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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

不自由ではあるけれど、決して不幸ではない

「パチンコ」

パチンコに連れて行くと
認知症の母は声を出して喜んだ。
「もう止めておけ、噂になるから」
父はそう言っていたが
「母さんパチンコ行くか?」
と言うと母は首をたてに振って
ニッコリと笑い、私の後についてきた。
私の横に座り
チューリップに玉が入るごとに
ニッコリニッコリする母。
その笑顔を見て
がぜん張り切る私。

一つ一つの玉が
人生の一日一日のようにも思えた。
チューリップに入るラッキーな〈一日〉もあれば
ただ出口の穴へめがけて
すとんと落ちるだけの〈一日〉もあって。

その日の台はさっぱりだった。
消えていく玉を恨めしく見つめていたら
隣の席に座っているはずの母がいない。
慌てて探すと
母は床に落ちたパチンコ玉を拾っていた。
他人のパチンコ台の下に手を伸ばし
幸運になるのか
不運に終わるのかまだ分からないパチンコ玉を
一つ一つ夢中で無心に拾っていた。
失った日々を、一日一日
取り戻そうとでもするかのように拾っていた。
「母さんみっともないぞ」
振り返った母は
両手に山盛りのパチンコ玉を
ニッコリと笑って私に差し出した。
パチンコ屋の無駄に明るい照明に照らされて
母の手の中で
パチンコ玉が一つ一つ
落ちてきた流れ星のように光っていた。

