保育における遊びからの学びを「見取る」とは?(後半)

2026/06/22

近年教育現場で叫ばれる「特別支援教育」や「合理的配慮」という個別のサポートと「ともに育つ」を考える

 2026年4月に刊行された『子どもが主役だから底抜けに楽しい! 見取りから始まる、心が動く保育実践』の著者・中西昌子先生にお話を伺うと、私たちが普段「ただ遊んでいるだけ」と思い込んでいる幼児期のなかに、驚くべき知性と心が育つ瞬間が隠されていることに気づかされます。その鍵を握るのが、本書の核心的なテーマである、保育者の「見取り(プロの観察眼)」という専門性です。
 今回は、近年、教育現場で重要性が叫ばれる「特別支援教育」や「合理的配慮」をテーマに、中西先生のお話をお伺いしていきます。
(聞き手:ライター)


■ しっぽのないトシくんを、誰も置いていかない

――第2章で紹介されている、5歳児の「しっぽ取りゲーム」のエピソードに深く心を打たれました。自閉スペクトラム症のトシくんが一緒に参加している場面ですね。

 

中西昌子先生(以下、中西): これは、よく園内研修に行かせてもらっていた園でのエピソードです。トシは3歳児の頃、みんなと一緒の活動に入ることは難しく、加配の先生とテラスで本人の好きな遊びをじっくり楽しむところから園生活をスタートしました。それから5歳児になり、クラスのみんなと一緒にしっぽ取りをするようになったのです。ただ、トシは以前、ゲームでしっぽを取られたのがすごく嫌だった経験があって、その日は「しっぽをつけずに」みんなと一緒に走り回っていました。

 

――しっぽを取るゲームなのに、しっぽをつけていない。他のお子さんから不満が出そうなシチュエーションですが、子どもたちはどう対応したのでしょうか。

 

中西: ここがこの園の5歳児の素晴らしいところで、子どもたちはトシのことを「ズルい」と責めるのではなく、ごく当たり前に「赤チームの仲間」として受け入れていました。 でも、ゲームが終わらない(お互いのしっぽの数が数えられない)ことには気づくんです。白チームの子たちが「どうする? トシくんしっぽがないから、これじゃずっと終わらないよ。24時間かかっちゃうよ」って、赤チームに相談しに行きました。

 

――「トシくんを排除する」のではなく、「どうしたら一緒にゲームを成立させられるか」を相談しに行ったのですね。

 

中西: そうなんです。そこで白チームの子が「トシくんは、タッチで捕まえることにしよう!」と提案しました。すると今度は赤チームの子が「でも、タッチされてバタってコケたらどうするの?」と、トシの身体を心配し始めるんです。 それに対して白チームも「じゃあ、優しくタッチしたらいいじゃん。コケたらタッチもなしね」と、トシの不利にならないような新しいルールをその場で次々と生み出していきました。

 

――誰もトシくんを疎外せず、みんなが納得して楽しく遊べる「着地点」を自分たちで探したのですね。 そこには保育者の「見取る」ちからも背景にあったのではないかと想像します。

 

中西: はい。3年間同じクラスで過ごすなかで、子どもたちは「トシくんはこういう人だ」とありのままを認めていました。トシのためにみんなでルールを考え、折り合いをつける経験を通じて、クラス全員の「気持ちの調整力」や「規範意識」が豊かに育っていたんです。 早くから「みんなと同じ枠」に当てはめるのではなく、その子の育ちを見極めて待つこと。そして子どもたちの主体的な議論を見守り、その内面の育ちを「見取る」保育者の専門性があったからこそ、この優しいルールが生まれました。

 

■ 30年前、言葉のない世界からやってきたカズヤくん

――もう一人、中西先生の特別支援教育の原点になったという、30年前のカズヤくんとのお話も非常に深いものでした。当時はまだ「特別支援教育」という言葉すらなかった時代ですよね。

 

中西昌子先生(以下、中西): ええ。自閉傾向のあるカズヤが入園してきた時、彼はみんなが集まる保育室にはなかなか入ってこられませんでした。発話もほとんどなく、お弁当の時間も、部屋から見える中庭の小さなおうちで、加配のユミコ先生と2人きりで食べていたんです。

 

――クラスの仲間とは、少し距離がある状態からのスタートだったのですね。

 

中西: ある日、クラスのジンくんが「カズヤくん、いつも(部屋に)来はらへんなあ。一緒に食べたいなあ」と言い出しました。「じゃあ、お弁当を持ってカズヤくんのそばに行ってみる?」と聞くと、喜んで飛んでいって。次の日には別の子が「今日はぼくが行くわ」とあとに続きました。子どもたちにとって、カズヤのそばに行って「あ、カズヤくんはお肉が好きなんだ」「ご飯は嫌いなんだって」と、新しい発見をすることが、何よりもうれしくて楽しいことだったんです。

 

――中西先生が「みんなと食べなさい」と指示したわけではなく、子どもたちの内側から「一緒にいたい」という気持ちが湧き上がってきた。

 

