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とんちンカン~福祉・介護・看護・医療の発想デザイン

その人らしい

「その人らしい」とは?
「その人らしい」人生
「その人らしい」介護

「その人らしい」とは?
「その人」はまるごと
「らしい」はある推量

「らしい」は時代遅れ?
男女共同参画社会では
「女らしい」は死語か

同じ「らしい」なのに
どこが違うのだろうか?
いや「違うらしい」か

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◎「その人らしい介護」は介護現場でも教育でも「当然」のことのように強調される。
 でも、不思議な感じがする。なぜなら「その人」はまるごと「その人」であるが、「らしい」は推量なので「その人」そのものではなく近似である。
 あるいは「リンゴ」に置き換えれば、「リンゴらしい」の「リンゴ」は丸ごとの「リンゴ」だが、「らしい」がつくと「リンゴ」そのものではない。
 さらに「男女共同参画時代」では「男らしい」も「女らしい」も時代遅れといわれるらしい。
 「その人らしい介護」という目標は、「目標」ではなく「目標らしい」のかしら。

◎コメント総数は昨年末で300を超えたので、3月末までには365になるかもしれない。そうすると「一日一コメント」にもなるかな。コメントへの感謝を込めて。


コメント


 長らくのご無沙汰でした、沖縄の稲嶺君です。

長崎造船大学日比野ゼミ、まちづくり研究会の稲嶺君は沖縄でまさに学生時代の稲嶺君~らしく~生きています。

 明日3月24日、沖縄では党派や宗派を超え県民に愛された筑紫哲也さんのお別れ会が「那覇市民会館大ホール」で行われます。

沖縄復帰運動の最中、朝日新聞記者として沖縄に赴任、その後常に弱者やマイノリティーの立場に立ち発言してきた姿勢に県民は感謝しています。
 
私が今思っていることは、どのテレビニュース報道番組を観ても、沖縄の声は本土には届いていません、沖縄県民の良き理解者であり代弁者であった筑紫さん亡き後、県民ひとり、ひとりが考え、ささやかでも今語れる事を語る時期に来ていると思います。

私自身も一年間の試行錯誤の末ついに、決断しました。

沖縄の声を発信する、民宿「島人ぬ宝」の工事を始めました。

工事の様子や私の独り言を1月29日よりブログにて発信しています。
興味のある方は沖縄「てぃーだブログ」オキナワアイデンティティークライシス民宿「島人ぬ宝」工事中、観てください。


投稿者: イナミネ セイリョウ | 2009年02月23日 21:37

福祉の分野では、当たり前のように「その人らしい」という言葉が使われ、私は、それが当然のように思い、あまり深く考えたことがありませんでした。
援助は画一的なものから、個別的なものへと視点がおかれてき、その変化の際に、個々人の特徴に最も近い援助の提供として、「その人らしい」という言葉が生まれてきたのですかね(・▽・)
色々と深く考えていくと、言葉や物事の原点を知りたくなってきますね(´∀`人)


投稿者: SY | 2009年02月24日 22:14

「私からの食事介護を受けてから、高齢者たちは、子供らしい笑顔を見せました。高齢者たちの笑顔を見ると、その子供らしい笑顔が自分の顔にも表れたことは感じました。」。正しい日本語の表現ですか?


投稿者: 中国大連大学 王 国忠 | 2009年02月26日 12:30

なるほど「らしい」には2つの意味があるのですね。また気付かせていただきありがとうございます。
後輩の稲嶺君のように「自分らしい人生」を築いている姿は、「自分」という対象と「人生」という目標が明確であるので「稲嶺君らしい」は正しい表現です。
「その人らしい介護」となると、「その人」とは誰か?対象が曖昧であるので、私は「その人(それぞれに)にあった介護」と使うべきではないかと思います。
曖昧な態度を表現される「お前らしい」より、明確に自分の人生を表現する「自分らしい」私でありたいと思います。


投稿者: iwa | 2009年02月26日 23:35

らしいは、日本語的でいい言葉だと思います。
その人らしい介護とは、介護する人がその人のことを考えて一生懸命する。だからその人に合っていないかもしれない。でも色々考えていくうちに、その人に喜んでいただけるお世話が出来るようになると思います。


投稿者: 西川 | 2009年03月01日 07:04

「○○らしく」という表現は、完全無欠を想定した「姿」の想像型のような感じを持つことがあります。つまり理想的状況を髣髴(彷彿?)させる響きを感じます。私は発達障害者である知的障害者とともに暮らしている年月が長いため、「向こう三軒両隣り、一病息災、これ結構」の理念で仕事に当たっていますので、「それなりの○○」という表現をする場合が多くありますが、発展(発達)状況にある場合は、「○○らしい」の「○○」の基点が「どの状態」「どの年齢」「どの地位」など、どこに基点を置くのか、その人の抽象的場面を捉えるとするならば、明確な答えを見出せない気がするのです。
つまり、発達障害の場合は今の状態を「受容する事」が次なる進歩、進展への基点の大切な一歩としたいからです。
いつも日比野先生の言霊には深い意味があり、感謝しています。


投稿者: ほかにわ | 2009年03月02日 10:01

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
日比野正己
(ひびの まさみ)
長崎純心大学大学院教授&現代福祉学科教授。福祉のまちづくり+バリア・フリー・デザイン=福祉デザインを提唱する日本初の博士(社会福祉学)。独自のHM(叡智・笑む)法によってバリアをフリーにデザインするプロの技を建築・福祉などの分野で楽しく深く教授すること30年以上。著作多数。
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