精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会をつくるために 第29回:「次男になりたい」を観て考えたこと④
2026/04/06
みなさん、こんにちは。2001年生まれの大学生で、精神疾患の親をもつ子ども・若者支援を行うNPO法人CoCoTELIの代表をしている平井登威(ひらい・とおい)です。
「精神疾患の親をもつ子ども」をテーマに連載を担当させていただいています。この連載では、n=1である僕自身の経験から、社会の課題としての精神疾患の親をもつ子ども・若者を取り巻く困難、当事者の声や支援の現状、そしてこれからの課題についてお話ししていきます。
第13回から、CoCoTELIの活動を通して感じている当事者の子ども・若者を取り巻く課題感とそれぞれができることについて、あくまでも現場で活動する一人の実践者としての視点で書いています。今回は、前回までに引き続き、最近話題になったテレビ番組「探偵!ナイトスクープ」を観て感じたこと/考えたことを、書いていきたいと思います。
著者

平井登威(ひらい・とおい)
2001年静岡県浜松市生まれ。幼稚園の年長時に父親がうつ病になり、虐待や情緒的ケアを経験。その経験から、精神疾患の親をもつ子ども・若者のサポートを行う学生団体CoCoTELI(ココテリ)を、仲間とともに2020年に立ち上げた。2023年5月、より本格的な活動を進めるため、NPO法人化。現在は代表を務めている。2024年、Forbes JAPANが選ぶ「世界を変える30歳未満」30人に選ばれる。
逆境体験を減らすことと、肯定的な体験を増やすこと
ヤングケアラーや精神疾患の親をもつ子ども・若者を取り巻く状況や慢性的に続く家庭内の生きづらさ、困難は、複雑に絡み合う構造や感情等から簡単に変わるものではありません。そんななかで、難しく時間のかかる逆境体験を減らすアプローチと同時に、肯定的な体験を増やすアプローチがとても重要だと思います。
それには、支援者や学校の先生などの子ども・若者の近くにいる人の存在や働きかけだけでなく、地域との関係をつくること・デザインすることが必要だと考えます。家庭という閉じた世界で困難を抱える子どもたちが、家の外で安心できる時間や空間、信頼できる大人との関係性を築くこと。学校の先生や支援者、地域の人々との関わりのなかで、「自分は一人じゃない」「大切にされている」と感じられる経験を積み重ねること。これらは子どもの育ちにおいてもとても大切であるはずです。
そもそも、精神疾患の親をもつ子ども・若者やヤングケアラーは、自身がそういった状況に置かれていることを自覚することが難しかったり、偏見にまみれる社会のなかでその状況がバレることを恐れ、隠すのがうまかったりします。
社会には「困っていそう/いなさそう」という評価軸も多くありますが、その判断軸では見えないケースが多くあります。
そう考えたときに、困っているか否かにかかわらず、子ども・若者が肯定的な体験を積めるような大人の関わりや地域のデザインは非常に重要になると思いますし、そこで積み重なった信頼関係から本人の悩みの表出につながることもあります。そんな肯定的な体験は彼ら・彼女らの支えになるのではないでしょうか。
また、ヤングケアラーに関する話題では、「ケアの外部化」が叫ばれることもあります。もちろん、子どもがケアの外部化を望む場合は、その介入が必要な場面もあると思います。しかし、単純にケアを外部化すればよいか? と言われたら、そうでもないと思います。
今回の「探偵!ナイトスクープ」のケースの場合であれば、長男さんではなく別の兄弟やお父さん等がケア役割を担う形になれば、家庭内でケア役割が回っているだけで状況は何も変わっていません。また、親御さんがケア役割を引き受けることになると、収入とのトレードオフにもなり得ます。
加えて、そもそも子どもにとって「ケア」がどのような意味をもつのか、という視点も考慮する必要が大きくあると思います。支援的な観点から、望ましくない状況にある子どもをケアの役割から解放していくことは極めて重要です。しかし同時に、日常生活の大半を占めていた役割が突如なくなることで、本人が喪失感や罪悪感を抱く可能性、そのほかの不利益が生まれる可能性もあります。だからこそ、本人を置き去りにせず、専門性を有するほうがその声に丁寧に耳を傾ける仕組みが必要ではないかと思います。
僕たちが向き合うべき点――「きれいごと」もつ暴力性
今回の件に関して行っている僕自身の発信は「きれいごと」かもしれませんし、発信/コメントすること自体に暴力性があることも認識しています。
「社会に問題がある」と発信することは、今まさに家庭の中で苦しんでいる子どもにとって、一種の「暴力」になり得ます。目の前の現実から逃れられない子どもにとって、「社会が悪い」という正論は、あまりにも遠く、無力に響くかもしれないからです。
対立構造をつくったほうが、問題はわかりやすくなります。「悪い親」と「可哀想な子ども」という構図は、シンプルで理解しやすい。しかし、そのわかりやすさは、社会構造が生む課題の複雑性を見えなくする非常に危ういものであるように思います。目先の利益や動きやすさのために、安易に対立構造に飛びつくことは、多くの人が目指す未来とは相容れないのではないかと考えています。
おわりに
今回のような複雑に絡み合った状況や問いに対して、簡単な答えはありません。
今回の放送をきっかけに、ヤングケアラーや精神疾患の親をもつ子どもについて関心をもってくださった方がいらっしゃれば、ぜひ地域で彼ら・彼女ら、その家族を支えるための活動に尽力している機関や人についても目を向けていただけると嬉しいなと思います。
そういった機関、そこで働く人に適切な人員体制や給料等のリソースが割かれることが、結果的に子ども・若者、その親が生きやすい社会につながっていくはずです。
この放送がこのような形で話題になったからこそ、この話題が無駄にならないとよいなと思います。
関連書籍
中央法規出版では,『精神疾患のある親をもつ子どもの支援』という書籍を発刊しました。参考にしていただければ幸いです。
