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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

介護者「らしさ」

「シュークリーム」
            藤川幸之助
ストアーで
ふと目をはなしたすきに
認知症の母がシュークリームに
かぶりついた
母の手の中で
シュークリームの皮の中で
クリームは
重くゆったりと
皮に横たわっていた

息子が母を
母が息子を叱るように
叱った
ストアーの床に落ちた
食べかけのシュークリーム
まだ
重くゆったりと
形を変えて
クリームは皮に寄りかかっていた

おしめで
ブクブクと膨れあがった
大きなシュークリームのようなお尻で
アヒルのようにストアーを出て行く
「おれの母さんだろう!」
と、母をにらみつけた
「しっかりしろ!」
と、声を押し殺して
母を叱るように
自らを戒めるように言った
母が私をじっと見つめた

こころの色をして
クリームが
母の中にも
私の中にもあった

DSC_8681.JPG
写真=藤川幸之助

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 一般的にその存在がどのように思われているかが分かる言葉が「らしさ」である。散髪に行く暇がなく、ぼさぼさ髪で講演に行ったときのこと。「この次来るときは髪を切って来ますから」と言うと、ぼさぼさの方が「詩人らしく」ていいと言われ、まだ自分のことを詩人と名乗っていいかどうか自信のない私はとても嬉しかった。また、教師をしているとき、「教師らしさ」に欠けるとよく言われたが、教師を辞めてからは、「教師らしい」物言いだなあと言われるときがある。この「らしさ」の中に、詩人や教師が一般的にどのように思われているかが集約されているらしい。
 覚せい剤取締法違反の罪で起訴された元女優のSさんが介護の仕事を勉強したいと言った。Sさんが心からそう願っているのかもしれないし、法廷での戦略という意味では至極当然であるが、ここで明らかになってくるのが「介護」という職業の一般的な見られ方である。「介護職らしさ」である。「善意」や「優しさ」、「愛」、「利他」。介護というものは、外側から見るとそのように見えるのかもしれない。だから、法廷の戦略や乱れた自分自身を正すためにそこに目標を定めたのかもしれない。忙しさ、ヨダレの匂いや汚物。自分のイメージ通りに動かないお年寄りへの苛立ち。普通の会話が通じないジレンマ。感性が豊かな者ほど高齢者の痛みを感じ、いたたまれなくなる。綺麗事だけを並べても、その日常に「介護職らしさ」である「善意」や「優しさ」、「愛」、「利他」なんて跡形もなく吹っ飛んでしまうのだ。
 沖縄に講演に行ってこんな人にあった。その人は、介護施設で働いていて肉体的にも精神的にも疲れ果てて、退職してICチップ工場に勤めた。一年間、小さなICチップを機械に入れる作業をしていたが、作業中は全く人との会話もない。人と接したくなって、また介護施設に戻ったそうだ。「介護施設で働くというのは、辛いことも苛つくこともいっぱいあるけれども、おじいちゃんやおばあちゃんにまた会いたくなったんです。」と、彼女は命に寄り添う仕事に魅力を感じている様子だった。「ICチップを落として破損させてしまうと500円ぐらいですむけれど、お年寄りの介助の時その体を落とすわけにいかないんです。命だから、その重みが違うんです。」と、嬉しそうに彼女は付け加えた。その「命の重み」を喜びと思える彼女に「介護職らしさ」を深く感じた。
 介護を外側から見ているだけでは、その大変さも分からないが、その喜びも分からない。
だから、「介護職らしさ」などやってみないと分からないことである。その人が「介護」というものをどう捉えて、お年寄りにどのように接していくか、そしてその仕事とともにどのように生きていくか。つまり、職業とともに「その人らしく」生きているかということになると思うのだ。職はイメージではなく、その職の中でしっかりと生きていかなければならないのだ。
 私には母を介護する「介護者らしさ」など全くない。母の介護は父に任せっきりだったので、介護の技術も何も知らなかったし、母の病気に関する知識も乏しかった。ただ、病気を抱え老いていく母を前に、悲しんだり、おこったり、喜んだり、思案したりしながら日々をしっかり生きていくだけだった。母を介護していると言うより、母と一緒に生きているという感じがしていた。だから、母にはいっぱい迷惑もかけたが、私は私らしく母の命によりそうことができたのかもしれない。母のことを私が面倒を見ている構図ではなく。母という港につながれた船のように、「私らしく」波に揺れ続けているのだ。


◆スーザンさん、コメントありがとうございます。今日、沖縄の講演から帰ってきました。
 スーザンさんは、どこの講演会のスタッフの方でしょうか。10月末から今日まで、立て続けに7講演しましたので、どの講演会の方だろうと想像するのもとても楽しいです。「特に、突然の歌声に、意外!?な美声に、僕も会場の皆様も驚きました。」と、スーザンさん。講演会では、父が母によく歌ってあげていた「旅愁」を皆さんの前で歌います。歌声をほめられるのはとても嬉しいです。「旅愁」とは、旅先での物寂しさの意味です。私にとっては、講演先は旅先であることが多いのですが、その旅先での私の心境は物寂しさではなく、喜びです。それは、スーザンさんのような講演会のスタッフの方々や講演を聞いてくださる方々などいろんな方々に出会えるからです。


コメント


北海道の道東に置戸町という小さな町があります。高校は1学年1クラスで福祉科単科のみです。中学生の時に進路を決め入学し講義と実習を重ね3年間で介護福祉士取得を目指します。介護福祉士は国家資格ですが、とても高い合格率を誇っている高校です。
私は、置戸町の地域包括支援センターの保健師をしていますが、毎年生徒さん達に包括支援センターの役割や高齢者支援の講義を2時間担当しています。今年は16日だったのですが、いつも授業の最後には介護に役立つ本の紹介や、お年寄りと接するときの姿勢についての希望を伝えてきました。
今年は藤川先生の13日のブログを使わせていただきました。
介護は心身ともにすり減らす事もありますが人・命に関わる仕事だからこそ得られる感動や充実感があり、それに気づいた沖縄の女性のことを是非当町の生徒さんにも伝えたかったからです。
直接の感想はありませんでしたが、すでに就職の決まった生徒さん数名からは、「介護職の大変さは覚悟しています。頑張りたい」「中学生の時から介護の仕事はしたいと思っていました」「困っている人や援助を必要としている人の助けになりたい」など介護への思いを聞くことができました。
希望を持って社会に巣立っていく若者が挫折せず仕事をし続けられるような環境が整備されることを願うとともに責任も感じました。


投稿者: nobimama | 2009年11月17日 21:10

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


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著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
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