精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会をつくるために 第7回:高校生〜大学入学―葛藤の大きかった進路選択
2025/05/09

みなさん、こんにちは。2001年生まれの大学生で、精神疾患の親をもつ子ども・若者支援を行うNPO法人CoCoTELIの代表をしている平井登威(ひらい・とおい)です。
「精神疾患の親をもつ子ども」をテーマに連載を担当させていただいています。この連載では、n=1である僕自身の経験から、社会の課題としての精神疾患の親をもつ子ども・若者を取り巻く困難、当事者の声や支援の現状、そしてこれからの課題についてお話ししていきます。
前回までは高校サッカーなどについて振り返り、サッカーに没頭することでどうにか日常をつないでいた経験をお伝えしました。今回は、進路決定と離家の葛藤について当時の心の揺れを振り返ってみようと思います。
著者

平井登威(ひらい・とおい)
2001年静岡県浜松市生まれ。幼稚園の年長時に父親がうつ病になり、虐待や情緒的ケアを経験。その経験から、精神疾患の親をもつ子ども・若者のサポートを行う学生団体CoCoTELI(ココテリ)を、仲間とともに2020年に立ち上げた。2023年5月、より本格的な活動を進めるため、NPO法人化。現在は代表を務めている。2024年、Forbes JAPANが選ぶ「世界を変える30歳未満」30人に選ばれる。
サッカーが心の支えだった家族と、“先の人生”を見始めた自分
高校3年になり、進路選択について本格的に考え始めました。
それまで家族に大学進学経験のある人がいなかったため、僕が大学進学するのはマスト、というのが家族の考え方でした。僕自身も大学進学を望んでいたためその面については摩擦が少なく進むことができました。
しかし、そこで起きる問題は、僕が住んでいた静岡県浜松市には大学が少なく、進学することは実家を離れるということを意味するということ。今までずっと家が苦しくて家を出れることはハッピーなことだと思っていたのに、当時の自分はハッピーな気持ちよりも葛藤が大きくありました。
「自分が家を出たら誰が家族を支えるのか?」
「自分が家を出たら喧嘩の間に誰が入るのか?」
そんな葛藤が続きましたが、家族のことは誰にも相談したことがなかったため、進路選択においても表面上のことしか相談できず、一番大きい家族に関する葛藤については誰にも話すことができませんでした。
その次に出てきた問題は、サッカーを中心においてサッカー推薦で大学に行くか、もっと広い視野で指定校推薦で大学に行くかの2つの選択肢。
「大学でもサッカーが中心の生活を続け、プロをめざす」。それが家族の支えになるということはわかっていましたが、“プロになれなかったとき、自分には何が残るのだろう”という不安が大きく、結果的に指定校推薦で大学進学し、そこでサッカーを続けることを決めました。
そんな進路決定後も部活中心の生活を続け、高校サッカー最後の大会にも望み、1月末まで部活に全力で取り組んでいました。そのなかでサッカーしかしてこなかった18年の人生が、急に怖くなる瞬間がありました。
そこで、「サッカーを続けるかやめるか」の2択に葛藤し、家族の気持ちなども頭に浮かぶなかで結果的にサッカーをやめる決断をしました。
サッカーをやめると親に伝えた日
サッカーをやめるという決断を親に伝えるまでに数日かかりました。
言葉を絞り出すと、予想どおり反対の嵐。
母からは「今までなんであんたのために頑張ってきたの。それならご飯もつくらないし家事もしないからね」という言葉をかけられ、ムカつく気持ちと同時に、家族を不安定にさせるきっかけをつくってしまったという面でサッカーをやめる決断をしたことを少し後悔する場面もありました。
それでも、サッカーは大好きだけれど、「親を安心させるため」だけに続ける未来は、自分を殺してしまう気がして、絶対にサッカーをやめるという選択肢をひっくり返すことはしませんでした。
数日間、親の機嫌が悪いのを耐えたら、やっと親も僕の気持ちが揺るがないことに気づいてなんとか親の怒りも落ち着きました。
それは今思うと、自分が初めて自分の人生を優先できた瞬間だったのだと思います。
家を離れるという選択はとても難しい
今回、あくまでもn=1である僕の経験ベースで離家の葛藤について書いてきましたが、日々CoCoTELIを通して精神疾患の親をもつ子ども・若者とかかわるなかで、進学・就職時の葛藤、離家に関する葛藤、そこでかかるストレスの大きさについて日々感じています。
進学・就職、離家後は未来のことであり、自分のことだけでなく、家族のことも良い方向に進むか悪い方向に進むか予測できない。今までの経験を考えるとマイナスに進みそうな気がするし、最悪家族の命にかかわることもある。そんな不安を10代や20代の多くの子ども・若者が経験しています。
今回振り返った僕自身の経験も、たまたま生まれが周辺に大学が少ない地域だったから進路選択で県外を選びやすかっただけであり、もし東京や大阪に住んでいたら家を離れる選択はしていなかったかもしれないし、周囲から反対されることもあったかもしれません。
進路選択に関する相談は、家族のことを話すハードルに比べ、人に話すハードルが低く、相談を受けるタイミングがある人も多くいるかもしれません。そんなとき、家庭の状況から離家に関する葛藤をしている子ども・若者も多くいるということを周囲の人が知って、彼ら・彼女らの発言の背景を想像する、一般論ではなくその子ども・若者の気持ちを第一に一緒に頭を悩ませる。そんな大人の存在は、たとえ家族のことをそこで話せなかったとしても、その子ども・若者にとって大きな存在になると思います。
拙い文章ではありますが、この文章が読んでくれた方のそんなきっかけになったら良いなと願っています。
改めて振り返って
葛藤の大きかった進路選択とサッカーをやめる決断。サッカーは今も大好きで、ほとんどがサッカーを続けた同期たちの話を聞く度に続けていた未来について考えることもありますが、今こうしてCoCoTELIの活動に取り組めていることを考えると結果的に良かったと感じています。
次回は、大学入学から離家後に見えた世界と葛藤、人生を大きく変えたきっかけについてまでを振り返っていきます。
