精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会をつくるために 第32回:普通に見える子

2026/06/16

 みなさん、こんにちは。2001年生まれの大学生で、精神疾患の親をもつ子ども・若者支援を行うNPO法人CoCoTELIの代表をしている平井登威(ひらい・とおい)です。

 

 「精神疾患の親をもつ子ども」をテーマに連載を担当させていただいています。この連載では、n=1である僕自身の経験から、社会の課題としての精神疾患の親をもつ子ども・若者を取り巻く困難、当事者の声や支援の現状、そしてこれからの課題についてお話ししていきます。

 

 第13回から、CoCoTELIの活動を通して感じている当事者の子ども・若者を取り巻く課題感とそれぞれができることについて、あくまでも現場で活動する一人の実践者としての視点で書いています。今回は、「普通に見える子」をテーマに書いていけたらと思います。

 

著者

平井登威(ひらい・とおい)

2001年静岡県浜松市生まれ。幼稚園の年長時に父親がうつ病になり、虐待や情緒的ケアを経験。その経験から、精神疾患の親をもつ子ども・若者のサポートを行う学生団体CoCoTELI(ココテリ)を、仲間とともに2020年に立ち上げた。2023年5月、より本格的な活動を進めるため、NPO法人化。現在は代表を務めている。2024年、Forbes JAPANが選ぶ「世界を変える30歳未満」30人に選ばれる。

 

NPO法人CoCoTELI

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あの子は大丈夫

 「あの子は大丈夫ですよ。しっかりしてますから」

 

 先生や地域の大人からそう言われる子どもたちの中に、精神疾患の親をもつ子どもたちがいます。確かに、外から見れば「大丈夫」に映ります。授業や部活も真面目で、友人ともうまくやっていて、時には気遣いのできる「良い子」として周囲から一目置かれていたりする。

 

 でも僕は、CoCoTELIの活動を通じて出会ってきた子どもたち・若者たちの話を聞くほど、その「大丈夫」に見える姿が、長年かけて家庭の中で積み上げてきた「適応の技術」であることを実感してきました。


空気を読む力

 精神疾患の親をもつ子ども・若者たちは、家庭という環境の中で「空気を読む力」を身につけることがあります。

 

 玄関のドアを開けた瞬間に、今日の親の状態がわかる。電気のつき方、物音の有無、漂う空気感。言葉が交わされる前に今日の家の「空気」を読み取り、自分がどう動くべきかを判断する。静かにしていたほうがよい日は息を潜め、親が落ち込んでいそうな日には笑顔をつくって声をかける。

 

 それは親に元気になってほしいという思いから来ている場合もあるし、安全・安心のために身についた反応である場合もあります。意識してやっているわけじゃないこともあり、ただ、そうしたほうが合理的な環境であることなのだと思います。

 

 そしてこの力は、家を出ても機能し続けることがあります。学校でも友人関係でも、常に場の空気を読み、相手が求めていることに応えようとするのです。

 

 「気の利く子」「落ち着いた子」という評価は、子どもが必死に守っている鎧の外側に貼られたラベルに過ぎないことがあります。

 

語れない理由

 しんどさを抱えていても、「助けてほしい」と言えない子ども・若者たちがいます。直接「うちのことは外で話さないように」という言葉をかけられている人もいれば、そう言われなくても、精神疾患に向けられる偏見の目を肌で感じ取り、自分から黙ることを選ぶ人もいます。

 

 さらに、「話してもどうせわかってもらえない」という諦めがあることもあります。勇気を出して話してみたら「お母さんも大変なんだから、支えてあげなきゃね」という言葉をかけられた。その言葉を口にした大人に悪気はなく、むしろ励ますつもりだったかもしれません。

 

 でも子どもにとっては、その瞬間に「やっぱり伝わらない」「自分の悩みは聞いてくれない」という気持ちが生まれ、次に声を上げる機会を内側から閉じてしまうことがあります。

 

 話せないから見えない。見えないから支援が届かない。支援が届かないから、一人で抱え込むしかない。この流れを、子どもの側から変えることはとても難しいことです。


「困っていない」と見えてしまう理由

 支援を考えるとき、僕たちは「困っていそうかどうか」を外見で判断しがちです。泣いている、荒れている、孤立している。そういったサインが見えるときに「この子は困っているかもしれない」と気づきます。

 

 一方で、にこやかにしていて、成績も安定していて、気配りができる子は「問題ない」と判断されやすいように思います。

 

 また、家庭の経済状況が豊かな場合も判断を歪めることがあります。家庭の経済状況が安定していれば、「あそこは恵まれているから大丈夫」と見なされることがあります。でも、家にお金があることと、家の中が安全・安心であることはまったく別のことです。

 

 精神疾患の親をもつ子ども・若者は、こうした判断の隙間に入り込んでしまいやすい存在のように感じます。見えにくい場所にいるのではなく、僕たちの「見方」の側に限界や難しさがあるのだと思います。


一人ひとりにできること

 では、何ができるのか。万能な答えはありませんが、僕が大切だと感じていることをいくつか挙げます。

 

 まず、「しっかりして見える子」については、その役割を期待し続けないということです。目の前の子どもが見せている姿が、その子のすべてではないかもしれない。そういう視点をもつだけで、見えてくるものは少し変わると思います。

 

 もう一つは、子どもが話してくれたとき、親のことより先に子ども自身の気持ちを受け止めることです。「お父さん・お母さんも大変だから」という返し方は、無意識に子どもの気持ちを後回しにしてしまいます。まず「それは大変だったね」と子どもの側に立つこと。それだけで、子ども・若者にとっての安心が生まれることがあります。

 

 そして、何よりもこういう状況にある子どもたちが存在するということを、まず知ることです。知ることが、気づくことの出発点になります。ぜひ、本連載に限らず、精神疾患の親をもつ子ども・若者に関するさまざまな記事や書籍があるので、関心のある方は読んで、知っていただけると嬉しいなと思います。


関連書籍

 中央法規出版では,『精神疾患のある親をもつ子どもの支援』という書籍を発刊しました。参考にしていただければ幸いです。