強度行動障害のある人とのコミュニケーション②

2025/06/12

村上靖彦(むらかみ・やすひこ)
大阪大学人間科学研究科 教授
著書に『ケアとは何か』『アイヌがまなざす』『傷つきやすさと傷つけやすさ』などがある。

 

※ 本記事は、『おはよう21』2024年8月号に掲載された「ケアを聴く ベテラン支援者には何が見えているのか(第4回)を転載したものです。

 

「日々の現場実践で思うこと」「目指すべきケアの形」……。
ベテラン支援者による「ケア」をテーマとした語りには、その人なりの「ケア観」が見え隠れします。
本連載は、それをつぶさに拾い上げ、整理・分析するものです。
介護現場における「ケア」という営みの複雑な諸相を、ちょっと立ち止まって見つめてみましょう。


第4回 好きなものを発見する冒険
──伊名岡宏さん(社会福祉法人北摂杉の子会)へのインタビューより

いなおか・ひろし
2006年入職。「レジデンスなさはら」(共同生活援助)の管理者・サービス管理責任者。「知的障害者生活施設 萩の杜」(施設入所支援・生活介護)の支援員として3年、「大阪府発達障がい者支援センター アクトおおさか」(発達障害者支援センター事業)の相談員として4年勤務した後、現職場で働き始め、12年目となる。


#お風呂

 伊名岡さんは、言葉のない利用者さんたちの好きなものを発見することを重視していた。好きなものを発見することは、利用者の個性がわかるということでもある。

 

伊名岡 お風呂も本当に利用者さんが違うと入り方が違うので面白いんですけども。面白いっつったら変か。入浴剤を入れる人とか入れない人とか、最初に湯船、漬かりたい人とか、最初に体、洗いたい人とか、あとシャンプーにこだわる人とか、いろんな方がいらっしゃいますね。〔お風呂の担当は〕他のスタッフなんですけど、のんびり漬かってもらう感じですかね。ラジオをかけてみたりとか。最近、スマホに防水ケース、入れて、YouTubeですごい音楽が流れてるなかでお風呂、入ってたりとか。『みんな、優雅だな』とかって思いますけど。一人ひとり、入り方も違うし、入ってる時間も違うし。かといえば、お風呂、上がった後のジュースが楽しみ過ぎて一瞬で上がっちゃう。こっちから見ると上がっちゃう。

 

 好きなものを見つけることで、利用者は一人ひとり違った個性をもった人として個別化していく。このことを伊名岡さんは「面白い」と評価している。困難やニーズに応じて環境を個別に整えていくこととは異なる、内発的な「好き」や「やりたい」に応じて個別化していくのだ。
 さて、第3回に登場したAさんは、床屋に行くことができるようになったのだが、次の場面ではスーパー銭湯を楽しんでいる。ここでこの人の個性がわかってくる。好きなことにおいて、今までは難しさが際立っていたAさんもポジティブに個別化していくのだ。

 

伊名岡 お風呂、入って、お風呂で歌、歌いながらとか、笑いながら笑顔で。『この人、お風呂、好きなんだろうな』というのが。そういう方ってスーパー銭湯。〔…〕うれしそうで。
 去年とか、コロナで通所施設とかが閉まったりするんですよね。そしたら行けないので暇なんですよね。そしたら暇だから、こっちも『何しようかな』みたいな。『そうだ、お風呂に行こう』って思ってお風呂、行ったら、見たことないぐらい笑顔で。バシャバシャやってましたけどね。でもコロナだから人、少ないから、「今はいいよ」って感じで見てましたけれども。そういった地域で楽しんでる姿っていうのは非常に面白いですかね。見てて、『よかったな』っていう感じがしますし。その利用者さん、ちょっと言葉があるので、次の日からずっと言うわけですよ、「お風呂、入った」っつって。本人として楽しかったんだろうなとは思いますし。
 そういう姿は他の職員が見たりすると、「自分も行ってみようかな」みたいな感じで。ずうっとその利用者さんと10年ぐらい付き合ってくれるパートさんがいるんですけども、パートさんともこの間、それを行ってもらって。パートさんもうれしそうに帰ってくるし、本人さんもうれしそうに帰ってくるし。『幸せって、こういうこというんだろうな』とか思いながら見てましたけども。
 生活支援って面白いのは、ただ「お風呂とかに行ってます」「ご飯食べてます」。それは〔施設のなかだけじゃなくて〕外でもできるので。それがいろんな場所でいろんなときにできるので、非常にアレンジができるなといいますか。多分、利用者さんが違う姿を。たまにはちょっとパニックになって帰っちゃうんですけども、そこが面白いんですよね。

 

