強度行動障害のある人とのコミュニケーション①

2025/05/29

村上靖彦(むらかみ・やすひこ)
大阪大学人間科学研究科 教授
著書に『ケアとは何か』『アイヌがまなざす』『傷つきやすさと傷つけやすさ』などがある。

 

※ 本記事は、『おはよう21』2024年7月号に掲載された「ケアを聴く ベテラン支援者には何が見えているのか(第3回)」を転載したものです。

 

「日々の現場実践で思うこと」「目指すべきケアの形」……。
ベテラン支援者による「ケア」をテーマとした語りには、その人なりの「ケア観」が見え隠れします。
本連載は、それをつぶさに拾い上げ、整理・分析するものです。
介護現場における「ケア」という営みの複雑な諸相を、ちょっと立ち止まって見つめてみましょう。


第3回 言葉のない世界のわかりやすさ
──伊名岡宏さん(社会福祉法人北摂杉の子会)へのインタビューより

いなおか・ひろし
2006年入職。「レジデンスなさはら」(共同生活援助)の管理者・サービス管理責任者。「知的障害者生活施設 萩の杜」(施設入所支援・生活介護)の支援員として3年、「大阪府発達障がい者支援センター アクトおおさか」(発達障害者支援センター事業)の相談員として4年勤務した後、現職場で働き始め、12年目となる。

 

 社会福祉法人北摂杉の子会は、自閉症や知的障害のある人たちを支援する施設を複数展開している。伊名岡宏さんへのインタビューは、そのうちの一つであるグループホーム「レジデンスなさはら」のリビングで行った。この施設には、重度の知的障害や自閉症とともに強度行動障害(★)のある人たちが住んでいる。

 

★強度行動障害とは、本人の健康や安全を損ねる行動(自分のからだをたたく、食べられないものを口に入れる等)や、周囲の暮らしに影響をおよぼす行動(他人をたたく、物を壊す等)が著し高い頻度で起こるため、特別に配慮された支援が必要になっている状態を指します。


#行動はわかりやすい

 まずは、強度行動障害のある人とのコミュニケーションについて語られた場面を取り上げる。

 

伊名岡 行動で示していただけるというのは、僕らとしたらすごくわかりやすい。ただ、それが他者を傷つけるものとか、自分を傷つけるものだったら、それは減ったほうがいいなとは思いますけども。言葉のない世界って、すごくシンプルでわかりやすいというか、コミュニケーションとりやすいな、とは思うんですよね。
 よく「言葉のない人とどう対応するんですか」とか、「言葉なくて、どうやってコミュニケーションとるんですか」って言われるんですけど、『言葉がないからコミュニケーションとりやすいよ』って、逆に僕、思ってはいるんですけど。『言葉あるほうがコミュニケーションとりにくいんだけどな』って、ちょっと思うんですよね。〔言葉が〕うそってわけじゃないけど、真意じゃないことを言えちゃうので。行動ってそんなにうそつけないというか、気持ちから行動に出るので。〔…〕こっちも行動でお伝えをしないといけないんですけれども。その世界は面白いなとは思いますし。特に重度知的障害でずっとやってるのは、そこが面白いっつったら変ですけど、楽しいですよね、コミュニケーションとってるっていう。〔…〕
村上 ジェスチャーじゃない。
伊名岡 叩きに来るので。ジェスチャーじゃなくてこうっとか〔叩く身振り〕。すごくそわそわしてるなとか。ジェスチャーはわかりにくいんですけど、行動はすごくわかりやすいっていうか。本人はしんどいでしょうけどね、それしか言えない。面白いですね。行動とか目線とか、今、どこ見てるなとか。

 

 伊名岡さんは、言葉のない世界はわかりやすく、「コミュニケーションとりやすいな、とは思う」と語る。
 他の何かを表現しようとするジェスチャーは「あやふや」なのでわかりにくいが、行動は言葉と結びつかず、直接志向対象へと向かうので、「シンプルでわかりやすい」。叩く動作や目線はそのまま気持ちを示すのだ。つまり、行動や目線は、対象へと直接向かうベクトルをもつ。たとえば叩きに来るときは、ベクトルが怒りの対象に直接向かう。ジェスチャーは何か別の事柄の表現であるから、志向している対象へと直接向けられるわけではない。
 「強度行動障害」とは、マジョリティ側から見て行動が理解できず、乱暴に自傷や他害をすることでマジョリティの秩序を乱すがゆえにつけられた名前だといえる。つまり、名称そのもののなかに排除と無理解が含まれているが、伊名岡さんはそもそもこの言葉をほとんど使わない。そして、理解と社会へのつながりを生み出すことでこれを覆そうとしている。このような行動によるコミュニケーションを「面白い」「楽しい」と形容する。


#行動でつながっていく

 伊名岡さんは、一緒に同じ行動をしてみて利用者の意図を理解しようとするのだが、意図の実現においても、言葉よりも「一緒にする」行動が優先される。

 

