高齢者所在不明問題を考える(1)~原因はお役所仕事にあり!
■性善説を裏切る犯罪
「開いた口がふさがらない」とは、このことをいうのでしょうか。100歳以上の高齢者の所在が不明のままだったため、年金や敬老金がずっと支給されていたというのです。
きっかけは、東京都足立区で、戸籍上、111歳のKさんが白骨で見つかったもので、すでに死亡していたにもかかわらず、遺族共済年金が長女(81歳)と孫娘(53歳)に受給されていたのでした。
これがメディアに取り上げられ、他の自治体でも調査した結果、ほかにもいるわ、いるわで、ハチの巣をつついたような大騒ぎ(珍事?)となりました。それもそのはずで、幕末に生まれた“超高齢者”もいたというのですから、恐れ入ったものでした。
事態を重視した厚生労働省は、その対象を75歳以上の高齢者に引き下げ、ほかに同様のケースがないかどうか、後期高齢者医療制度などと関連させて追跡調査を指示することになりました。また、捜査当局は関係者の一部を詐欺容疑で逮捕するなど、刑事事件にまで発展しましたが、問題はもっと根が深いように思われます。
その第1報を聞いて、筆者は「お役所仕事はもとより、近年の家族形態の変化や地域共同体の崩壊、また、年金詐欺の確信犯も」と直感しました。少子高齢化などのため、財政破綻が懸念されているなか、年金の支払いを代行している日本年金機構(旧社会保険庁)も、ただでさえ国民の年金に対する不信感が高まっている折なだけに、「何をかいわんや」の心境でしょう。
年金の支払いの前提となる住民の生死は、市町村の住民基本台帳などにもとづいて確認され、本人に万一のときは遺族など関係者からの死亡届を受け、本人への老齢年金の支給停止と遺族への遺族年金の支給開始となっています。その遺族が、老親の死亡という事実を隠し、遺族年金よりも金額が多い老齢年金をネコババしていたというのですから、人々は閉口してしまったのです。それというのも、年金の支給の大前提とされている“性善説”が完全に覆されてしまったからです。
年金などの社会保険は国と国民との信頼関係のもとで成り立つ制度であるため、そのようないわば社会契約を犯すような受給は詐欺容疑で立件されることは当然のことで、それがたとえ生活苦であろうと言い訳にはなりません。生活苦なら生活保護を申請すればいいことです。
ただし、生活保護の申請については、長年、自民党、あるいは自公政権時代まで、「適正化政策」の名のもと、申請の前に“相談”というハードルを設け、さまざまな理由をつけて追い返しているのが実態で、国民の生存権を保障した憲法違反の疑いがあるとして、弁護士が同席するケースにまで発展しています。戦後の高度経済成長で国民生活が向上したことや一部に不正申請がみられること、それよりも何よりも、少子高齢化に伴う国家財政の危機を受け、毎年、増大している社会保障費の支出を少しでも減らしたいという国策が底流にあるからです。
■「主権在民」の原点を踏まえた法制度と行政機構の是正
今回の問題はこれとは関係ありませんが、いずれにせよ、お役所仕事は改めて指摘されるべきでしょう。「家族が本人に合わせてくれないため、所在が確認できない」、「家族が生存しているといっているから」などは理由にはなりません。なぜ、家族や近所の住民、また、民生委員などに聞いて確認しないのか、民間企業では考えられないお粗末さ、無責任さです。
実は、このようなお役所仕事は何も今に始まったわけではなく、これと似たような問題は、自公政権時代の「消えた年金」、「宙に浮いた年金」はもとより、各地の高齢者施設で、入居者が死亡しているにもかかわらず、戸籍のある遠方の市町村は無届けの施設を承知で送り込んでいたなど、同じ役所内でありながら、年金や高齢福祉、生活保護の部署の連携がまったくなかったなど枚挙にいとまがありません。
そこで、一向に改まらないお役所仕事をどう改善すべきか、ということですが、明治維新以来、今日まで、「官尊民卑」や「上意下達」、「親方日の丸」、「大本営発表」などと揶揄されるお役所の体質を一掃し、かつ「主権在民」の原点に立ち返り、すべての法の見直しとそれにもとづく行政機構の改編、および専門職も配置した人事、そして、“出前サービス”に徹することです。
長年の体質のお役所仕事(福岡県にて)
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