『母の詩』長崎新聞

pachinko.JPG
イラスト=藤川幸之助

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 この「パチンコ」という詩を新聞に発表し、紙面に掲載されたとき、「しまった。この詩はやめとけばよかった。」と思った。母の命や介護についての連載だったので、尊い命のことを書く場所に「パチンコ」というギャンブルの題はまずかったといささか気が引けた思いだった。読者はもちろん、身近な者も全くこの詩に関する感想を誰もしてくれなかったので、ますます気になった。連載を重ねていくうちに、その気がかりはいつの間にか薄れていったが、ある講演会の後の本のサイン会で詩「パチンコ」のページを開けてサインをしてくれという人がいた。「私は、藤川さんの詩の中でこの「パチンコ」という詩が一番好き」なのだそうだ。親の介護をしているけれど、気晴らしにパチンコに行くんだそうだ。詩「扉」や詩「手帳」などにはいつも感想をもらうのだけれど、この詩「パチンコ」に感想をもらったのは初めてで、できの悪いわが子がほめられたようでとても嬉しかった。
これもたとえ話としてはあまりそぐわないとは思うが、パチンコの話をもう一つ。先日、講演会場に向かうタクシーの中で、運転手さんに「運転手さんは、普段はどんな車に乗っているんですか?」と、聞いてみた。毎日のように運転している運転のプロは、どんな車を選ぶのだろうかと興味があったからだ。「大きなオフロード4WDを買いましたよ。パチンコをきっぱりやめて、毎月のパチンコのお金をローンに充てて。」と、運転手さん。「パチンコは自分の思い通りにならないでしょう。それに比べて車はいい。右にハンドルを切れば右に曲がるし、左に切れば左に行けるし。自分の思い通りに何処にでも行ける。」と言って、その後は車の性能についての説明が続いた。運転手さんには申し訳ないが、車の性能については詳しく知らないので、うなずきながら自分の体と母のことを私は考えていた。
 私にとっては、右に行こうと思えば何の不自由もなく私は右に行くことができるし、何かを手で取ろうと思えば何の問題もなく取ることができる。見つめさえすればそれが何であるか、聞こうとさえすればそれが何の音であるか、嗅げばそれがどんな臭いかは、私には何不自由なく分かるのだ。別の講演会の打ち上げの席で、鼻手術で嗅細胞(きゅうさいぼう)が傷ついて、それ以来臭いが分からなくなった方に、こんな話を聞いた。「介護施設で働いているので、ウンコやオシッコなどの臭いは分からないので良さそうに思われているけれど、自分の体にそれが付いていても分からないのが困るんです。それより何より、ガスなどの危険な臭いが分からないのが、とても怖いんです。」と。私には想像もつかないことであった。母も足が思うように動かず、思い通り歩けなくなり、手が動かず、つかむことができなくなっていく、その一つ一つできなくなっていく過程の中でいろんな思いを抱えながら母が生きていたかと思うと胸が痛い。そこまで、私のイメージは及んでいなかった。
 1月20日の私のブログ「補い合うこと」に、「まほさん」からコメントをもらった。「介護される側」の心を忖度したコメントのように感じたので、「コメントから拝察すると、まほさんは現場のプロフェッショナルの方。」と、まほさんにブログの中でコメントを書いたら、まほさんからこんなメールをいただいた。まほさんに了解を得たので、そのメールの一部をご紹介する。「コメントから、介護職だと思っていただけたようで、実はわたしは介護されている側の人間です。11年前に、大病し、奇跡的に生還。手足の筋肉をなくし、歩けず車椅子でリハビリを続けています。命を助けるための副作用か、徐々に聴力をなくし、今はほとんど聞こえません。握力も右手がかろうじて「5」のこり、家事一切できない障害者1級となりました。・・・すべて夫の手を借りています。シャワーも、着替えも自分ではできません。耳が聞こえなくても、目が見えるので、コメントも人差し指1本で入力です。藤川さんがおっしゃるように、すごく「感じ」ます。涙が出ます。ですから、今日の記事、すごく涙が出ました。手紙をなめるというのがお母様の喜びを表されたものと私も思います。これからも、感じさせていただきます。どんどん伝えてください。」
 耳が聞こえなくなり、私へのコメントを人差し指1本で入力していらっしゃるまほさんの姿をイメージした。そんな状態で、私の拙文にコメントを書いてくださるまほさんに心から感謝した。「藤川さんがおっしゃるように、すごく「感じ」ます。涙が出ます。」この言葉を、母の心の底から聞こえてくる言葉のようにも感じながら、まほさんのメールを何度も何度も読み返した。音を失って、聞こえる音がある。言葉を失って、ふくらむイマジネーションがある。色を失って、見える色がある。できなくなっていくことで、もっと深く感じるものがある。全てができる私には想像も付かないほどの深く広く大きな世界を、まほさんは感じていらっしゃるのだろうと思う。
 この詩「パチンコ」を書いた頃は、いつまでさかのぼれば、認知症とは無縁の母に会えるのだろうか、と考えていた。まるで母が認知症になってからの日々が、母にとって無駄で、意味のない時間のように思えていた。しかし、私といっしょにパチンコに行くときの母の笑顔。本当に嬉しそうだった。その笑顔を見て、母は今幸せなんじゃないだろうかと思った。周りのことを何も気にせず、そのままの母がいた。認知症を、神様がくれたご褒美だという人がいる。ご褒美とはいかないまでも、流れ星のような一瞬の幸せを、認知症は母は感じていたに違いない。まほさんのメールにこんな一文もあった。「自分が体験から気づけたこと、そうして病気や障害は不自由ではあるけれど、決して不幸ではないということを多くの人に伝えることです。」母の認知症になってからの日々も、まほさんと同様に母にとっても私にとっても不幸でもなく、無駄でもなかったのだと、今日は深く分かる。まほさんのメールで、また一つ私のイマジネーションの届く範囲が広くなったように感じる。今日は、まほさんの詩で締めくくりたい。自分の人生を受け入れ、精一杯生きる姿はとても尊い。

こめつぶ
        まほ
ごはんをたべていた
残り少なくなったおちゃわんの中の
こめつぶに涙がでてきた

おいしくたべられるありがたさと
生かされている感謝のおもいで
お箸でたべきれなかったごはんを
ひと粒も残さないように
手でいただいた
    まほさんの詩集「ありがとう」より

