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長谷川和夫先生に聞こう! 認知症のエトセトラ

死を迎えること

 私のブログも終わりに近づいてきました。終末にふさわしいテーマとして、前回は“老いること”を語りましたが、今回は“死”について考えてみましょう。重いテーマですが、あまり気張らないで、死への想いをお互いに考えてみることも、ときにはいいことでしょう。今をよりよく生きることになりますからネ。
 前回、老いについて述べた書籍はおびただしいと書きましたが、これに比較すると死についての書籍は少ないと思いますがどうでしょう。確かに臨死体験とかターミナルケアについては書かれていますが、私たちは生きている以上、老いるのと同じように“死”を体験することはできません。
 “死”は“老い”と密接な関係があります。新聞の訃報欄をみると、多くは高齢の方が逝去されています。しかし、若い人も病いのため、事故のために死を迎えることは、不幸なことですがよくみられます。したがって、死は生のすぐ隣りということもいえるでしょう。しかし、私たちは死を“体験する”ことはまずありません。

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 私が小学生だった昭和13年に、18歳だった従兄弟が結核病で亡くなりました。柩に入っている彼は、花に囲まれて美少年の姿そのものでした。その後、中学に入ってからも、同級生がバタバタと結核で倒れました。私は自分が死ぬことを考えたとき、非常に不安と恐れを感じました。自分自身の存在が消え去るとは、青い空も美しい林もそのままなのに……、恐い! という想いでした。死に対する不安や恐れは、そのまま続きました。大学時代も持病の喘息とは別に結核も恐くて、必ず胸部レントゲン写真やツベルクリン検診を受ました。
 ところが高齢になってくると、死はむしろ身近に感じられるようになって、やがては自分も死の門をくぐることは当然の帰結であると考えるようになりました。しかし、死にたくはありません。自分の存在の消失は、やはり覚悟のようなものがいるのかなあと思って日々を過ごしています。
 なにしろ死は、誰も体験していないはずです。私の知る限りでは、イエス・キリストが十字架につけられ冥土にくだり、3日目に復活していますから、死の体験をしています。ところが、聖書にはまったくその記述(彼の死んだ3日間の体験)はありません。
 しかし、私はなんとなくですが、死しても生きてゆく先の延長はつづいている感じがします。千の風になって大空を吹きわたる、というのも大変だなあと思いますが、とにかく生きている現在の姿以外のものになって続くような気もします。現実の世界からみると、ゼロかもしれませんが。私にもわかりません。
しかしヒントがあります。ミッチ・アルボムが記した『モリー先生との火曜日』という本に出遭いました。原著を読み、訳書でも読みました。モリー・シュワルツ教授が筋萎縮性側索硬化症にかかり、逝去されるまで毎週火曜日、主人公がターミナルを迎える教授に師事して、人生についての講義を受けます。そのとき、モリーが話す一つの物語りを、最後に記してみます。

(引用)
実は、小さな波の話で、その波は海の中でぷかぷか上がったり下がったり、楽しい時を過ごしていた。気持ちのいい風、すがすがしい空気-ところでやがて、ほかの波たちが目の前で次々に岸に砕けるのに気がついた。「わあ、たいへんだ。ぼくもああなるのか」
 そこへもう1つの波がやってきた。最初の波が暗い顔をしているのを見て、「何がそんなに悲しいんだ?」とたずねる。
 最初の波は答えた。「わかっちゃいないね。ぼくたち波はみんな砕けちゃうんだぜ! みんななにもなくなる! ああ、おそろしい」
 すると2番目の波がこう言った。「ばか、わかっちゃいないのはおまえだよ。おまえは波なんかじゃない。海の一部なんだよ」


コメント


「死しても生きていく先の延長は続いている」
私も、そう思います!
身内を失ってから、特に思うのですがこの世に姿は見えなくなっても、心は千の風になって存在しているのだと感じます。これは、大切な人を失った本人にしか分らない私見かもしれませんが…
人は、遅かれ早かれ、いつかは亡くなります。私は、自分が理想とするお婆ちゃんになれる方法は分りますが、先の事は未知の世界です。
介護の仕事をしていると、自分もいつかは…と考えさせられます。せめて、旅立つ時に後悔のない生き方をしたいと実感する毎日です。「モリー先生との火曜日」拝読させて頂きます。


