【vol.30】お母さんと私① お母さんについて書くことにした | 私はミューズとゼウスのケアラーです

2026/07/08

韓国の介護現場で働く作家が送るケア文学

 激しいスピードで高齢化が進む隣国で、 ケアの最前線に立つ作家による、初の日本語エッセイ連載スタート!! 昼は介護の仕事をして夜は文章を書く、作家イ・ウンジュの連載が始まります。日本の介護福祉士にあたる、「療養保護士」という韓国の介護の国家資格を持つイ・ウンジュさんは、自身もケアの現場に立ちながら、ケアに関する文章を韓国語で発表する数少ない作家です。
  • そんなイ・ウンジュさんは韓国で、ケアについてのエッセイ三部作(『私は神々の療養保護士です』こんなにいてれたでしょう』『東京因縁)を出版して話題を集め、2023年には母親の在宅療養保護の経験を盛り込んだ『ケアの温度』を刊行しました。ケア部作の『私は神々の療養保護士です』では、療養保護士として歩んだ療養院での日々から訪問介護に至るまでの道のりについて、『ケアの温度』では、誰かをケアする時の適切な距離感・温度感とレジリエンスについて、やさしい筆致で綴っています。この連載では、イさんの目に映った韓国の介護現場から、「ミューズとゼウス」のためのケアについて考えます。 


母は私に「一人になりたい」と宣言した。


 私は母との会話の癖に慣れていたので、ただ「来ないで」という言葉も、「頻繁に来ないで」くらい解釈してしまった。受け取り方によっては、「来ないで」は「必ずしも来なくてもいい」という意味にもなる。私はこれまで苦労しながらそんなふうに母の言葉を読み解いてきたので、今回もそうだとばかり思い込んでいた。


 しかし、今回は違った。母親しくしている社会福祉士を通じて、本当に一人になりたいのだという意思を私に伝えてきた。


 年末が近づいていた。私は呆気にとられた。甥っ子たちの世話だけでも手一杯なのに、姪が産んだ息子まで面倒を見ている私、年末に母に会わない親不孝者になってしまうのではないか――そんなことばかり考えていた。その考えの先に、母の立場は見えていなかった。つまり、母はただ、一人でいたかったのだ。


 一人。


 誰の母親にもならず、誰の祖母にもならず、ただ自分だけの主人でありたい。そんな母の声、私は聞き取れていなかった。 


 
私がようやく母の「一人でいたい」という言葉を理解するきっかけになったのは、甥の息子がクリスマスを過ごすために姪と家を空け、私だけがその家に取り残された瞬間だった。


 甥の息子がいない家で一人きりになった私は、最初は何をすればいいのかわからなかったが、何もせずにいていいのだと思えば、普段より体が軽くなった。うんざりするほどの腰痛も忘れ、自分のためだけの時間、自分が好きなことをしながら過ごせる時間に、私は感激した。


 母はまさにこの感覚を求めていたのだ。それなのに、私は言葉の通じない子供だった。


 日曜日に会った母は、あれほど「世界で一番不幸な目つき」をして「一人になりたい」と言っていた人とは思えないほど、軽快に杖をつきながら現れた。まるで、自分の中で何か問題解決した人のような眼差しだった


 以前、介護ヘルパーさんが、亡くなった自分の母親について話してくれたことがある。


 「日が暮れて、一人でいると、母の言葉が骨まで染み渡ります。母私が介護していました。一日中家にいた母が、こんなことを言ったのを覚えています。『あの手に何があるんだろう』と。

窓から見えるのは、家族の手だけだったという話ですが、当時はそれが何を意味するのかわかりませんでした。でも今、夫も子どもたちも出て行った家に一人でいると、あのとき、せめてお菓子一袋でも、キャンディ一袋でも持って帰ればよかったと後悔しています。

その頃は子どもを育てながら仕事もこなさなければならず、仕事が終わったら、一刻も早く家に帰ることしか考えていませんでした」


 その話をきいたとき、私は無意識のうちに、母に同じ思いをさせてはいけないと決意したように思う。 


 
忙しい毎日の隙間を縫って母の行くたび、私の指にはビニール袋がたくさん提げられていた。いろいろな料理を作り、母のキッチンを自由に使っていた。そのキッチンの主人は母なのに。母のキッチンを使っている間、母は私の背中だけを見つめていた。母が本当は何を望んでいるのかさえわからないまま時間だけが過ぎ、私は脱いだ靴がある玄関へと足早に向かった


 今でも私は、母を個別の独立した存在として感じなければならない。私の母ではなく、一人の人間として。


 「でも、お母さん、簡単じゃないんです。五十年間、お母さんは私のお母さんだったじゃないですか。急に、お母さんではなく一人の人間として接するのは、そう簡単じゃないんです。

だから今日、お母さんあだ名をつけました。『優雅なハリネズミ』。『近づかないでください、刺されますよ。でも、私の話を聞いてください』 ――母が、そう言っているように感じました。

知らなかった真実に気づいたとき、私はこれからこう表現するつもりです。『ハリネズミの素顔を見た』と。ハリネズミの素顔と向き合ってしまうと、トゲに刺されたときよりも、もっともっと痛いんです。それでも、痛くならなければならないのなら、お好きにどうぞ」



著者紹介
 イ・ウンジュ 이은주



 1969 年生、作家、翻訳家。日本に留学し、1998 年に日本大学芸術学部文芸学科を卒業。20 代から翻訳家になることを夢見て、家庭教師として働きながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』(清水正)で夢をかなえる。その後も仁川国際空港の免税店で働きながら、休憩時 間は搭乗口 31 番ゲートで訳し、仁川への通勤電車でも訳し続け、『船に乗れ!』(藤谷治)、 『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(山極寿一)をはじめ、十数冊もの日本書籍を韓国に広める。おばあちゃんっ子だったイさんは祖母の逝去をきっかけに、高齢者施設でボランティア活動を始め、その後療養保護士の資格を取得。昨年からは認知症になった実母の介護を行う。「ケア」と「分かち合い」について、文学の一形態として追及してみたいという気持ちから、高齢者のケア現場についてのエッセイを三部作で発表し、韓国で共感を呼ぶ。現在、認知症で苦しんでいる母親の世話をしながら、翻訳、執筆活動と共にメディア出演、講演活動を続けている。