◆松本美沙子さん、コメントありがとうございます。「今日は平戸での講演お疲れ様でした。先生とは小学生の時以来で久しぶりにお会いできて嬉しかったです。」と、松本美沙子さん。平戸で講演をしていて、小学生の時の面影が残っていたので松本さんには気がつきました。周りを見ると松本さんのお父さんとお母さんにも気がつきましたし、もっと周りを見渡すと平戸で私が教員をしていたときの保護者の方が大勢いらっしゃったのでびっくりして、久しぶりに緊張しました。15年から20年も前、私が教師になったばかりの頃にお世話になった方ばかり、心から感謝し、平戸の皆さんの温かさに胸が詰まって、涙がこみ上げてきて話し始めることができませんでした。「時々辛い事があるけど利用者の笑顔をみると頑張ろうと思えるので今まで介護を続けられてます。毎日が楽しいです。」介護の仕事というのは、私がしていた教師の仕事と同様に命に寄り添う仕事。命に寄り添う仕事は、自分の生き様さえも深めてくれる仕事です。一日一日を大切に精一杯頑張ってください。先生に戻って、少々長く、説教くさくなりました。ごめんなさい。

◆たっちゃんさん、コメントありがとうございます。「藤川さんにコメントを書くと、誠心誠意心を込めてお返事が返ってくる所が、このブログを読む沢山の方達の心に響く・感じることが多いのだと思います。」と、たっちゃんさん。時には、ブログを書く時間より、コメントへの返信を書く時間が長くかかることがあります。コメントの言葉というのは、その後ろにはそれを書かれて方の私や私の文に対する思いがあります。その上、自分の思いを伝える文を書くには、時間がかかります。誰かのために、何かのために時間を使うというのは、それ自体がその誰かや何かへ思いを伝える尊い行為だと思います。この忙しいご時世、私や私の文のために時間を使ってくださっていると思うと、自然に力が入ります。ですから、コメントを書くとき、時間をかけて私は言葉を書いた方をイメージし、その言葉に隠れた心の中をイメージし、私の心とのつながりをイメージします。その方が書かれた言葉や内容というより、言葉や内容の後ろに広がるその文を書かれた方の思いをイメージしているので時間がかかるのです。

◆SAKさん、コメントありがとうございます。「藤川さんのブログを通して『自分の在り方』を自問自答する僕に、力を授けて頂いているような気にもなり、このコメントが嬉しさの表現とご理解頂けると幸いに思います。」と、SAKさん。コメントを読んで、SAKさんは自分の人生や人との関わり合いを深く考え、真剣に生きていらっしゃる方だと思いました。私の友人がこんなことを言ったことがあります。「藤川の言葉は下剤のようだ」と。私の言葉を読んだり、私と話していると自分の中にある形にならなかった思いが整理され、言葉になって出てしまうんだと、友人は言っていました。なんかほめられたような、薬剤師になったような気がしました。私の言葉に力があるのではなく、私は聞き上手なんです。ただそれだけです。


コメント


藤川さん、いつもおつかれさまです。そうして、貴重なブログで私のことに触れていただき、本当にありがとうございました。藤川さんの記事も、みなさんのコメントも読ませていただいて感じることは、言葉ひとつに重みがあり、ユーモアがあり明るいことです。それはわたしの心が、よどんでいても、きれいに浄化してくれるようなんですね。例えば、誰でも「おかしい」と普通に思うことを、さりげなく、「この角度から見ると、景色は違いますよ。のぞいてごらん」と言ってくださっているようです。私、お母様のパチンコに喜んでついていかれる姿も、必死に玉を拾い集める姿も、赤ちゃんがものも言わず、ただにこにこと笑顔を向ける…周りの人間はとっても癒される時間でしたね。それとお母様の笑顔はおんなじなんです。そう感じさせてくださる言葉を藤川さんがつづられること、お母様との二人三脚のたまものだと感じます。どうぞ、これからも、お体を大切にされ、このブログを楽しみにしております。長文になりましたが、本当にありがとうございました。


投稿者: まほ | 2010年02月03日 15:37

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


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著者:藤川幸之助
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