【vol.32】お母さんと私③ お母さんの席 | 私はミューズとゼウスのケアラーです
2026/08/24
韓国の介護現場で働く作家が送るケア文学
激しいスピードで高齢化が進む隣国で、 ケアの最前線に立つ作家による、初の日本語エッセイ連載スタート!! 昼は介護の仕事をして夜は文章を書く、作家イ・ウンジュの連載が始まります。日本の介護福祉士にあたる、「療養保護士」という韓国の介護の国家資格を持つイ・ウンジュさんは、自身もケアの現場に立ちながら、ケアに関する文章を韓国語で発表する数少ない作家です。
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そんなイ・ウンジュさんは韓国で、ケアについてのエッセイ三部作(『私は神々の療養保護士です』『こんなに泣いて疲れたでしょう』『東京因縁』)を出版して話題を集め、2023年には母親の在宅療養保護の経験を盛り込んだ『ケアの温度』を刊行しました。ケア三部作の『私は神々の療養保護士です』では、療養保護士として歩んだ療養院での日々から訪問介護に至るまでの道のりについて、『ケアの温度』では、誰かをケアする時の適切な距離感・温度感とレジリエンスについて、やさしい筆致で綴っています。この連載では、イさんの目に映った韓国の介護現場から、「ミューズとゼウス」のためのケアについて考えます。
一人暮らしの女性は、自分の荷物を他人に預けない。私はそうだ。ましてや自分のすべてが入っている鞄など、なおさら預けることはない。
母もまた、若い頃は自分の書類鞄をなかなか人に預けようとしなかった。ところが、いつからか母は手のひらほどの鞄を「重い」と言って預けるようになった。ときには杖さえも重いと言って預けたりする。そんな姿を見て、これほど甘えん坊な女性が、一人で二人の子供を育てながら、人生という巨大な川をどうやって渡ってきたのだろう? 大変だったに違いない。座り込んで泣きたかったに違いない。そう推測してみる。
今日は母と久しぶりに長い時間、笑いながら一緒に過ごした。母は私の文章を読んでくれた。そして数日間、考え込んでいる様子だった。退屈で長い冬だった。
母と外出することにした。甥の息子が「チョロク(みどり)おばさん」と名付けたチョロクおばさんと、そのお母さんとランチの約束をした。旅行がそうであるように、子供や老人との約束は予想通りにいかないものだ。
レストランの住所を共有したものの、カーナビの操作が苦手な高齢の運転手が運転するタクシーに乗ることなど、計画にはなかった。ここが“そこ”だと言って、とんでもない場所に私たちを降ろし、威風堂々と去っていったタクシーのせいで、チョロクおばさんと彼女の母親は、見知らぬ街をひたすら歩かざるを得なかった。私の心は、彼女たちを追いかけて歩いていた。腰が折れそうなくらい痛く、息が切れて、汗が背筋を伝って流れ落ちた。どこでもいいから、座れる場所さえあれば座りたいだろう。
お年寄りが営む古い食堂に入ると、先に来て待っていた母が嬉しそうに迎えてくれた。チョロクおばさんの母と初めて会う場だったため、母の顔は少し赤らんでいた。
いつからか、母と外出する時は、孫と外出するときのように水やおやつを用意するようになった。血糖値が急に下がった時のために。初対面の人がいる場所では、身だしなみを整え、きれいな服を着なければならない母は、朝から入浴し、食事も適当に済ませていた。
私の心は慌ただしかった。足が痛い人に早く席を用意してあげなければならず、血糖値が下がりそうな母にも、何かすぐに食べられるものを食べさせなければならない状況だったのだ。
待ち合わせ場所に来る前から、すでに疲れた表情を察していたのだろうか。背中を丸めて料理を運んでいた老人が、おしぼりの入っていたクーラーボックスを持ってやってきた。
早く座りたいけれど、すぐには座れない老人の表情を、誰よりも早く読み取ったのだ。座り込むこと自体は楽だとしても、痛む足では、座ったり立ったりするのが大変だということを、なぜ私は見落としていたのだろう。
