精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会をつくるために 第28回:「次男になりたい」を観て考えたこと③

2026/03/13

 みなさん、こんにちは。2001年生まれの大学生で、精神疾患の親をもつ子ども・若者支援を行うNPO法人CoCoTELIの代表をしている平井登威(ひらい・とおい)です。

 

 「精神疾患の親をもつ子ども」をテーマに連載を担当させていただいています。この連載では、n=1である僕自身の経験から、社会の課題としての精神疾患の親をもつ子ども・若者を取り巻く困難、当事者の声や支援の現状、そしてこれからの課題についてお話ししていきます。

 

 第13回から、CoCoTELIの活動を通して感じている当事者の子ども・若者を取り巻く課題感とそれぞれができることについて、あくまでも現場で活動する一人の実践者としての視点で書いています。今回は、前々回、前回に引き続き、最近話題になったテレビ番組「探偵!ナイトスクープ」を観て感じたこと/考えたことを、書いていきたいと思います。

 

著者

平井登威(ひらい・とおい)

2001年静岡県浜松市生まれ。幼稚園の年長時に父親がうつ病になり、虐待や情緒的ケアを経験。その経験から、精神疾患の親をもつ子ども・若者のサポートを行う学生団体CoCoTELI(ココテリ)を、仲間とともに2020年に立ち上げた。2023年5月、より本格的な活動を進めるため、NPO法人化。現在は代表を務めている。2024年、Forbes JAPANが選ぶ「世界を変える30歳未満」30人に選ばれる。

 

NPO法人CoCoTELI

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「美談」にしてはいけない

 今回の放送の場合は批判的な意見が目立っていますが、今回のような姿が社会に広がった際、ケアを担う子どものことを「立派」と表現されることも多くあるように思います。しかし、それを「偉い」「素晴らしい」と称賛することは、子どもが過度なケア役割を担うことを正当化し、固定化してしまう危険性があります。

 

 「偉いね」「立派だね」という言葉は、時に子どもを追い詰めます。その役割から降りることへの罪悪感を植え付け、「助けて」と言いづらくさせてしまうからです。家庭内の助け合いは大切なことですが、子どもには、子どもの権利が守られ、子どもとして過ごす時間、自分自身の成長や楽しみに使う時間が必要です。それが過度に奪われている状況は、たとえ本人が「自分で選んだ」と感じていたとしても、社会として見過ごしてはいけない問題です。


変わらない現実と、「親ガチャ」という言葉

 今回の件の見え方は、親御さんのInstagram等を見ているか見ていないかでも大きく変わるように感じます。SNSでの発信内容には、正直、望ましくないように見えるものも多くありました。それらを考慮すると、この問題はさらに複雑で、根深いものに思えてきます。

 

 今回のように、子どもの権利は守られていないように見えるが、(虐待等と比べ)緊急性が高くないケースの中で今の状況が変わっていくには、仕事等も含めた家族の生活ルーティンを移行すること(それは収入等とのトレードオフにもなり得る)や、ヘルパー・家事代行等の支援を活用することが考えられます。また、家族の意識/考え方の変容が必要になるかもしれません。

 

 しかし、それらの決定権は、多くの場合、親子関係の中でパワーバランスが強い親側が握っていますし、子どもたちは未成年であるため、何かを変えるには保護者の同意が必要です。

 

 そうなると、親御さんがこの状況をどう捉え、変わる意志をもつかが大きな鍵を握ります。もし親御さんにその意志がなければ、親御さんが支援を拒否すれば、子ども自身の力だけで状況を好転させるのは極めて困難です。そこには、(個人的には嫌いですが)俗に言う「親ガチャ」という言葉でしか表現しようのない、本人にはどうすることもできない現実が存在するのも事実であり、とても難しい問題です。

 

 やはりそこに対しては、仕組みとして、強制力をもった介入ができる制度と受け皿が必要であるはずです。

 

 親御さんの考え方が変わらない限り、少なくとも本人が自らの選択で人生を歩めるようになる成人するまでは、今の苦しい状況は変わらないかもしれません(成人してからもさまざまな理由から自身を優先した決定は難しいことが多いです)。その厳然たる事実に、私たちは目を向けなければなりません。

 

 次回も引き続き、「探偵!ナイトスクープ」を観て考えたことについて、あくまでも現場で活動する一人の実践者としての視点で書いていけたらと思います。


関連書籍

 中央法規出版では,『精神疾患のある親をもつ子どもの支援』という書籍を発刊しました。参考にしていただければ幸いです。