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長谷川和夫先生に聞こう! 認知症のエトセトラ

認知症の人の体験を理解することからケアは始まる

 BPSDという表現は、アメリカの精神科医がよく使います。日本語では「行動・心理障害」と訳され、暴言、暴力、徘徊、不潔行為(弄便)、妄想等の周辺症状のことをさします。
 BPSDは介護をもっとも困難にするものとも言われます。しかし、こうした行動の障害には、本人が何かをしようとした思いが必ずあるはずです。たとえば、いわゆる「徘徊」という行動は、排泄したくなってトイレはどこかと探しているうちに、空間失見当があるためにトイレの場所が分からず、歩きまわった結果、私たちから見たら「徘徊」という行動に写るのでしょう。また、認知障害のために不安な気持ちになり、パニックに発展して何とかしようと思った結果、「興奮」という行動障害になることもあります。

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認知症の人が暮らしのなかで、不安になって何とか適応しようと思って行ったことが、認知障害があるために間違い行動となってしまった、これが周辺症状と考えられるのです。とするならば、本人の不安を取り除くことが、周辺症状を緩和することになるでしょう。
 私の知人にYさんという医師がいます。Yさんは妻と20代の娘、そしてご両親(83歳のお父様がアルツハイマー型認知症)と同居する3世代家族でした。ある日、みんなで夕食を囲んでいたときのことです。お父様が食事も終わるころになって、「困ったなー。どうしよう」とつぶやいて、テーブルにつっぷしてしまいました。奥様が「どうしたの?」と問いかけると、「あのー、皆さんはどちら様でしたかね。よく存じ上げないので……」といって困惑した様子です。皆、シーンとしてしまいました。長年、一緒に暮らしているのに何だろうという感じです。Yさんは医師でしたから、アルツハイマー病のことはよく理解していました。しかし、何といっていいのか茫然としてしまいました。
 すると隣に座っていた娘がこう言いました。「おじいちゃん、私たちのことわからなくなったと言ったけど、私たちはおじいちゃんのことをよーく知ってるから大丈夫だよ。心配しなくていいよ。おじいちゃんじゃないの」と言いました。お父様は、「えー、そうなの。皆さん私のこと知っていてくださってるんですか。あーよかった」と胸をなでおろし、一件落着したそうです。
 もしも、この娘さんの言葉がなかったら。そして「しっかりして」と励ましたり、「どうしてわからないの、私はあなたの妻ですよ!」などと叱ったりしたら、おそらくお父様はかえって混乱して、「私は帰ります」といって席を立ったかもしれません。これがBPSDなのではないでしょうか。
 娘さんの「心配ないよ」という言葉こそ、相手の不安な体験をおしはかった答えだったと思います。認知症ケアの第1は不安感をとることです。認知機能の低下した人に対しては、まず自分の存在自体がゆらぐ不安状態を和らげることが、何よりの大切な支援の1つと思います。


コメント


BPSDを問題行動と呼ぶ事がありますね。
私は、その呼称を好ましく思えず回避し「BPSD」と言います。健常者の価値判断が「異常=問題(厄介な)人」というイメージでも、認知症の方にとっては異常な世界ではなく、何らかのメッセージを精一杯発しておられるからです。問題行動という呼称は「病気だから仕方がない…取りあえず、一時的になだめよう、お薬で対処しょう」と深く洞察せずに、1番大切な事=一人の人として、その方御自身の「心」に着眼する事を通過している様なイメージを受けます。心を見る余裕を欠いた方に「精一杯のシグナル」と言えば着眼して下さるでしょうか…? 私が出遭った認知症のお婆ちゃまのケアにあたっていた時「私、認知症なの…私は可笑しくないのよ~みんな、私の事を可笑しいと思っているんでしょう?私は負けませんよ」と突然言われた事があります。驚きました。しかし、それを聞いた時に「可笑しくないよ~私達も覚えた事を忘れる事もあるし、いつかは認知症になるんだから…認知症は全然可笑しくないよ。可笑しいなんて言う人がいたら、あなたが可笑しいのよ。って言ってあげて」と申し上げると柔和な顔になり「そ~お?そ~およね…まだまだ負けませんよ!」と小さい体でガッツポーズをされました。貴重な御意見だと思います。『安心』できる言動は大事なケアの一つだと思います。
どの様な方にも、思いやる優しい心、愛しいと思える温かい心を忘れずに精進して参りたいと思います。


投稿者: 玉本あゆみ | 2010年01月30日 07:29

このツリーに書きたいと思い、長文になりますが認知症の方のケアをしておられる御家族や専門職の方、認知症を理解してもらおうと活躍しておられる皆様にも、   『今日もお疲れ様でした!』と、言う思いを込めて投稿の許可を頂いた詩(文章)を紹介させて頂きます。

