きれいごと抜きの対人援助術――「無力」でも隣に座り続けること 精神科医・春日武彦×映画監督・藤野知明 対談より
2026/05/15
2026年5月10日、ジュンク堂書店池袋本店にて開催された、精神科医・春日武彦さんの新刊『きれいごと抜きの対人援助術』(中央法規出版)刊行記念イベント。ゲストに映画『どうすればよかったか?』の藤野知明監督を迎え、援助現場の「フリーズ」するような困難と、家族が抱えた25年間の葛藤について対話が繰り広げられました。
本記事では、その対談のハイライトから、援助や家族の落としどころを考えます。
援助現場に横たわる「フリーズ」状態――「解決」できないときどうするか?
春日武彦(以下、春日):私が精神保健福祉センターなどに勤めていた際、保健師さんやケアマネさんと活動することが多かったのですが、一つにはテクニックや知識が必要な一方、「これはどうしようもないな」という事例があるわけですね。 はっきり言って「フリーズ」した状態で、どうすればいいのか分からず、かといって「どうにもなりません、さようなら」というわけにもいかない。
ギブアップもできない状況を抱えているのは非常につらい。それを少しでも気が楽になるように、私の経験の積み重ねから「こういうやり方なら妥当なんじゃないか」ということを伝えたくて本書を執筆しました。魔法の解決法はないけれど、「解決法がない=すべてダメ」という話ではないということを、皆さんに知っていただきたかったんです。
藤野さんの映画『どうすればよかったか?』のケースも、まさに「どうしようもなかった」状況をどう考えるべきかという、非常に意義深いテーマを突きつけています。
藤野知明(以下、藤野):私は現在60歳ですが、特に20歳前後から25歳くらいまでは、一人で相当悩んでいました。相談相手もいなくて、専門家を探したり家族会のメーリングリストに入ったり、堂々巡りの日々でした。今回この本を読ませていただいたのですが、いわゆる教科書のような症例報告ではなく、家族や「きょうだい」の立場でも非常に読みやすい視点だと感じました。
家族の「否認」と、80年代精神科医療のリアリティ
藤野:私には8歳上の姉がいました。姉が医学部の2年生の頃、夜中に叫び出したんです。母と救急車を呼び、父が「ここがいい」という病院に運びました。私の両親は共に医師であり研究者でしたが、 翌日、父は「病院からはまったく問題がないという診断が出た」と説明して、姉を連れ帰ってきたんです。そこから以降、両親は「まったく問題がない」という立場で、姉の変調が続いているにもかかわらず、医療から遠ざけました。
結局、私は「このまま家にいたら親を殺してしまうかもしれない」という心配から家を出ました。その後、入院まで漕ぎ着けるのに25年かかりました。
春日:私は80年代半ばから精神科医をしていますが、当時の精神科病院のなかには、はっきり言ってひどいところもありました。まず臭い、そして汚さ、扱い方のひどさ。もし自分の家族をここに入院させられるかと言ったら、正直なところ嫌でした。ですから、お父様が「入院させないのが正しい」という気持ちになったというのは、当時の状況を考えれば一定のリアリティがあったのだと思います。
藤野:親子だから頭のなかがすべて見えるわけではありませんが、両親は「自分たちで治そう」としたのではないかと思っています。 通院歴が残ると医師や研究者としてやっていけなくなるという懸念が、当時の時代背景としてあったのかもしれません。自分たちでこっそり治療して治れば、姉の将来に傷がつかないという賭けに出たのでしょうが、それが10年、20年と続くうちに、修正ができなくなってしまったのだと感じます。
春日:なぜそれほど長く動きが出なかったのか。それは、ある意味で「安定していたから」だと言えるかもしれません。悪い形での「安定」です。
藤野:そうなんです。両親は専門職で収入や年金が十分にあり、経済的には成り立っていた。姉が自分の手元から離れないことは、両親にとって「親であり続ける」という生きがいにもなっていた。我が家の場合は、母が認知症になったことや姉の内臓疾患のことなどが重なって動きが出たわけですが、もし人間の寿命がなければ、あのまま永遠に続いていたかもしれません。
春日:多くの家庭を見てきて痛感しますが、人間は本質的に「変化を嫌う」生き物です。 口では「何とかしたい」と言いつつも、現状が決定的に破綻していなければ、「様子を見る」という名目で10年、20年と同じ状態を維持してしまう。この「動かなさ」こそが人間のサガなのかもしれないと強く感じます。
藤野:私たちの家族は「完全家族(完全でなければならないという監視がある家族)」だったのだと、後にある専門家から言われました。父は自分の考えを絶対に変えず、母はそれに反論できず、姉は父のように生きようとしていた。科学者であるはずの父が娘の病に対しては合理的な判断ができず25年かかったわけですが、やはり父の意見を変えさせるっていうのは相当難しかったのだと思っています。
困難事例との向き合い方——責任を分散して、機が熟すのを待つ
春日:少なくとも現在の援助者の立場で言えば、こうした「フリーズ」した状態、打つ手がない場合にまずやるべきことは、「一人で抱え込まない」ことです。どうにも手が出せず見守るしかないのに、何かあったときに責任を問われるのはたまりません。ですから、私は「なるべく複数で当たれ」と言っています。
ケアマネ、保健師、医師、福祉の人など、多職種が集まってケースを検討する。この検討会をみんな「面倒だし良い結論が出ないから」と嫌がるのですが、「誰が考えても今はどうにもならない」ということを、専門家の集まりとしてはっきりさせる(宣言する)ことが重要なんです。そうすることで、「放置している」のではなく「見落としはなく、今は様子を見るのが妥当である」と、責任を分散させることができます。