中西: そうなんです。ある時、フミコちゃんという女の子が、カズヤに大好きな新幹線の絵本を読み聞かせていました。カズヤが「あ、ああん」と言うと、フミコちゃんが絶妙なタイミングでページをめくるんです。 私が「よくわかってあげたね」と声をかけると、フミコちゃんは自慢げに「前からカズヤくんのこと見てたし、知ってた。カズヤくんの『あ、ああん』は、次のページにいっての合図やで」と教えてくれました。人と人との温かい関係性のなかで、カズヤの要求が“言葉”となって他者に伝わる喜びが、まさに生まれ始めていた瞬間でした。

 

■ 全員が涙した、ミッキーマウスマーチの「名演奏」

――そして、卒園間近の「お別れ会」でのミッキーマウスマーチの合奏。カズヤくんが大太鼓を担当したシーンは、本書の大きなハイライトです。

 

中西: カズヤはクラスで行う大太鼓が大好きだったのですが、大勢の人が集まる場所が苦手なので、当日の本番直前まで、ユミコ先生と別の部屋で過ごしていました。 ステージでは、カズヤの代わりに別の子が大太鼓のバチを持ってスタンバイしていたのですが、みんな心の中で「カズヤくん、来ないかな……」と待っていたと思います。 すると演奏が始まる直前、安心の布を身にまとったカズヤが、スーッと遊戯室に入ってきたんです。

 

――待ってましたと言わんばかりの瞬間ですね!

 

中西: 代わりに太鼓の前にいた子が、何も言わずに「はい」とカズヤにバチを渡しました。カズヤが太鼓を叩き始めたのですが、これがみんなで練習した叩き方ではないのに、音楽にパッチリ合っていて、彼の素晴らしい音楽的センスが光る見事な演奏でした。 カズヤの姿を見守っていたお母さんは涙で目が真っ赤です。演奏が終わった瞬間、クラスの女の子たちがカズヤに駆け寄り、お腹や背中をさすりながら「カズヤくん、えらかったなあ!上手やったなあ!」と我がことのように褒めちぎっていました。

 

――誰も置いていかない、クラスが本当に一つになった瞬間ですね。

 

中西: 誰もビデオや写真を撮っていなかったのですが、だからこそ、あの思いがけない名演奏のライブ感は、今でも私たちの心に深く刻み込まれています。カズヤの成長や変化が、そのままクラスみんなの喜びになっていく。これこそが「ともに育つ」姿ではないかと確信した瞬間でした。

 

■ 加配と担任が「見取り」を共有し合うチーム保育

――こうした素晴らしい実践の裏には、担任である中西先生と、加配のユミコ先生との緻密な連携、いわゆる「チーム保育」があったかと思います。現場の先生方に向けて、チーム保育のコツを教えていただけますか。

 

中西: 時折、加配の先生が担任の先生に忖度しすぎて、「早くみんなと同じ行動をさせなきゃ」と子どもに無理をさせてしまうケースを見かけます。でも、それでは子どもが潰れてしまいます。 大切なのは、どちらか一方に任せきりにしないことです。担任が「今のこの子のねらいや願い」を明確にし、加配の先生が日々取ってくれる細やかな記録やメモをもとに、「今日はどうだった?」「明日はどんな環境を設えようか」とお互いの「見取り」を何度も擦り合わせること。この丁寧な話し込みこそが、配慮が必要な子が安心して過ごせる土台になります。

 

――先生方の「見取り」の連携が、そのままクラスの子どもたちの温かいまなざしへとつながっていくのですね。

 

中西: ええ。カズヤを大切な仲間として一緒に暮らしたあの一年、子どもたちは笑ったり、泣いたり、時には喧嘩をしたりしながら、ありのままの自分を出して過ごしていました。 幼児期に「自分とは違う多様な人がいる」ことを当たり前に受け入れ、お互いを大切に思い合って過ごした経験は、彼らが大人になり、将来どんな人と出会った時にも、必ず優しい関わり方のモデルとして生きていくはずです。子どもの見えない心の内を推察し、その育ちの背景までをしっかりと「見取る」こと。その専門性があれば、特別支援教育は「個と集団が対立するもの」ではなく、「個がいるからこそ集団が豊かに育つもの」に変わっていきます。ぜひ本書を通じて、その保育の醍醐味を感じていただけたらうれしいです。

 

中西昌子(なかにし・しょうこ)

京都市教育委員会指導部学校指導課参与

 

1980年4月に京都市立小学校へ入職し、10年間教諭として勤務。その後「幼児教育に携わりたい」という思いから同市立幼稚園へ異動し、幼稚園教諭として7年間勤務。人事交流の一環で京都教育大学附属幼稚園に赴任したのち再び京都市立幼稚園へ戻り、教頭を経て園長を務める。2009年年4月からは京都市教育委員会において行政業務に携わるとともに、京都市総合教育センターの首席指導主事として教員研修に携わり、現在に至る。