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しえの好奇高齢者俳優・宍戸錠レポート

第33回  日活撮影所

 幼い頃、母に連れられて、よく行ったそうです。
 ここは、遊園地よりも面白い場所だったような記憶が、微かに・・・
 ですから、ここで出会った俳優さんやスタッフさんは、父が「娘のしえだよ」と紹介すると、床から50cmぐらいの所を指して、
 「こんなんだったのに・・・」
 「ホントにしえちゃんなの?!」
 と、皆さんそうおっしゃいます。
 「日活撮影所」
 父はこの撮影所のことを「工場」(スタジオ)と言います。つまり、映画工場です。
 そして、この撮影所に一期生として入り、暫くの間、男優室にいたそうです。
 男優室とは、大部屋のことで、日活では男優室、女優室と呼んでいたそうです。
 撮影所の中央あたりに位置するところに、食堂があります。皆、ここで、待機し、出番をまったり、おしゃべりしたり、チャンユー(石原裕次郎さん)専用のビールクーラーボックスが置いてあったり・・・
 「皆、ここでよく飲んだんだよ」と、父。
 撮影が終わると、自然と皆集まり、チャンユーの「この指、止まれ」の一声で、皆で銀座に繰り出したとか・・・
 当時の話を聞いていると、まるで大学のキャンパスのようだったのだろうなと思います。
 勉強(撮影)しながらも、放課後のことが気になり、早く終わらないかとソワソワし、カットがかかると飲みに行く・・・
 皆さん、キャンパス(撮影所)ライフを満喫していたようです。
 その証拠に、日活のどの作品を観ても、仲間で作った映画。友情がフィルムから伝わってきます。
 現在は、撮影所は当時の3分の1ぐらいの敷地になり、高層マンションが迫ってきています。
 しかし、食堂は当時のまま残っています。
 古く味のある食堂に、撮影や取材で時々訪れると、昔からいるおねえさん(?)は、何も注文も聞かずに、「あら、ジョーさん」と言って、ビールを父に差し出します。
 「グイッ」と、一杯、ビールを飲む父。
 ここは父にとって、第二の故郷のような場所なのだろう。
 「もう一杯」と、ビールを頼む父。
 壊れそうな食堂の窓から、フィルムの香が流れ込んできました。

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『シシド ― 小説・日活撮影所』宍戸錠=著 (2001年、新潮社刊)

朝日新聞 6月11日(土)付掲載予定
「そこにスターがいた~東京撮影所物語」日活編 宍戸錠インタビュー

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プロフィール
しえ
1963年東京生まれ。83年、20世紀バレエ団附属芸術学校ムードラ(ベルギー・ブリュッセル)にて特別研究生としてモダンバレエを学ぶ。パフォーマンス・アーティストとして活動。女優としてもドラマに出演。93年より俳優のマネージメントを始め、現在、宍戸錠事務所にて父・宍戸錠ほか俳優陣のマネージメントをするほか、エッセイストとして活動。連載エッセイ「しえの がんルネッサンス」(「月刊がんサポート」エビデンス社)、著書に闘病記『がんだってルネサンス』(母で作家の宍戸游子と共著、中央法規)がある。朝日新聞社医療サイトApitalに連載エッセイ「しえの子宮頸がんから始まる新しい旅」3/7(月) スタート。
http://www.mauamoanamana.com(公式サイト)
宍戸 錠 (ししど・じょう)
俳優。1933年生まれ。日大芸術学部中退、日活にニューフェイス第1期生として入社、日活黄金時代に石原裕次郎・赤木圭一郎・小林旭らとダイヤモンドラインとして活躍。“エースのジョー”の愛称で親しまれる。その後はテレビ「巨泉・前武ゲバゲバ90分」「食いしん坊!万才」などでも活躍。最近の出演作品にNHK大河ドラマ「天地人」、映画『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』、『ケータイ刑事 THE MOVIE 3』(公開中)など。
http://www.joeshishido.com(公式サイト)
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