藤野:実はこの本を読んで一番なるほどと思ったのが「もう頑張らなくてもいい」と家族に伝えることが大事だという主旨のところでした。私は若い頃、両親を激しく詰問していましたが、やればやるほど逆効果でした。実際、父は80代になって「頑張るのをやめた」わけですが、それをもっと早くにできなかっただろうかとはやっぱり考えますよね。
春日:「機が熟す」のを待つ、と言うと曖昧に聞こえるかもしれませんが、それしか言えない状況はあります。とにかく現在はやれることはやった、みんなで相談もした。そこまで行くと、周囲の人間の気持ちも落ち着いてきます。そして動きが出るまでスタンバイしておくということなんですよね。
医学的正解と「本人の幸せ」の折り合い
藤野:最終的に姉が入院できたのは、父の体力が衰え、母の認知症が進み、いよいよ限界が来たときでした。姉は父を崇拝していたので、父の説得でようやく自分から車に乗り、自発的に入院しました。3か月の入院で驚くほど回復しましたが、退院後、作業所への通所は断固拒否しました。
春日:精神科の治療では「はい、治りました」というわけにはいかないことの方が多い。すると何を目指すかというと、症状を可能な限り軽くするのは当然ですが、「本人にとっての幸せは何か」を考えなければなりません。一般的には「良くなったら作業所へ行って社会復帰」というパターンが示されがちですが、誰もがそれに乗ればいいわけではない。書籍『どうすればよかったか?』で、お姉さんが作業所を断固拒否したという箇所を読みながら、私は「よくぞ言ったぞ」と思いましたけどね。
藤野:そうなんですか(笑)。私は「外の刺激がある方がいい」と思って勧めましたが、本人が嫌がるものを無理にやらせることはできません。姉は最終的に病院で亡くなりましたが、最後に言った言葉も「うちに帰りたい」だった。結局、姉にとってはあの家にいることがよかったんですよね。
春日:本人の言い分を通すのか、あるいは家族の負担を考えて少し譲歩させるのか。そのあたりは「さじ加減」なんですよね。
無力さを抱えたまま「隣に座り続ける」
春日:最後に「なぜ精神科医になったのか」という質問を会場からいただいたのでお話しします。実は私は、最初の6年間は産婦人科医でした。当時は外科系の医師がかっこいいとされていた時代ですが、外科医は患者の話をあまり聞かないんですよね。でも私は割と患者さんの愚痴を聞いていました。気の利いたことなんか言えないけれど話を聞いて「よく話してくれましたね」「大事なことだと思いますよ」と言ったら結構感謝されたのです。自分が無力なことはわかっているけれども、せめて話を聞くだけでも役に立つのかもしれないと思ったのが一つです。
精神科医になってからも、ある病院で10年間一言も喋らなかった患者さんの横に(病室は畳部屋でした)、ただ毎日15分から30分、白衣を脱いで何もせずに座り続けたことがあります。何もしないでじっと座っているのは、実はものすごい苦痛です。ある日、何の期待もせず「そろそろお昼ご飯だね」と呟いたら、その人がボソッと「そろそろ飯か」と言ったんです。10年ぶりの言葉がそれかよ、と拍子抜けしましたが、同時に自分が精神科医として何とかやっていけそうだなとも思ったんですよね。
藤野:映像を作っていても、自分一人だけで考えていると感覚がおかしくなり、判断力も失われてしまうんですよね。考えてるうちにこれはもう作る必要はないんじゃないかって思ってしまって。私も、共同制作者の淺野(由美子)さんと出会うまでは、作品が完成しないことが多々ありました。こうして話をして、誰かと「どうにもならない現状」を分かち合うことが、フリーズを解く道なのかもしれません。
※本イベントのフル視聴アーカイブは、2026年5月25日まで 丸善ジュンク堂書店オンラインサービス にて配信・販売中です。
春日武彦
精神科医 1951年京都府生まれ。日本医科大学卒業。産婦人科医として6年勤務した後、障害児を産んだ母親のフォローを契機に精神科医へ転身。都立精神保健福祉センターを経て都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長、多摩中央病院院長などを歴任。現在は成仁病院名誉院長。精神保健指定医、精神科専門医。著書は『病んだ家族、散乱した室内』『臨床の詩学』『援助者必携 はじめての精神科・第3版』(医学書院)、『あなたの隣の精神疾患』(集英社インターナショナル新書)、『こころの違和感 診察室』(河出書房新書)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』(河出文庫)、『猫と偶然』(作品社)など多数。甲殻類恐怖症。

藤野知明
映画監督 1966年北海道札幌市生まれ。北海道大学を卒業後、社会人生活を経て日本映画学校映像科録音コースに入学。千葉茂樹監督に師事する。 2012年、家族の介護のため札幌に戻り、13年に淺野由美子と「動画工房ぞうしま」を設立。主にマイノリティに対する人権侵害をテーマとして映像制作を行なっている。 監督作品に、短編ドキュメンタリー『八十五年ぶりの帰還 アイヌ遺骨杵臼コタンへ』(17)、長編ドキュメンタリー『とりもどす』(19)、『カムイチェプサケ漁と先住権』(20)、『アイヌプリ埋葬・二〇一九・トエペッコタン』(21)など。 『どうすればよかったか?』(24)は山形国際ドキュメンタリー映画祭[日本プログラム]、台湾国際ドキュメンタリー映画祭、JAPANCUTS(ニューヨーク)、香港アジア映画祭など国内外で上映される。 現在、『アイヌ先住権とは何か?ラポロアイヌネイションの挑戦(仮)』のほか、サハリンを再取材し、先住民ウィルタ民族の故ダーヒンニェニ・ゲンダーヌさんに関するドキュメンタリーを制作中。 プロデューサー、撮影、編集を務めた淺野由美子監督『遊歩 ノーボーダー』が5月23日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。