伊名岡 多分、自分の性格の問題ですけど、言うよりやったほうが早いと思ってしまって、それ〔言葉がある利用者さんの相談業務やるん〕だったら、〔言葉がない利用者さんの〕現場に戻って「現場で直接支援のほうを一緒にやろうよ」とか、困ってることあったら「市役所に一緒に行こうよ」とか、そういった言葉でうまく、本人さんの気持ちにつながっていくというよりは一緒にしていくという、行動でつながっていくほうが得意なので、『多分、そういうことなのかな』みたいな。

 

 伊名岡さんは、利用者が行っているのと同じ動作をまねて一緒にやってみるだけではなく、「一緒にやろうよ」と伴走することでともに社会に出ていこうとする。
 行動は、単にコミュニケーションであるだけではない。「一緒にやろうよ」「一緒に行こうよ」と「行動でつながっていく」と、市役所の手続きのように利用者一人では実現できないことについて、ともに行動することで具体的な結果が生み出される。同じ動作をしてみることで「わかる」だけでなく、「一緒にしていく」ことで「つながっていく」のだ。
 「わかる」だけの場合には、その結果何かをしてあげる対応をとることとなり、支援と被支援の非対称性は大きいものとなってしまう。一方で、「一緒にしていく」ときには事情は変わり、重度の知的障害をもつ人たちの可能性を拡げることになる。社会との接点を拡げていくことをテーマとした語りがこの後で展開されていくが、その前提となるのは、利用者と支援者が「行動でつながっていく」ことである。伊名岡さんは、利用者が社会に出ていくための媒体・サポーターになるのだ。


#だんだんわかる

 言葉のない人たちは「わかりやすい」という逆説から始まった伊名岡さんの語りだったが、次第に「わかる」ことの難しさへと話題が進んでいった。
 ある利用者さん〔仮にAさんとする〕は、虐待を受けて育ったこともあり、対人関係の面でも生活面でも非常に大きな困難があるという。ここから段々と、支援者が利用者について「わかる」ことを模索する視点とともに、利用者の視点で環境とどのようなやりとりをして調和を見出していくのか、ということが話題となる。

 

伊名岡 一回、〔同居しているAさんは〕3年前に入っていたので。〔…〕最初の3、4年間はすごい、みんな、パワフルで、いろんな物、壊したりとかしてたんですけど。私たちの支援がやっと追いついて、5年目ぐらいから壊さなくなったんですけど。この方は今、3年目なんで、ばんばんに。
村上 最初はやっぱりいろいろ、物に当たっちゃうというか。
伊名岡 物に当たりますね。やっぱり3年から4年かかるんですよね。1年目はこっちもわからないし本人もわからないので、お試し〔行動〕してたりするんですけど、2年目ぐらいはちょっとわかってきたかなというなかで、わかってきたからこそ起きちゃう行動というのあるんです。慣れたから出ちゃうパワーみたいな。あとは四季折々があるので、春、夏、秋、冬で行動が若干、変わったりするので、2年目に入って、「これ、去年もあったよね」とかなって、3年目になってきたら春だとか、夏だとかやって、そういうのがわかり始めてくるのが3年目ぐらいですかね。4年目ぐらいになってくると、そういう季節感もわかってくるし、本人さんのことも、本人さんがこっちのこともわかってくるので、だいぶと落ち着いて、そこからじゃあ地域にどう出て行くみたいな感じでなりますかね。大変ですけど、うまくいけばお互いに信頼関係ができていくかもしれない。お互いに乗り越えていくかもしれない。

 

 「1年目はこっちもわからないし本人もわからない」、つまり「わかる」プロセスは支援者の側と利用者の側双方の問題であり、お互い「わからない」ところからサポートが始まっている。お互いがわからないときにはお試し行動が出る。インタビューでは、まずは伊名岡さんの視点で利用者が「わかる」かどうかが主題だったのだが、だんだんと利用者自身からの視点もせりだしてくる。
 2年目になって本人も「ちょっとわかってきた」ときには、それゆえにこそ「出ちゃうパワー」があり、何かを訴えるために物を壊してしまうのだろう。
 3年目からは、四季の行動のパターン、すわなち「季節感もわかってくる」「本人さんがこっちのこともわかってくる」ので落ち着いてくる。つまり、お互いがわかることにより「支援がやっと追いついて」、本人と環境の関係が調和的なものになっていく(本人の視点からは環境が理解可能なものになるということであるし、環境の側がうまく本人に合わせてフィットするということでもある)。理解は双方向のものなのだ。
 インタビューのなかで、「たどり着く」「追いつく」という表現が何度か登場した。伊名岡さんには、追いかけたり追いついたり追い越したりという支援のイメージがあるようだ。そして、支援が追いついたときには、社会に出ていくチャレンジができるようになる。
 利用者のそのつどの行動は、瞬間的な反応かもしれない。しかし、2年、3年の四季のめぐりというサイクルでかかわることで、瞬間瞬間だった行動に、同じパターンが繰り返されるリズムや成長する時間が導入されていくのだ。


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