死をことほぐ社会へ向けて 第7回

2025/05/02

「生活第一」に向けて ……生活とは何か

誰にもいずれ「死」は訪れる。多死社会を迎えた現在の日本において、いずれくる「死」をどのように考え、どのように受け止め、そして迎えるか。医療、介護・ケアの問題とあわせて、みなさんも一緒に考えてみませんか。


名郷 直樹(なごう なおき)
武蔵国分寺公園クリニック名誉院長

1961年、名古屋市生まれ。自治医科大学卒業。へき地医療に従事した後、2011年に西国分寺で「武蔵国分寺公園クリニック」を開業。2021年に院長を退き、現在は特別養護老人ホームの配置医として週休5日の生活。
著書に『いずれくる死にそなえない』(生活の医療社)、『これからの「お看取り」を考える本』(丸善出版)など。
人生の困難さに対処する方法を、YouTube(名郷直樹の診察室では言いにくいこと)で発信中。

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「生きながらえる」という視点

 前回の「健康」に引き続き、今回は「生活」についても考えてみる。漢字の成り立ちから見れば「生きて活動する」ということだろう。『広辞苑』(岩波書店)によれば「生存して活動すること、生きながらえること」「世の中で暮らしてゆくこと」とある。『広辞苑』はさすがだと思う。「生きながらえる」「暮らしていく」、この定義から感じることは、そこに意志とか選択とかはなく、コントロールしようとする視点がないということである。
 「すべてが満たされた状態」と定義された健康は、意志をもってすべてを満たす方向へ、自分自身を、さらには社会をコントロールしようという方向へ向かう。これに対し生活の視点は、「生きながらえる」「暮らしていく」と表現されるように、何とかしようとする方向性が希薄だと言える。
 「生きながらえる」というのは、普段あまり耳にしないし、自分自身もあまり使ったことがないフレーズだが、ここには「仕方がないけど生きている」というようなニュアンスがある。「仕方がない」が言い過ぎなら、「何とか生きている」と言ってもいいかもしれない。そこには幸せを超越したところがある。「不幸でも仕方がないよね」という感じ。この「生きながらえる」を私なりに言い換えてみると、「いやいやながら生きる」「不幸でも生きる」「とにかく生きる」というところである。

 

「暮らしていく」という視点

 それでは「暮らしていく」というのはどうか。暮らしと生活を並べてみると、暮らしは日常そのものという感じがするが、生活には学術的なにおいがする。医学論文で「生活」は見かけるが、「暮らし」はほとんど見かけない。医学論文ばかり読んでいる筆者個人の印象に過ぎないが、実際に家を建てたという友人を訪ねたときに、「いい暮らししてるな」とは言っても、「いい生活してるな」とはあまり言わない気がする。話し言葉では「生活」より「暮らし」を使うほうが多いかもしれない。逆に活字になると今度は「生活」のほうが「暮らし」よりよく使われるような気がする。こんなことを考えると、ここで取り上げたい「生活」は、日常的な話し言葉の中で使われるものとして、「暮らし」と言った方がいいのかもしれない。
 生活は、英語では「life」である。lifeには日本語の生活や暮らしの意味のほか、人生、生命という意味もある。人生というと、ある時点のことではなく、時間経過を含む。それに対して暮らしは、今という時間を取り上げている気がする。ただ暮らしは時間経過とともに継続していく。「生きながらえる」暮らしの連続が人生である。

 

健康第一から生活第一へ

 健康に対する医療のアプローチは、今の問題を将来解決するところにある。これまで使ってきた言葉で言えば、今のことより、将来のコントロールを目的としている。それに対して生活、暮らしは、今の問題点だけではなく、全体をさす。さらに英語では暮らしの連続性、時間経過を含む人生の意味もあるが、時間の経過はコントロールできない。とにかく進むしかない。巻き戻すことはできない。だからコントロールを目指すばかりでは対応できない。コントロールできないままに時間が過ぎていく。
 健康は一部の問題であるが、生活、暮らしは全体である。生活、暮らしは健康よりはるかに大きなものである。また、健康は将来へ向けて問題の解決を目指すが、生活、暮らしは今を重視する。人生には必ず終わりがある。健康は終わりに向けて失われるし、将来を考えても仕方がないところへ行きつくが、生活は生きている限り続くし、将来がなくても死ぬまで今がなくなることはない。

 

 同じことを繰り返して言っているだけかもしれない。しかし改めてもう一度言っておこう。高齢社会において、健康第一はいずれ破綻する。破綻したところで生活は続く。健康第一から生活第一へという社会の方向転換は、すでに避けがたいものとなっているのではないだろうか。そこでは医療だけでなく、介護・ケアこそ重要である。