私が認知症ケアマッッピング法(DCM)の研修を受けた時に水野裕先生が翻訳し、NPO法人シルバー総合研究所・桑野康一先生が朗読して下さった、認知症の方の心の中を表現した詩(文章)です。私達健常者から見た健常者や世界は、認知症の方にとっては以下の詩(文章)に書かれているような、とても不安で細い綱を渡っているような心細さやストレスがあり、とても寂しい世界なのだと解りました。それは、きっと文化や価値感の全く違う、言葉の通じない外国にでも置き去りにされた人の気持ちに似ているのかもしれません。
研修中に朗読を聞いた時は「目をつぶって下さい」と言われ耳を澄ませて聞いたので、自分で読む以上に心に沁み入りツボに入ってしまいました。
読者の皆様は目をつぶったら活字が読めませんね…。でも私が知っている詩の中で1番心に沁み入り、私自身も今迄以上に認知症の方の心が分ったので内的世界にも寄り添う事が出来、認知症の方も心から愛しい一人の人間だと思いました。基本的な事が分かれば、十分ケアにも役立てる事が出来ると思います。
自分の仕事でも忙しくて精神的に余裕がない時、ご家族とはいえ認知症介護に疲れてしまった方にとっては、もしかしてストレスと感じてしまうかもしれない…と感じ躊躇しておりました。
でも、ほんの少しだけ心を落ち着けてコーヒーやビールでも飲みながら、認知症の家族から優しくしてもらった事を少しだけ思いだしながら、リラックスして読んで頂く事が出来れば幸いです。

『濃い霧の中で』

薄暗く、そして霧が立ち込めている。なんだか知っているような場所のような気もするし、はじめての場所のような気もする。ここがどこかわからないまま、ただ歩き続けている。
暑いのか寒いのか、昼なのか夜なのか、見当がつかない。たまに、モヤが引くと、その時だけ、周りのものがはっきり見えたりもする。でも、わかったかと思うと、ドッと疲れを感じて、また同じようにわからなくなってしまう。濃いもやの中を歩いていると、周りの人が何か不気味な話をしながら過ぎ去っていくような気がする。その人たちは、とても元気で何かをしようとしているように見えるが、何をしているのかはわからない。ところどころ、言葉の端はしに自分のことを話しているようにも思える。
ときどき、なつかしいものがあるのに気づいて、近づくと、急にそれは姿を消したり、得体のしれないものに姿を変えてしまう。
すべてを失った感じがして、ひとりぼっちだ。
どうしてよいのかわからず、すべてがこわい。
その上、トイレや食事も満足に自分ではできない。
自分の体が自分の思うように動かず、何か自分が、
汚くていないほうがよいのではないかという感じがする。昔の元気な自分はどこか遠くに行ってしまい、ここにいるのが果たして自分なのかわからない。
あっ、取り調べが始まった。
偉そうな人たちがきて、私には到底できないような、わけのわからないことをしろというのだ。
100から逆に数字を言うように強要したり、「50歳より年の人は、両手を頭の上に上げて」といったり。彼らは、それでいて、その尋問が何のためかは、決して言うことは無いし、その結果をどう思うかも言うことは無い。もしも、何のためにするのかを、教えてくれて、誰かが適切に導いてくれるのなら、よろこんで、できることはしょうと思うのに。

でも、これが現実なんだ。すべてが散り散りで、何の意味があるのか、これから、どうなっていくのかもわからない。
かつて、自分がどこにいて、何をすべきかわかっていたころ;一人ぼっちじゃあなく、持てる力で、誇りをもって、毎日の務めを果たしていたころ;日は明るく自分を照らし、人生が味わい深く、変化に富んでいたころ;そのころのすばらしいときは、暗闇と霧にまぎれて、うすぼんやりしているだけだ。
ところがどうだ。今は、あらゆるものが、無我に壊され、混沌とした中で、たった一人取り残されている。
あるのはただ、二度と立ち直れないような、喪失感だけだ。かつては、自分だって、まともな人間として扱われていた。でも今は、一人の人間としての価値は無くて、ただの用なしだ。少しでも相手に強く出られると、裸同然といっていいほど無防備だ。そして、これは、これから先、ずっと見捨てられて、崩れ去って、人間じゃあなくなるようなもんだ。

(Tom Kitwood,Dementia Reconsidered:the person comes first,Open University Press,Buckingham,1997より:訳 Dr.水野裕)

認知症には見当識障を始めとする色んな症状があります。
いつか自分も…、こんな世界で暮らしたら、どう思うか…、こんな扱いをされたらどう思うかを想像して頂き、お心に響くものがあれば、長谷川先生を筆頭に訳者、トレーナーを始めとする啓蒙者、認知症を理解して頂く為に逆風にも負けずに活動していらっしゃる全ての皆さんにとっても至福の境地でございましょう。
私もその一人です。


投稿者: 玉本あゆみ | 2010年02月08日 22:04

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
長谷川和夫
(はせがわ かずお)
認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授。専門は老年精神医学・認知症。1974年に「桜、猫、電車……」の長谷川式認知症スケール(HDS-R)を開発者して以来、常に認知症医療界の第一人者として時代を牽引してきた。最近では、「痴呆」から「認知症」への名称変更の立役者でもある。『認知症の知りたいことガイドブック』(中央法規出版)、『認知症を正しく理解するために』(マイライフ社)、『認知症診療のこれまでとこれから』(永井書店)など著書多数。
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