投稿者: 匿名 たま姫 | 2009年12月28日 12:19

長谷川先生!
何回でも申し上げたい事があります。
100歳を過ぎても、日野先生の様に現役で私達を指導して下さい!
私は、最近人が亡くなる事を公私共に目の当たりにしており、幾つかの壁にぶつかりました。亡くなってから後悔の涙を流す量が少ない様に、生きておられる時にスタッフを含めて見送る方⇔見送られる方にコミニュケーションを図って頂きたく仲立ちをさせて頂いておりましたがケースによっては、限界があり悔し涙を流す事もありました。私が、未だに見つからない答えや、私自身への癒しが御紹介頂いた「モーリ先生との火曜日」や先生の御言葉・お導きの中で見つけていけそうです。
私が出願する東京福祉大学を選んだ理由は、パーソン・センタード・ケアを推奨されておられる高橋誠一先生も所属しておらるからです。この大学を見つけた時から、ものすごく嬉しくなり、寒い冬空を、ささやかな灯が照らしてくれている様な毎日を過ごしております。施設で行われるレクレーションで、童謡の「幸せなら手をたたこう」を歌う事がありますが、釣られてたたいている認知症高齢者様が殆どです。自発的に手をたたいて頂ける様なプロになりたいです。どうか、健康で長生きして下さい。今後行われる講演会のお知らせは、色々な所で掲載して下さい。可能な限りウルトラマン太郎になり飛んで行きます。宜しくお願致します!


投稿者: 玉本あゆみ | 2009年12月30日 22:09

今は、イギリスでアカデミックなスピリチュアリズムを学び、スピリチュアルカウンセラーとなられた「江原啓之」という人が活躍しています。4歳の時に、お父様の背後に黒いオーラが見え、その数日後、薬害で他界。死を予知したと言われています。今迄、そのような空想的な霊能現象に興味がなかったのですが、自分が不思議な体験をしてから、人は亡くなって体を神様にお返しし姿は見えなくなっても、魂は千の風にのって「フワ~リ、フワ~リ」と泳いでいるのかもしれないなぁ~と思うようになりました。残念ながら、亡くなった人の気持ちを知る事は出来ませんが。
亡くなった人は、どのような世界の中で何を感じているのでしょう?悔いを残して息を引き取られた方は、きちんと気持ちを切り替えて幸せになれるのでしょうか?生きている人には分からない事のように思えるのですが、江原さんが語る世界はどうなのでしょう?分かりません。
メール交換ができればいいなぁ~と思う事があります。

キリスト様の死んだ3日間の体験を記したものがないのは、何故でしょう?歴史上、誰か一人位は見た人はいなかったのでしょうか?

「モリー先生との火曜日」拝見しました。
印象に残った一部のインタビューとモリー先生の答えを引用します。
Q)「死んだあと忘れられるんじゃないかと心配しないか?」
A)「忘れられるとは思わない。ずいぶんたくさの人と身近に親しく接してきたからね。それに愛とは、死んだあとも生きてとどまることだから」
≪愛とは生きてとどまること≫

Q)年をとるのが不安になったことはないんですか?
A)「老いはありがたく受け入れる…老化は衰弱じゅあない。成長なんだ。やがて死ぬのはただのマイナスとは片付けられない…」

Q)でも老化がそれほど価値あるものなら、なぜみんな「もう一度若くなれたら」なんて言うんでしょう?
A)「それはどういうことだと思う?人生に満足していないんだよ。満たされていない。人生の意義を見いだしていない。だってね、人生に意義を認めていたら、逆戻りしたいとは思わないだろう。先へ進みたいと思う。もっと見たい、もっとやりたいと思う。65歳が待ち遠しくてたまらない…年をとるまいといつも闘っていると、いつまでもしあわせにはなれないよ…」
≪若さは賢明さに欠ける。≫
余命を受け入れた病の床についた方が、何故、ここまで冷静に答える事ができるのか…私なら何て答えるだろう?「死」については、綺麗ごとが言えないと思いますので分かりません。
ただ、1つ言える事は年齢逆行をして皺の数を減らす事は出来ません。たとえ20歳に戻りたいという望みが叶ったとしても、やりなおせる生き方が出来るとも限りません。じゃ~人生の意義を見いだして、先に進むしかない。意義を見いだせたような気がする今、自分自身に変化を認識できるようになりました。
気付いた時は後期高齢者になっているのかもしれませんね。
≪愛とは生きてとどまること≫そんな風に思えるような生き方をしたいです。
この本はターミナル期に寄り添わせて頂く時に、とても参考になります。
素敵な本を紹介して下さってありがとうございました


投稿者: 玉本あゆみ | 2010年02月15日 20:32

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プロフィール
長谷川和夫
(はせがわ かずお)
認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授。専門は老年精神医学・認知症。1974年に「桜、猫、電車……」の長谷川式認知症スケール(HDS-R)を開発者して以来、常に認知症医療界の第一人者として時代を牽引してきた。最近では、「痴呆」から「認知症」への名称変更の立役者でもある。『認知症の知りたいことガイドブック』(中央法規出版)、『認知症を正しく理解するために』(マイライフ社)、『認知症診療のこれまでとこれから』(永井書店)など著書多数。
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