【vol.26】あなたは介護士になってはいけない | 私はミューズとゼウスのケアラーです
2026/05/12
韓国の介護現場で働く作家が送るケア文学
激しいスピードで高齢化が進む隣国で、 ケアの最前線に立つ作家による、初の日本語エッセイ連載スタート!! 昼は介護の仕事をして夜は文章を書く、作家イ・ウンジュの連載が始まります。日本の介護福祉士にあたる、「療養保護士」という韓国の介護の国家資格を持つイ・ウンジュさんは、自身もケアの現場に立ちながら、ケアに関する文章を韓国語で発表する数少ない作家です。
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そんなイ・ウンジュさんは韓国で、ケアについてのエッセイ三部作(『私は神々の療養保護士です』『こんなに泣いて疲れたでしょう』『東京因縁』)を出版して話題を集め、2023年には母親の在宅療養保護の経験を盛り込んだ『ケアの温度』を刊行しました。ケア三部作の『私は神々の療養保護士です』では、療養保護士として歩んだ療養院での日々から訪問介護に至るまでの道のりについて、『ケアの温度』では、誰かをケアする時の適切な距離感・温度感とレジリエンスについて、やさしい筆致で綴っています。この連載では、イさんの目に映った韓国の介護現場から、「ミューズとゼウス」のためのケアについて考えます。
最近、介護士について書き続けるべきか、やめるべきか悩んでいる。
理由は三つある。
第一に、同じ職場で働く同僚のソーシャルワーカーから、「高齢者の個人情報が漏れるおそれがあるため、SNS上に公開しないほうが良い」という意見を言われたこと。
二つ目は、先輩介護士に「2時間の在宅訪問のために、往復1時間を費やす必要があるのか」と悩みを打ち明けたところ、「この仕事は使命感がなければできない。そのような心構えがないなら、今すぐ辞めたほうがよい」と言われたからだ。まだ若いのだから他の仕事を探したほうがいい、という痛烈な指摘まで受けた。
そして三つ目の理由は、出版を念頭に置いて書いているものの、この本が果たして誰にどんな意味を持つのか、その問いに自分でもまともな答えが思い浮かばないからだ。
49年間、「自分」という殻の中に生きてきたからこそ、自分があれこれと言い訳を始めると、最後にはふっと背を向けてしまう人間だということを知っている。だから今は、「おっと、おっと、おっと」と、心を落ち着かせているところだ。
パク・ワンソの『母さんの杭』*にあるように、私の杭はあまりにも浅く、結ばれた紐も短い。立ち上がろうとしては座り込み、座り込めば横になりたくなり、横になれば「まあ、そんなこともあったな」と諦めてしまう。到底、これといった円が描けていない。
怠惰な私が動けるのは、ほとんどが小さくて弱いもの、幼いもののために何かをするときだけだ。餌を運んだり、守ってあげたりするときだけ。けれどいまは孫の世話があるために、いきなり逃げ場ができてしまった。孫を背負って走ろうとしたかと思えば、次の瞬間には孫の背後に隠れようとする自分がいる。
ああ、「私は介護士になってはいけないのだな」という自覚を持つことになるとは思わなかった。にもかかわらず、私は介護士でなければならないのだが。
会うたびにしおれていく母がいる。デイケアセンターに母を預けてから、私は仕事に出られるか不安だった。それに、従順な人でもなく、自分の力だけで生計を立ててきた母が、他人によって組み立てられた日常を乗り切れるのかどうか、それも疑問だった。
そもそも、私が介護士になったのは、立派な使命感のようなものがあったからではない。
ただ、自分の母を預けられる場所、未来の私が頼れる場所が気になっていただけだ。
それに、亡くなった祖母が恋しかった。祖母に似た人たちのそばにいたいと思ったからでもあった。
使命感は持っていないのに、いざ目の前にすると、何でもしてあげたくなって焦る自分自身とも、私はうまく付き合えなかった。
境界を知らない私。いつも境界を越えようと必死になる私は、たびたび胸が締め付けられるような気分になった。こんなに小心で、一体なんの役に立つのだろう、私は。
私は問い続ける。
私の文章のどこに、ミューズとゼウスの個人情報がありますか? 「ミューズ」と「ゼウス」という名前を借りたのも、その存在をできる限り匿名に近づけようとしたためでした。教えてください。私の文章のどこが、どの部分が問題なのですか? もしそのような部分があるなら、削除か修正をする必要があります。削除するか、修正すべきですよね。ジャーナリズムの基本だと思いますから。もしかして、ドンシムビルのことですか? あまりにも具体的に明かしてしまったのではないかと? おお、ドンシムという名前は、孫が通っていた保育園から取ったんです……。
私はただ好きだからやっているんです。
両手の不自由なミューズと散歩する道で、忘れていた風景に出会うのが好きだ。何も話さずに冬のベンチに座り、魔法瓶の水を分け合い、鳥のさえずりを聞く。帰り道には、ミューズの脇に腕を回して支えながら、「人の脇の下ってこんなに暖かかったのと」と感嘆するのも好きだ。
散歩のあと、重たい冬服を脱ぎ捨て、汗を流しながら、ミューズの足の指の隙間を拭いて、水気を拭き取ったあとのさっぱりした表情を見るのも好きだ。ミューズの寝室に入ることを許され、座ることができるという大きな光栄を味わいながら、新聞紙を広げて爪を丁寧に切ってあげるのも好きだ。
もし、最も身近な同僚が私の文章を読んで共感できなければ、いったい何の意味があるのだろう。
日刊紙を読むように、自分の文章の欠点だけを指摘しているうちに、私はもう疲れ切っていたのかもしれない。誤解を招くための誤解とも言えるだろう。
他人を信じられず、道義も常識も、あるいは暗黙の了解も、少しずつ失われた社会に私は生きているのだ。何かが起きたとき、被害に遭わないように、事件に巻き込まれないように、自分が責任を負わなくて済むように、と誰もが身構える社会の中で、果たして私は自分の声を発し続けることができるのだろうか?
私は、自信を失ってしまった。
それでも。
遠く釜山の療養院から、定期的にブログを訪ね、応援してくださる先生。ありがとうございます。もしかすると、あなたが私の最も身近な同僚なのかもしれません。
*韓国の小説家パク・ワンソの『母の杭』に由来。作中では「自分が生きてきた証」を固定したいために母親が自分の杭を打とうとする。『現代韓国短篇選 下』(2002年)に収録(山田佳子訳)。
著者紹介
イ・ウンジュ 이은주

1969 年生、作家、翻訳家。日本に留学し、1998 年に日本大学芸術学部文芸学科を卒業。20 代から翻訳家になることを夢見て、家庭教師として働きながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』(清水正)で夢をかなえる。その後も仁川国際空港の免税店で働きながら、休憩時 間は搭乗口 31 番ゲートで訳し、仁川への通勤電車でも訳し続け、『船に乗れ!』(藤谷治)、 『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(山極寿一)をはじめ、十数冊もの日本書籍を韓国に広める。おばあちゃんっ子だったイさんは祖母の逝去をきっかけに、高齢者施設でボランティア活動を始め、その後療養保護士の資格を取得。昨年からは認知症になった実母の介護を行う。「ケア」と「分かち合い」について、文学の一形態として追及してみたいという気持ちから、高齢者のケア現場についてのエッセイを三部作で発表し、韓国で共感を呼ぶ。現在、
