【vol.34】ミューズたちは人形争奪戦中 | 私はミューズとゼウスのケアラーです
2026/10/30
韓国の介護現場で働く作家が送るケア文学
激しいスピードで高齢化が進む隣国で、 ケアの最前線に立つ作家による、初の日本語エッセイ連載スタート!! 昼は介護の仕事をして夜は文章を書く、作家イ・ウンジュの連載が始まります。日本の介護福祉士にあたる、「療養保護士」という韓国の介護の国家資格を持つイ・ウンジュさんは、自身もケアの現場に立ちながら、ケアに関する文章を韓国語で発表する数少ない作家です。
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そんなイ・ウンジュさんは韓国で、ケアについてのエッセイ三部作(『私は神々の療養保護士です』『こんなに泣いて疲れたでしょう』『東京因縁』)を出版して話題を集め、2023年には母親の在宅療養保護の経験を盛り込んだ『ケアの温度』を刊行しました。ケア三部作の『私は神々の療養保護士です』では、療養保護士として歩んだ療養院での日々から訪問介護に至るまでの道のりについて、『ケアの温度』では、誰かをケアする時の適切な距離感・温度感とレジリエンスについて、やさしい筆致で綴っています。この連載では、イさんの目に映った韓国の介護現場から、「ミューズとゼウス」のためのケアについて考えます。
お粥さえ喉を通すのが難しい「ジュリエット・ビノシュのミューズ」の様子に、胸を痛めた。業務会議を経て、完全食に近い「ニューケア」を保護者に頼んで取り寄せてもらうことにした。届くまでのあいだ、となりのミューズからニューケアを5缶借りることにした。けれど、なかなか飲んでくれない。悩んだ末に、薬を飲むときに使う、目盛りのついた注ぎ口の長い薬瓶に移して差し出すと、少しずつ口に運んで飲んでくれた。
どうにかして元気を取り戻してほしかった。思いつく限りの方法をすべて試すしかなかった。ほかのミューズたちとリビングで一緒にテレビを見ることもできず、ベッドに横たわっていなければならない彼女の手を握って、ずっとそばにいてあげたかった。けれど、9人のミューズとゼウスが私の手を必要としていたため、それはかなわなかった。そこで思いついたのが、アヒルの人形をプレゼントすることだった。
3年間認知症を患い、私の腕の中でお粥を食べていた最中に息を引き取った祖母もまた、母の日に叔母から贈られた小さな人形を持って、いつもおままごとをして遊んでいた。寝かせると目が閉じ、座らせると目が開く巻き毛の愛らしい人形を、祖母は赤ちゃんをあやすように手のひらに乗せ、「あ、かわいい」と撫でたり、服を脱がせて着せ替えたり、寝かしつけたりして暇をつぶしていた。
あるとき、昼寝から目覚めた祖母は、隣にいた人形を抱き上げると、このうえなく哀れむような表情で「ああ、可哀想に」と、まるで舞台の台詞のように大きな声で叫んだ。叔母と私はくすくす笑いながら祖母の真似をした、そんな楽しい思い出がある。
雨の水曜日、アヒルの人形を持って行った。そして、「ジュリエット・ビノシュのミューズ」のベッドのそばに置いてきた。同じ部屋の「ミューズ98」がその人形を欲しがっていることなど、知らずに。
休みを終えて出勤すると、リビングのソファに座る「ミューズ98」の隣に、アヒルの人形が座っていた。
そのアヒルは、結局「ミューズ98」のアヒルになった。
著者紹介
イ・ウンジュ 이은주

1969 年生、作家、翻訳家。日本に留学し、1998 年に日本大学芸術学部文芸学科を卒業。20 代から翻訳家になることを夢見て、家庭教師として働きながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』(清水正)で夢をかなえる。その後も仁川国際空港の免税店で働きながら、休憩時 間は搭乗口 31 番ゲートで訳し、仁川への通勤電車でも訳し続け、『船に乗れ!』(藤谷治)、 『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(山極寿一)をはじめ、十数冊もの日本書籍を韓国に広める。おばあちゃんっ子だったイさんは祖母の逝去をきっかけに、高齢者施設でボランティア活動を始め、その後療養保護士の資格を取得。昨年からは認知症になった実母の介護を行う。「ケア」と「分かち合い」について、文学の一形態として追及してみたいという気持ちから、高齢者のケア現場についてのエッセイを三部作で発表し、韓国で共感を呼ぶ。現在、
