免許返納すべき…?認知症の父が自動車の運転をやめてくれなくて、困っています
2026/09/10
※本記事は『認知症介護は“悩みの根っこ”がわかるとラクになる』(中央法規出版)の内容を一部抜粋して再構成したものです。
最近、父の運転が怖くなってきました。車庫入れで何度も壁にぶつかったり、ブレーキとアクセルを間違えそうになったり……。自動車に乗ろうとするたびに、こちらの心臓のほうが先にエンストしそうです。近いうちに免許返納も考えてほしいのですが、なかなか言い出すことができません。
自分の「老い」には気づきにくい
自動車に乗る必要性が減ってくると、家族としては「もう乗らなくてもいいんじゃない?」と、どうしても説得したくなってしまうでしょうね。実際、テレビで高齢者の自動車事故に関するニュースを目にすることもよくあります。私自身も他人事じゃなく、いつかは免許を返納する日がくるのかな……なんて考えるようになりました。
75歳以上のドライバーが当事者となった死亡事故件数の割合は増加傾向にあり、2024年と2025年は過去最高の17・6% だった。ブレーキとアクセルの踏み間違いは、75歳以上は75歳未満の約7・7倍となることも報告されている。
視力や聴力、反射神経も衰えてきますし、自動車の運転は誰にとっても難しくなってくるものです。特に認知機能や注意集中力が低下してくると、複数の操作を同時に行うデュアルタスクでどうしても操作ミスが起こりやすくなります。
運転をやめる決断というのは、難しいものなんですかね。
そうですね。自動車に関する調査によると、60歳までは自身の運転技能の衰えを自覚する人が多いものの、年代が高くなるとともに「運転技術は上がっている」「変わっていない」という回答が増える。つまり、年齢を重ねるにつれて、むしろ自分の苦手を認めたがらない傾向があると言われています。
MS&AD インターリスク総研の調査では、75歳以上の回答者で「かなり自信がある」と「ある程度自信がある」の合計は50%を超えており、年代が高くなるとともに運転に対する自信が高くなる傾向が明らかに。なお、身体機能の低下を自覚してもらい、それに応じた安全運転の指導を行うため、70歳以上の運転免許保有者が運転免許証を更新する場合は高齢者講習を受講することが義務付けられている。
うーん、自分の衰えには、意外に無自覚なんですね。まあ、人のことは言えないか……。とはいってもですよ、年齢を重ねていくなかで「やっぱり運転が難しくなってきたな」とか、多少の自覚は生まれそうなものですけど。
現代ではオートマチック車や衝突防止などの先進運転支援システムが普及していますから、本人が衰えを感じにくくなっている背景もあります。マニュアル車であれば、技術の低下を自覚しやすかったのかもしれませんね。
自動車のドライバーの運転操作を支援するシステム。前走車との車間距離に応じて速度を調整する機能や、衝突リスクを検知した際にブレーキを作動させる機能などにより、事故リスク低減や運転負荷軽減を図ることができる。
エンストなんて、すでに懐かしさすらあります。本人に自覚がないなら、やっぱり周囲が説得するしかないわけですが……。
自動車は「生活の足」だけでないことを理解する
免許を手放したくない要因はほかにもあります。こちらのほうが私たちにとっては重要かもしれませんね。それは、生活の足を失うことで、自己実現の手段を喪失してしまうかも、という恐怖です。
自己実現……。もちろん生活の足はわかりますよ。特に地方などだと、自動車がないと生活が成り立たない地域も多いですからね。都心であれば電車がありますけど。やっぱり自動車には、それ以上の何かがあるということなんですかね。
移動手段がなくなることで、行動範囲や自由に行ける場所がぐっと狭まった気持ちになるんですね。それまでいろいろなところに行った記憶がある人であれば、なおさらでしょうね。
なるほど。あと自動車って、移動手段以外にも、プライベート空間として好きだという人もいますもんね。運転席に座るだけで、「自分の城」に戻れるような感覚があるのかもしれません。
