道なき道をゆく! オルタナコンサルがめざす 強度行動障害の標準的支援 第5回 標準的支援のはなし (その1)

2025/04/23

この記事を監修した人

竹矢 恒(たけや・わたる)

一般社団法人あんぷ 代表 社会福祉法人で長年、障害のある方(主に自閉スペクトラム症)の支援に従事。厚生労働省「強度行動障害支援者養成研修」のプログラム作成にも携わる。2024年3月に一般社団法人あんぷを設立し、支援に困っている事業所へのコンサルテーションや、強度行動障害・虐待防止などの研修を主な活動領域とする。強度行動障害のある人々を取り巻く業界に、新たな価値や仕事を創出するべく、新しい道を切り拓いている。


さて、前回まで、「障害特性を知ることが大切だ!」という話を力説してきましたが、どういう理屈で障害特性を知ることが大切なのかを語らなければ、「それってあなたの感想ですよね?」と言われかねません。

 

そこで、第5回と第6回の2回にわたり、その理屈の部分の話を、最近取り組まれている「標準的支援」とからめて、丁寧に整理してみたいと思います。

 

理屈❶:制度的な背景って?

 まず、前提として制度的な背景をみてみましょう。日本は、国連の「障害者権利条約」に2007年に署名し、2014年に批准しました。障害者権利条約では、第1条および前文にて、「障害は個人の中にあるのではなく、社会的障壁との相互作用によって生じる」と定義されています。

 

 つまり、障害者権利条約では、明確に「社会モデル」の立場にたつことを宣言しているのです。

※参照:外務省ホームページ:「障害者権利条約」パンフレット

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page25_000772.html?utm_source=chatgpt.com

 

ここでいう「批准」とは、言い換えれば「国(日本国家)としてこの条約を守りますよ」という国際的な宣言みたいなものです。そのため、日本は障害者権利条約を批准するにあたり、段階的に国内法の整備を進める必要性が生じたということです。

 

 障害者権利条約の批准を契機に、さまざまな障害者関連の法令が整備されました。実はそのプロセスでは、(少々、大げさな表現かもしれませんが……)日本の障害者福祉に、天と地がひっくり返るような激変が生じていたことを皆さんはご存じですか?

 

理屈❷:社会モデルが実装された!

 それは、法律や制度という枠組みにおいて「社会モデル」が実装されたという変化です。“リアル”な社会での状況は、またあらためてふれるとして、ここでは「社会の仕組みとして社会モデルが実装された」という観点で聞いてもらえると幸いです。

 

 では、社会モデルは、どのように私たちの制度のなかに組み込まれているのでしょうか?

 

 まず、制度的な大きな流れとして、2011(平成23)年の障害者基本法の大幅な改正の話をしたいと思います。

 

 障害者基本法とは、簡単にいえば、日本の障害者政策の根幹を成すものであり、政策の基本的な方向性を定めた非常に重要な法律です。この法律の第2条において、「障害者とは、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態」にあるものと定義されています。つまり障害とは状態を表すものであり、その状態は社会との関係性によって生じるものだとされています。

 

 ちなみに、以前の障害者基本法では、「障害者とは、身体障害、知的障害又は精神障害(以下「障害」と総称する。)があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者」とされており、障害をより個人の中にあるものとする立場でした。

 

 しかし、2011(平成23)年の改正により、日本における障害の定義は、医学モデルから社会モデルへと転換したのです。障害者の支援を生業とする福祉従事者にとって「障害」そのものの定義が変わるのですから、これはもう激変といってもいいでしょう。

 

 また、2013(平成25)年に制定された障害者差別解消法においては、「不当な差別的取扱いの禁止」および「合理的配慮の提供義務」が制度化されました。これにより、社会側の対応のあり方が障害の要因になり、それが法的に根拠をもつことになりました。つまり、障害当事者が困っている状況は、その人が元来もっている困難のせいではなく、周囲が合理的な配慮をしないことで生じているという考えが、障害のとらえ方として正しい意味をもつことになりました。

 

 ここまで、制度的な背景から社会モデルの重要性をお伝えしてきました。これを、私がこれまでお話ししてきたことに当てはめてみたいと思います。

 

理屈❸:障害とは、優劣ではなく、「違い」なのだ!

 この連載においても、たびたび障害とは優劣ではなく“違い”であると表現してきました。

 

 では、先程の社会モデルで考えたときに、この違いとは何を指すのでしょうか?
 もちろん、それは「障害そのもの」を指すではないことは、ここまでの話からご理解いただけると思います。

 

 つまり、この違いによって生じている社会との障壁や軋轢こそが、「障害者基本法」のいうところの“障害”というわけです。“違い”がその障壁や軋轢の要因になっているので、その違いに対する合理的配慮が社会的な義務であると「障害者差別解消法」では定義しているのです。

 

 さらにこの“違い”を「障害特性」と定義していますので、私の感想ではなく、制度的にも「障害特性を知ること」が大切であると説明できるわけです。

 

 なんだか、数学の証明問題を解いている気分です。学生時代から、数学は得意ではありませんが……。

 

理屈❹:強度行動障害に当てはめてみると・・・・・・

 強度行動障害支援に話を戻しましょう。

 

 実は、この「障害特性を知ることの大切さ」は、「強度行動障害を有する者の地域支援体制に関する検討会報告書」(令和5年3月30日)の中で、

 

 強度行動障害を有する者への支援にあたっても、知的障害や自閉スペクトラム症の特性など個人因子と、どのような環境のもとで強度行動障害が引き起こされているのか環境因子もあわせて分析していくことが重要となる。こうした個々の障害特性をアセスメントし、強度行動障害を引き起こしている環境要因を調整していくことが強度行動障害を有する者への支援において標準的な支援である

 

 と報告されています。

 

 つまり、強度行動障害支援においては、障害特性をアセスメントし、その障害特性に対する合理的な配慮が「標準的な支援である」と定義しているわけなのです。

 

 さて、今回は強度行動障害支援の標準的支援に関して、そもそもどうして障害特性のアセスメントについて、その背景も含めて理屈を並べてみました。もちろん理屈なので、社会モデルの支援が実装できていない現状を憂うものではありません。

 

 理屈を明確にしたうえで、現実とのギャップにフォーカスすることが大切だと個人的には考えています。
オルタナコンサルが、社会の役に立つとしたらこの狭間なのかもしれません。

 

 次回も「標準的な支援」についてもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。