ナッジのススメ 第3回 ネガティブな話題で盛り上がるのはなぜ?

2025/11/27

感情の習性に沿って、望ましい行動へと促す手法「ナッジ」。
今回から「介護の現場でのコミュニケーションを円滑にするためのナッジ」について、ナッジを用いたヘルスプロモーションを研究している竹林正樹さんと、在宅を中心とした高齢者支援に奔走する橘友博さんが語り合います。


橘 竹林先生に相談です! ほかの事業所の職員から、「利用者さん同士が政治や社会に対する批判的な意見を言い合って雰囲気が悪くなり、イライラする人が増えているので困っています」という相談を受けました。政治や社会に関心があること自体は悪いことではないですし、そうした話題を事業所内で禁止するわけにもいきません。どうしたらよいでしょうか?

 

竹林 禁止すると、「世間話もできないのか」という反発を招く可能性があります。さらには「話をしていることがバレないように隠語を使う」といった人が出るかもしれません。そもそも、ネガティブな話題で盛り上がるのは、なぜだと思いますか

 

橘 最近はあまり明るいニュースがないから、でしょうか?

 

竹林 それもあるかもしれませんが、否定的な情報のほうに関心をもち、記憶に残りやすいという人間の心理(ネガティビティバイアス)が関係していると思われます。たとえば、レストランで注文した料理に虫が1匹入っただけで、悪評ばかり言いたくなる心理」といえばわかりやすいと思います。料理やサービスの質がよければ、虫1匹くらいは大目に見てもよいのですが、許せないのです。

 

橘 竹林先生もネガティビティバイアスに襲われることはあるのですか?

 

竹林 もちろんあります。昨年度、私が行った講演のアンケートでは、講演参加者の97%から高評価をいただきましたが、なぜか残り3%の不満に真っ先に目が行ってしまいました。本当なら、3%の不満は統計学的にみて無視してもよいレベルだとわかってはいるのですが、気になって仕方がないのです(笑)。

 

橘 ネガティブな情報が気になるのは仕方ないにしても、利用者さんには楽しい雰囲気で過ごしてほしいものです。

 

竹林 ネガティブな話題で盛り上がるのは、そうなりやすい環境があるからかもしれません。では、ここでクイズです。


【問 1】国連加盟国のうち、アフリカ諸国の占める割合は、65%よりも多いでしょうか?

【問 2】国連加盟国のうち、アフリカ諸国の占める割合は、何%でしょうか?

橘 さすがに65%よりは少ないと思います。だいたい5割弱くらいでしょうか。

 

竹林 正解は約28%です。橘さんが5割弱と答えたのは、実は問1の「65%」という数字に影響された可能性があるのです。これは有名な実験で、問1で「65%」と提示されたグループは、問2を45%前後と答え、問1で「65%」を「10%」に置き換えて提示されたグループは、問2を25%前後と答える傾向がみられたのです。(1)このように、最初に受けた情報が船のいかり(アンカー)のように根を張り、その後の判断や行動に影響を及ぼす現象を「アンカリングバイアス」と呼びます。

 

橘 つまり、最初に楽しい情報に触れておけば、ポジティブなアンカリングバイアスが発動するということですね!

 

竹林 そのとおりです。会話する前のタイミングで楽しい雰囲気を醸し出すナッジを「タイムリーナッジ」と呼びます。私は病院へのコンサルティングでは、次のナッジを提案しています。


【ナッジ】
病院の待合室のテレビのチャンネルをNHKに変えます 。

橘 NHKには、視聴者をリラックスさせる効果があるとか……?

 

竹林 そうではありません(笑)。NHKをすすめるのは、民放のワイドショーから距離を置くことで、ネガティブな意見を言いたくなるアンカリングバイアスを抑えるためです。特に、病院の受診時間はワイドショーの放送時間と重なることが多いですからね。ワイドショーはネガティブな情報で視聴者の関心を引こうとするため、同じような話題を話したくなる刺激になり得ます。

 

橘 病院の待合室だと、医療に関するネガティブな話題も出そうですね……(笑)。

 

竹林 そうですね。誰かがそうした話題を口にすると、別の人も後に続く「同調バイアス」が生じる可能性が出てきます。また、ワイドショーで政治家や大企業の不祥事のニュースを聞いているうちに、利用者さんの心の中には、権力に対する怒りが湧いてきます。それが、医師に向いてしまうこともあるのです。

 

橘 誰も得しない状況ですね。

 

竹林 話を介護の事業所に戻します。人の思考や行動は外部環境に大きく影響されるので、事業所内で流されるワイドショーは「ネガティブな話題で盛り上がりやすい環境」をつくっているといえそうです。だからこそ、あらかじめ利用者の同意を得て、ワイドショーに触れない環境を設計することで、事業所内の雰囲気の改善が期待されます。

 

橘 みなさんが集まるホールやリビングのテレビをNHKにするようにアドバイスしてみます。NHKでなくても、バラエティ番組や懐かしい番組を流すようにすると、利用者同士の話題がポジティブなものになりそうですね。早速試してみます!


まとめ

人はネガティブな情報に対して強い印象をもちやすい。たとえば、ワイドショー見るとネガティブな話をしたくなるスイッチが入るため、そうしたものから距離を置くナッジを設計してみる。


参考文献

Tversky, A., & Kahneman, D. Judgment under uncertainty: heuristics and biases. Science, 85, 1124-1131. 1974.

 

竹林正樹

青森大学客員教授。青森県出身。行動経済学を用いて「頭ではわかっていても、健康行動できない人を動かすには?」をテーマにした研究を行い、年間10本ペースで論文執筆。各種メディアでナッジの魅力を発信。ナッジで受診促進を紹介したTED(テッド)トークはYouTubeで80万回以上再生。著書に『心のゾウを動かす方法』『介護のことになると親子はなぜすれ違うのか』など。

 

橘 友博

合同会社くらしラボ代表。介護福祉士、ケアマネジャーとして介護施設で勤務したのち、2015年に合同会社くらしラボを設立。「あなたの“ふつう”を考える」をコンセプトに複数の介護事業所を運営し、在宅を中心とした高齢者支援に奔走している。