を受け取る。しばらく取っておいて、明日返す。


 

定年まで日本貿易会社に勤めていたという文庫本のミューズは、以前自分の赤川次郎の文庫本を貸してくれた。
 

夜間の明かりをつけたまま、彼女が鏡を見始める。雑巾がけを終えようと、彼女を置いてそそくさと出ようとしたら、


 

「眠れない」


 

鏡の中の自分を見つめながら、文庫本のミューズは独り言を言う。



著者紹介
 イ・ウンジュ 이은주



 1969 年生、作家、翻訳家。日本に留学し、1998 年に日本大学芸術学部文芸学科を卒業。20 代から翻訳家になることを夢見て、家庭教師として働きながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』(清水正)で夢をかなえる。その後も仁川国際空港の免税店で働きながら、休憩時 間は搭乗口 31 番ゲートで訳し、仁川への通勤電車でも訳し続け、『船に乗れ!』(藤谷治)、 『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(山極寿一)をはじめ、十数冊もの日本書籍を韓国に広める。おばあちゃんっ子だったイさんは祖母の逝去をきっかけに、高齢者施設でボランティア活動を始め、その後療養保護士の資格を取得。昨年からは認知症になった実母の介護を行う。「ケア」と「分かち合い」について、文学の一形態として追及してみたいという気持ちから、高齢者のケア現場についてのエッセイを三部作で発表し、韓国で共感を呼ぶ。現在、認知症で苦しんでいる母親の世話をしながら、翻訳、執筆活動と共にメディア出演、講演活動を続けている。