死をことほぐ社会へ向けて 第10回
2025/06/13

高齢化に伴って起きていること ……老化を避ける社会
誰にもいずれ「死」は訪れる。多死社会を迎えた現在の日本において、いずれくる「死」をどのように考え、どのように受け止め、そして迎えるか。医療、介護・ケアの問題とあわせて、みなさんも一緒に考えてみませんか。
名郷 直樹(なごう なおき)
武蔵国分寺公園クリニック名誉院長
1961年、名古屋市生まれ。自治医科大学卒業。へき地医療に従事した後、2011年に西国分寺で「武蔵国分寺公園クリニック」を開業。2021年に院長を退き、現在は特別養護老人ホームの配置医として週休5日の生活。
著書に『いずれくる死にそなえない』(生活の医療社)、『これからの「お看取り」を考える本』(丸善出版)など。
人生の困難さに対処する方法を、YouTube(名郷直樹の診察室では言いにくいこと)で発信中。
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データが示す現実
いつまでも元気で健康に長生きしたいという希望に対し、現実はどうか。不老不死を実現するには至らず、死亡率100%は変わらない。いつまでもというわけにはいかない。さらに元気はどうか。介護が必要になる人の割合を実際のデータで見てみよう。2023年度のデータでの年齢ごとの要介護者の割合は、85歳から89歳では女性42%、男性28%、90歳から94歳ではそれぞれ65%、46%、95歳以上では87%、69%である。高齢になるほど要介護者の割合は増加し、女性でその割合が高い。それは、女性の方が長生きだということが関連している。
また、平均寿命と健康寿命の差についてのデータも見てみる。2019年のデータでは、平均寿命と健康寿命の差、つまり介護を必要とするような期間を含む不健康な期間が、女性で12年、男性で9年と報告されている。この期間は20年前からほとんど変化していない。これをいかに縮めるかが重要という議論がよく聞かれるが、データから見る限りかなり困難である。さらに今から100年前、200年前と比べれば、不健康な期間は大幅に増大している。医療の進歩は、健康寿命を延ばすと同時に、不健康の期間も増大させるというのが歴史から見れば明らかだ。
さらに要介護になる原因を見てみる。そのうち60%はがんや心臓病、脳卒中、骨折、認知症などであるが、40%は老衰であったり、はっきりした病気がなかったりする。これは、多くの病気が克服されたところで高齢化に伴う介護の必要性がなくなるわけではないことを示している。医療がいくら進歩しても、老化そのものを止めることができなければ、要介護になることを防ぐことはできない。現状では老化を止めることは不可能で、それは当然の結果でもある。
もっとも現状では、要介護の原因として明確になっている病気ですらコントロールできていない。認知症を例にとれば、今のところ進行を遅らせる治療があるだけだ。進行を止めたり、改善したりする治療はない。進行を遅らせるとは、不健康な期間を長引かせるという一面があり、つまり今の認知症治療は、健康でない期間を引き延ばしているということになる。
老化を避ける社会
現在は「死を避ける社会」というだけでなく、「老化を避ける社会」でもある。近年の変化は、「老化を避ける社会」が「死を避ける社会」をさらに強化したといってもいいだろう。もちろん一時的な回復はある。特に急激に悪化した場合は、治療により劇的に改善することもある。リハビリによる回復もある。しかし、高齢化のプロセス全体で見れば、それは一時的なものに過ぎない。悪化、改善を繰り返しながら、全体として老化は進行していくほかない。そしてその生き着く先には死が待っている。
コントロールできないのは死だけではない。老化をコントロールすることも困難である。100歳を超えて健康で元気というのは、例外的な状況に過ぎない。またその健康や元気も、いずれは衰えるほかない。健康第一は、コントロールしようとする限り限界にぶち当たる。ただそういうと、ここでも繰り返し書いてきたことだし、あまりに当然のことでつまらない。そこで、むしろ死ぬことが健康であり、老化することが健康であると考えた方がいいかもしれない。死なないのは異常であり、老化が進まないのは不健康なのではないか。
いずれにしても、健康であろうがなかろうが、日々の生活は死ぬまで続く。健康より生活を重視することが幸せにつながるのは、医療でできることには限界があっても、生活上の工夫はどこまでもできるからである。ただその工夫が改善、回復を目指すと「老化を避ける」医療と同じことになる。「老化を避けない社会」では、改善、回復を目指さない生活の支援こそが重要なのだ。