 この場面では、コロナ禍での社会の変化による利用者の生活への影響を、ケアによって環境に工夫をこらすことでカバーしている。利用者が社会のなかで「見たことないぐらい笑顔」で「楽しんでる姿」、これが「よかった」という価値を生む。
 スーパー銭湯にチャレンジしたことで、Aさんは社会のなかでの楽しみを一つ見つけており、社会との接点が増えている。そして、お風呂がすごく好きというポジティブな個性が見えてくる。さらに、利用者の楽しみの幅や伊名岡さんの支援の幅が拡がるだけでなく、パートさんにとっても「うれしさ」の幅が拡がっている。Aさんをきっかけに、今度は伊名岡さんだけでなく他の支援者がAさんとの外出にトライし、「うれしさ」を共有する。Aさんを軸にして、さまざまな仕方で支援の幅が拡がる。
 「外でもできる」のは大事なことだ。グループホームは居住施設なのだが、伊名岡さんの支援は一貫して、どのように社会に出て交流し、環境を拡げていけるのかにかかわっている。
 もちろん、常にうまくいくわけではない。「ちょっとパニック」になることもあるが、「そこが面白い」、つまり、失敗の可能性を含みつつもチャレンジしていくことが「面白い」のだ。伊名岡さんの語りにおいて、「面白い」「楽しい」は利用者の行動が「わかる」場面で登場したが、失敗もあるなかでこそのチャレンジを表現することが次第に明らかになっていった。


#社会、家族、好きなもの探し

 社会と接点をもてた体験を示すがゆえに、利用者にとっても伊名岡さんにとっても「うれしい」場面が意味をもつ。

 

伊名岡 そうですね。地域で楽しめてるってうれしいですよね。ここで楽しめてるのもうれしいんですけど、地域で楽しめてるのも、それも楽しいみたいな感じですかね。

村上 ちょっと思ったのが、きっと自宅にいらしたときにはかなり難しかった……。

伊名岡 そうですね。だからお父さん、お母さんとしか行けなかった。ごきょうだいとか。でも今は、もちろんお父さん、お母さんも行ったりしますけども、いいか悪いかは別として、職員の方〔が〕、ちょっと変わるんですね、行き先とか食べ物とか。例えば今、言っちゃあれだけど、「きょうはハンバーグ食べてみたら?」とか。でも、そういうちょっと違う所に行ってみれる、行った結果、それがはまる人もいれば、『やっぱ違ったな』って人もいますけど。多分、家にいた頃は難しかったことが行けるようになったりとか、『こっち〔=スタッフ〕が行けるようになると行けるんだってな』って、家族さんが行けるようになったりとか。そしたら家族さんとしたら、やっぱり自分の子どもとそういうのやりたいという気持ちもあったと思うんですけど、うれしそうに「できました」みたいな感じもあったりしますね。〔…〕
 もちろんいろんな支援もしますけど、そしたら家族さんも「行ってみるか」なんてことも言っていただいて。その人にとってもいいことかなと。家族さんとも行けるし、職員とも行けるし。それこそ〈誰と暮らす〉ってのもあるんですけど、〈誰と行く〉ってのも本来はあるはずなんで、1人で行くとかはなかなか難しいんですけど。『〈誰と行く〉が選べるようになるというのも本当はいいよな』と思いながら。

 

 「地域で楽しめてるってうれしい」という伊名岡さんの語りでも、「うれしそうに〔外出〕「できました」」と家族が語る場面でも、やはり本人が社会で楽しむことについて「うれしい」と形容される。「うれしい」は「地域」で「楽しい」ということだ。
 「いいか悪いかは別として」という留保のもとでではあるが、好きなもの探しは、支援者のほうが家族よりもチャレンジしやすい。スタッフが行けると「家族さんが行けるようになったり」する。あるいは、支援が好きなもの探しのチャレンジとして成立している。支援者がチャレンジしてみてうまくいったものを、家族も試みることができる。こうすることで、家族にとってのできること探しともなる。一つチャレンジしてできるようになったことは、連動して他の人とのあいだでも拡がっていくのだ。Aさんとの伊名岡さんの外出が他のスタッフに拡がり、今回は伊名岡さんとの外出が家族との外出に拡がった。
 別の視点からもいえることがある。このようなチャレンジは、「〈誰と行く〉が選べるようになる」チャレンジだ。逆にいうと、重度の知的障害のある人たちは「選ぶ」自由をもっていない。ここまでは、利用者と環境とのやりとりと調和の模索が話題となってきた。これは、欲望に幅を生んで環境との接点に幅・余裕をもたせることだ。さらに、「誰と行く」を選ぶことは、利用者と社会という環境とのあいだをつなぐ媒体であるサポーターに幅をつくるということだ。媒体もまた、利用者にとっては環境の一つだが、より外側の社会環境とつながるために社会とのあいだにはさまるサポーターという媒体的環境だ。社会環境の幅を拡げてハンバーグを食べられるようになるとともに、ハンバーグをともに食べる人の幅も拡がることで、環境との接点の選択肢の可塑性、ゆるみが拡がるのだ。


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