椅子が必要なときに、クーラーボックスが椅子になってくれる光景を見ながら、私は感動した。足が痛くなったことがなければ気づかなかったであろう。このような知恵を私は心に刻んだ。痛む関節を急に曲げて座るよりも、椅子に座ってからゆっくりと床に下りれば、衝撃を和らげられる。これからは、この知恵を何度も活用しようと思う(とはいえ、靴を脱がなくていい食堂、トイレが使いやすい食堂を、母の目線に合わせて選んでおくべきだった、私は)。
レストランのトイレが不便なことと、靴を脱がなければならないことを除けば、そこはまさに高齢者のための空間だった。
ゆっくりと流れる時間。待っている人がいないので、急いで食事を済ませる必要もない。肉だけ注文しても、あらゆる料理が次々と登場し、豊かな食卓が用意される場所。シッケ(韓国発祥の甘い伝統飲料で、ノンアルコールの飲み物)を飲みながらインジョルミ(餅)を食べている間に肉が出てきて、ご飯を頼めば、長時間じっくり煮込んだ白菜の味噌汁が添えられる。最後にはビビン冷麺が食事の締めくくりとなる。これらすべてが、肉4人前の価格に含まれている。
戦争を経験した母は、このような食卓を好む。常に将来のために節約しなければならず、何かが欠乏としているという印象を抱く母の考え方には、幼い頃に経験した戦争が関係している。7人兄弟の長女だったことも、大きく影響している。つまり、食事をしながらおおよその支払額を推測でき、ただテーブルいっぱいに料理が並んでいてこそ、その場が楽しそうに見えるのだ。
というわけで、春の外出がどうなったかというと、母は心の中の不快な感情をぶつけるように私の悪口を言い、私はそんな母の愚痴に微動だにせず肉を焼き、チョロクおばさんは、冬の間、憂鬱で寂しかった母の話を無限の愛情を持って聞いてくれていて、チョロクおばさんの母親は何度も楽しそうに笑っている、という状況だった(おそらく、娘の前で娘の悪口を言う母の姿に驚かれたのだろう。私たちは平気でした)。
母は自分の話をするべきなのに、いつも子供の話ばかりする。あなたがどれほど子供たちのために苦労したかを語っているのだ。そんな母の姿を笑いながら見ていると、私の目元のしわの間に涙が滲む。私は自分を責められないから、お母さんが代わりにそうやって責めてほしい。そんな気持ちになった。
なぜだろう、普段なら初めて会う知人の母親の前で娘の悪口を言う母を嫌うべきなのに、「その通り、その通り」と頷きながら聞いている。4人で分け合って飲んだマッコリのせいだろうか。昼間に飲んだお酒が回って、寛大になった気分なのだろうか。
家に帰る途中、母と私の無意識は互いにつながっているのではないかと思った。
子供に「ごめんなさい」や「ありがとう」などと言うこともなかった、はるか昔の「虎がタバコを吸っていた時代」の気風を好む母は、娘の悪口を言いながら自分自身を嘲笑している。そして私は、言葉の上ではそう言っても、私への感謝の気持ちを、悪口を交えてしか伝えられない母の心情を理解しているのだ。
母という立場、思ったより難しい立場だ。
著者紹介
イ・ウンジュ 이은주

1969 年生、作家、翻訳家。日本に留学し、1998 年に日本大学芸術学部文芸学科を卒業。20 代から翻訳家になることを夢見て、家庭教師として働きながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』(清水正)で夢をかなえる。その後も仁川国際空港の免税店で働きながら、休憩時 間は搭乗口 31 番ゲートで訳し、仁川への通勤電車でも訳し続け、『船に乗れ!』(藤谷治)、 『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(山極寿一)をはじめ、十数冊もの日本書籍を韓国に広める。おばあちゃんっ子だったイさんは祖母の逝去をきっかけに、高齢者施設でボランティア活動を始め、その後療養保護士の資格を取得。昨年からは認知症になった実母の介護を行う。「ケア」と「分かち合い」について、文学の一形態として追及してみたいという気持ちから、高齢者のケア現場についてのエッセイを三部作で発表し、韓国で共感を呼ぶ。現在、