その城が奪われることを警戒して、免許の返納や、その手前に待ち受ける受診に対して後ろ向きになってしまうんです。
もしかしたら、「もう自動車に乗らないほうがよい」という宣告を受けてしまうのではないか。そんな気持ちなんですね。だからこそ、いかに本人に納得してもらいつつ、別の手段で安心感を与えることができるか、ですね。
「危ないからやめて」に代わる代替案を考える
そうですね。だから「危ないから運転をやめて」は逆効果。家族は心配からついつい言いがちですが、事故を起こしていない段階では、本人は決して納得しません。自己実現の手段を単純に取り上げるのではなく、本人の気持ちに寄り添いながら、段階的にアプローチすることが重要です。
具体的にはどうするのがよいでしょうか。
まずは、家族が車体の傷などを確認して、客観的なリスクをチェックしましょう。月に1回程度、車体の四方、特に擦りやすい左後ろをはじめ、リア(後ろ)や前方の傷がないかを確認し、写真を撮っておきます。もちろん「こんなに傷だらけだよ」と本人を責めるためではなく、周囲が「そろそろ代替案を考えたほうがいいね」と判断するための客観的な目安として活用します。
まずは客観視ですね。ニュースを見て「なんとなく危なそうだから」というところから一歩進む感じですね。「実際にこういう変化がある」と見られるようにしておく、と。
本人が「どうしても運転したい」という場合、妥協点を探るのも一つの手です。つまり、時間帯や移動範囲、特定の条件など、本人が納得できる範囲で運転を制限するルールを一緒に探っていく。登下校の時間は避けて朝10時から11時の間だけ、事故の少ない大通りの特定のルートだけ、夜間や雨の日は運転しない、といった感じです。安全性を高めつつ、本人の「運転したい」という思いは尊重するわけです。
本人が何を望んでいるのか、そして自己実現がどうすれば満たされるか、という確認にもなりますね。もし、運転技術そのものが怪しい段階になってきたら、どうしましょうか。
別の移動手段へ「乗り換える」と伝える
運転免許から別の手段に「切り替える」という感覚を持ってもらうことが大切です。そのときはやはり本人目線で、納得してもらえる伝え方ができるといいですね。たとえば、「こっちのほうが健康にいいよ」といった誘い文句で、シニアカーや安定感のある三輪自転車などを提案し、そのうえで一緒に実物を見に行くのもおすすめです。
高齢者の外出を支える電動カートのこと。もともとはゲートボールのコートまでの移動手段としてスズキが発売したものが始まりとされる(スズキの商品はセニアカー)。運転免許証は不要で、歩道も走行可。福祉用具とされているため、購入に当たって消費税は課されない。
たしかにあれは便利そうです。
余裕があれば「私が代わりに送るよ」と家族がタクシー代わりになることもおすすめです。
移動手段がなくなるわけじゃないんだよ、ということを伝えるわけですね。こちらが「取り上げる」のではなく、あくまで本人が「乗り換える」という風に考えてもらう。移動手段が変わっただけだという認識であれば、不安も軽減されるというわけですね。
本人が不安に思っているのは「免許がなくなったらどうすればいいのか」ということなので、移動手段が確保されていて、行きたい場所に行けることがわかれば、納得して運転をやめられる人もいます。自動車の運転に関する問題は、ただ「危険を排除する」ことだけが答えではありません。「自動車がないと何が困るのか」を本人から聞き出し、「こうすれば解決できるよ」という代替案を提示するのが理想ですね。
本人がいかに納得できる形を見つけられるかはなかなか難しそうです。
コミュニケーションが何よりも大切です。周囲が連携し、本人の尊厳と生活の質を守りながら、安全な暮らしへの移行をサポートしていきましょう。免許を返すことが「自由を失うこと」ではなく、「安全に自由を続けるための方法」だと感じてもらえるといいですね。
「安全に自由を続ける」って、なんだかとても素敵な表現ですね。
※本記事は『認知症介護は“悩みの根っこ”がわかるとラクになる』(中央法規出版)の内容を一部抜粋して再構成したものです。


