精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会をつくるために 第33回:ピアサポーターとの対談で見えたこと【前編】

2026/07/14

 みなさん、こんにちは。2001年生まれの大学生で、精神疾患の親をもつ子ども・若者支援を行うNPO法人CoCoTELIの代表をしている平井登威(ひらい・とおい)です。

 

 「精神疾患の親をもつ子ども」をテーマに連載を担当させていただいています。この連載では、n=1である僕自身の経験から、社会の課題としての精神疾患の親をもつ子ども・若者を取り巻く困難、当事者の声や支援の現状、そしてこれからの課題についてお話ししていきます。

 

 第13回から、CoCoTELIの活動を通して感じている当事者の子ども・若者を取り巻く課題感とそれぞれができることについて、あくまでも現場で活動する一人の実践者としての視点で書いています。今回は、精神疾患のある親をもつ子ども・若者の支援に取り組むピアサポーターの方々との対談を行ったので、その内容の一部と、対談を通して見えてきたことなどを中心に書いていきたいと思います。

 

著者

平井登威(ひらい・とおい)

2001年静岡県浜松市生まれ。幼稚園の年長時に父親がうつ病になり、虐待や情緒的ケアを経験。その経験から、精神疾患の親をもつ子ども・若者のサポートを行う学生団体CoCoTELI(ココテリ)を、仲間とともに2020年に立ち上げた。2023年5月、より本格的な活動を進めるため、NPO法人化。現在は代表を務めている。2024年、Forbes JAPANが選ぶ「世界を変える30歳未満」30人に選ばれる。

 

NPO法人CoCoTELI

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ピアサポーターとの対談

 これまで、NPO法人CoCoTELIの活動について適宜触れていますが、CoCoTELIは、精神疾患のある親をもつ子ども・若者の支援に取り組んでいます。そんな活動の中で活躍するピアサポーター(自身も精神疾患のある親のもとで育った当事者で、その体験などを活かして他の当事者を支援する人)の4人にオンライン上で集まってもらい、全6回にわたる対談を行いました。

 

対談①「それが日常だった」—精神疾患の親をもつ4人の話

 

 集まってくれたのは、けいたさん、リク推しさん、ゆりかさん、くらげさん(いずれも仮名・20代)。

 

 今回と次回の2回に分けて、その対談から見えてきたものをお伝えしたいと思います。前編で扱うのは、彼ら・彼女らの子ども時代の「日常」と、「親の病気を知る」ということについてです。


4人の経験と日常

 まず印象的だったのは、4人全員が口をそろえた「それが自分の日常だった」という言葉です。

 

 けいたさんの母親は統合失調症で、変化が訪れたのは彼が大学1年生の秋。

 

 「バイトから帰ったら、母がキッチンの前で腕を組んだまま立ち尽くしていました。朝まで普通に話していたのに」

 

 翌日から妄想が始まり、会話も難しくなっていくお母さん。父親はアルコールに強く依存した状態で、家に大人はいても頼れる大人はいませんでした。

 

 夜、母親の妄想に付き合いながら話を聞き、眠れない夜もありました。それでも、

 

「大変だとは思っていなかった。それが日常だったから」

 

と彼は言います。

 

 リク推しさんの父親は、彼が生まれる前から統合失調症を患っていました。

 

「自分を京大の総長だと思い込み、毎日キャンパスを徘徊していた」

 

 家庭はネグレクトの状態でもあり、長い期間お風呂に入れてもらえず、「汚い子」といじめの対象にもなりました。ですが当時の彼には、自分が深刻な状況にいるという自覚さえなかったと言います。

 

「問題意識があまりないということは、問題がないということではない」

 

 この言葉が強く残っています。

 

 ゆりかさんの両親はともに精神疾患を有し、2歳のときに離婚。母親はずっと部屋で寝ていて、「祖母に育ててもらったようなもの」だと語ります。
 幼い頃、しんどそうな母親に、道端に咲く花を摘んで「お見舞い」のようにそっと差し出したこともあったと言います。

 

 くらげさんの母親には強い関係妄想があり、数字や有名人の名前が身近な出来事と結びついていくそうです。子どもの頃から、どの言葉が妄想を引き起こすかを気づかいながら会話してきました。


彼ら・彼女らの経験から見えること

 彼ら・彼女らは、大人が思う以上に大きなものを背負っていました。

 

 ゆりかさんは中学生の頃、離れて暮らす父親から、

 

「ゆりかちゃんと定期的に会えるようになったから、部屋に置いていた首つり用の縄を外せた」

 

と告げられたと言います。

 

「自分の言動次第で、この人を生かすことも殺すこともできると思ってしまった」

 

 中学生の子どもが受け取るには、あまりに重い言葉でした。

 

 けいたさんは母親のケアと大学の授業やアルバイトを一人で両立させ、単位を落とすぎりぎりのところで教員に事情を話して理解を得ていました。

 

 くらげさんは高校生になると、母親から「今いるあなたは偽物だ」と言われるようにもなったそうです。

 

 それでも彼ら・彼女らは、偏見や理解してもらえるかわからない不安から、誰かに「大変だ」と訴えることは、ほとんどなかったと言います。


親の病気を知ったとき

 精神疾患の親をもつ子どもの多くが、親の病気について説明を受けていないとも言われています。実際、4人とも年齢に応じた説明を受けた経験はほとんどありませんでした。

 

 ゆりかさんは、高校の奨学金申請で必要になった障害者手帳を手にして、初めて母親の診断名を知ったそうです。

 

「無責任だと思っています」

 

 くらげさんは、

 

「病気という言葉を聞いても、何がどういう状態なのかわからなかった」

 

と振り返ります。

 

 けいたさんは、

 

「知る・知らないが、その後の人生に大きく影響する」

 

と語りました。

 

 ここまで話を聞いて、僕が改めて感じたことが二つあります。

 

 一つは、「当たり前」を認識することの難しさが、相談につながることを阻んでいるということです。家庭の中で起きていることは「困りごと」ではなく「自分の普通の暮らし」になる。だから助けを求めない。けれど外から見れば、明らかにケアが必要な状態にある。本人の「困り感」が生まれるのを待っているだけでは、支援は届かないということを改めて感じました。

 

 もう一つは、「知ること」のハードルの高さです。病気という事実を伝えることと、その子が理解できるように説明することは、まったく別のことです。説明がないまま、子どもは断片的な情報と目の前の親の姿の間で、たった一人で解釈を続けています。そこにどれだけの孤独があるだろうと思います。年齢に応じた説明を届けることは、子どもが自分の人生を引き受けていくための、最初の支えになるはずです。

 

 対談の前半3回は、以下から読むことができます。当事者本人の言葉で語られる「日常」に、ぜひ触れてみてください。

 

第1回「それが日常だった」

第2回「大きかったプレッシャー、慎重になった言葉選び」

第3回「病気を知らなかった子どもたち、誰にも教えてもらえなかった診断名」

 

 後編では、彼ら・彼女らが「なぜ相談できなかったのか」、そして「何が支えになったのか」をお伝えします。


関連書籍

 中央法規出版では,『精神疾患のある親をもつ子どもの支援』という書籍を発刊しました。参考にしていただければ幸いです。