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とんちンカン~福祉・介護・看護・医療の発想デザイン

介護の専門性

介護は「介」「護」である

「介」はいとも微妙である
お節介だと 相手が困るし
お厄介だと 自分が困るし
節介でも厄介でもない介在
それが「介護の妙」である

「護」はいとも即妙である
弁護なら弁じて人権を護る
看護なら看守り生命を護る
介護なら介して○○を護る
それが「介護の力」である

「介」だけで専門の技あり
「護」だけで専門の力あり
「介」と「護」が織りなす
「介護」の専門性と独創性

「介護」は微妙で即妙なり

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◎12年前、日本で初の社会人向け夜間大学院である東洋大学大学院社会学研究科福祉社会システム専攻教授として長崎から招聘されたとき、そうそうたる社会人が白山キャンパスの日比野ゼミに参加した。その一人のTさんの修論テーマは、最重度の夫を20数年間も介護した体験をもとに切望してきた「介護の社会化」だった。ある日のゼミ、HM法式介護論を当意即妙に披露したが、それが本日のブログの内容である。
 「介護とは、○○を介して、○○をどのように、護るのか?」という発問は、私が福祉・介護関係で講演するさいの急所であり、専門性と独創性を探求するコツだと思う。つまり、第1は何を介するのか、第2に何を護るのか、第3にどのように護るのか、を「介護される人」に応じて対応することである。それはたんなるマニュアルではすまないのではないか。
 介護現場でも教育現場でも、たまには「介護」という二文字の日本語の奥深さを思索するといいだろう。「介護」は大事な仕事だから。

◎コメントや感想は短くても「言の葉」の栄養になります。よければ知人・友人にも「とんちンカン」を紹介し、ネットワークで大樹に育てていきましょう。

◎このブログはおもに家庭介護に関わる人への感謝と尊敬をもとに書いています。発想のデザインが楽し嬉しの瞬間になればと思います。私は「日本初」を大事にしていますが、文字化した人がいるかもしれません。そのときはお知らせください。


コメント


今回のテーマ。
「介護」は私の活動の最大課題。
15歳で歩行できなくなり64歳の今日、我が手で僅かに箸でパソコンを打てるだけ。食事も自ら出来ない。
この約20年間、全てを家内が365日行ってきた。1日たりと離れた日がない。それも働きながら。
確かに「介護の社会化」は全ての方達に異論はない。しかし、現実の社会化は経済介護化。スケールメリット、効率・利潤の介護。
其処には人間としての「あい・愛」や「人情」が欠落していると感じる。
日比野先生の○○を私は介護されてきた者として「ひと・人」を入れたい。看る者、看られる者がひとのあり様で決まる。


投稿者: 森章二 | 2008年06月13日 12:31

「介」,「護」の文字のお話,興味深く拝読させていただきました。介護には,人と人との良い関係が必要なのでしょうね。介護に限らず,お節介でも,ご厄介でもない人間関係をつくっていきたいと思っています。


投稿者: 和佐 | 2008年06月13日 17:53

「(技術)を介して、(生活)をどのように、護るのか?」
これは、私が日比野先生からはるか30年程前に学んだことです。
その人(たち)の立場にたって、いかに生活しやすい建築物にするかという技術(考え方)について、
渡辺千恵子さんの住宅づくりなどを通して学びました。
当時、個人の技術者のとっぴな建築デザインが好まれる風潮に合って、この考え方は驚きでした。

私は、先生に学んだこの考え方を30年間
持ち続けています。
住宅改造によって、生まれて40数年間、排泄を母親に頼ってきた人が、自分でトイレができるようになったこと。
誰もが望んだコンビニなどの身近な小規模施設を
条例という規制でバリアフリー化を図ったこと。
公共施設を建築する際には、市民の意見を設計に反映させるようにシステムを作ったこと。
人を大事にする心、そして技術。
介護の基本的な考え方を日比野先生に学んだと思います。有り難うございました。


投稿者: iwa | 2008年06月14日 00:42

私も姑の面倒を看て来たが(脳梗塞で失語症)、かいごは、私にとってこころがあり、とても崇高なものです。なので、私は介護したとはいえません。介護は、される方から見て考えなければいけないと思います。森章二さん、どうぞ今の幸せを感じてくださいね。コメント楽しみにしています。奥様のコメントも聞きたいです。このブログは、日常きずかない事を教えてくれ、心が洗われます。


投稿者: 西川 | 2008年06月14日 07:12

日比野先生の「介」の専門の技と「護」の専門の力は、正確で精彩な解釈である。
「介護」は、第二版の広辞苑にはまだ載っていない。第三版にはあるかどうか調べていないが、第四版の広辞苑に掲載されていた。そこには、「「介護」は固有な言葉ではなく、高齢化の進展によって生まれた「介」と「護」の織り成す言葉」だと書かれている。
中国も漢字を使う国で、「介護」という言葉も、近年使われるようになった。最初に「介護」という言葉が生まれたとき、「介」に「心を入れる」という意味が含まれると考えたのであろう。だから「人間の心」と「専門の力」で高齢者を「介護する」ことになったのである。
きっと、「人間の心」を「専門の技」と結びつければ、「専門の力」はもっと強くなるのだろう。


投稿者: 中国大連大学 王 国忠 | 2008年06月14日 10:31

西川様へ

長年の姑さんの介護、お疲れ様。
一生を福祉活動で終わる者として、この国の施策は物理的な資金は掛けますが、人に掛ける資金は少な過ぎますし、現場で働かれる方々からの搾取(誤解なく、政治理念の事ではありません。)が多い。
ささやかな建物でも、介護に関わる方達の心のあり方で介護される側の幸せ感が決まります。介護者に余裕支援を。
西川さんの書かれた事はよく分かります。感謝。働きながらの老・老介護ですし。ただ、よく喧嘩もしますよ。(笑)

西川さん、家内曰く、本人を目の前にして書き難いそうです。笑っていました。有り難うとも言っております。>(~.~)<


投稿者: 森章二 | 2008年06月18日 11:05

私は、まだお世話をさせて頂いた事がありません。きっと介護から学ぶ事は多くあるのでは、、、?でも、やはり大変な事の様に思います。
介護が出来る自分をとても幸せであると思えるような人になりたいと思います。


投稿者: M.I | 2008年06月19日 09:02

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
日比野正己
(ひびの まさみ)
長崎純心大学大学院教授&現代福祉学科教授。福祉のまちづくり+バリア・フリー・デザイン=福祉デザインを提唱する日本初の博士(社会福祉学)。独自のHM(叡智・笑む)法によってバリアをフリーにデザインするプロの技を建築・福祉などの分野で楽しく深く教授すること30年以上。著作多数。
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