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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

弱音を吐きだすこと

「そんな時があった」

母よ、私はあなたを殺してしまおうかと
思ったことがあった

あなたの子どもの私が
あなたの親になったとき

私の親のあなたが
私の子どもになったとき

大便にさわりたがるあなたに
大便にさわりたくない私が
「おれの母さんだろう」と叫んだ日

よだれがたれるあなた
よだれで呼吸ができなくなるあなた
「何やってんだ」といらつく私

どうしても指をくわえるあなた
指をくわえさせたくない私

歩き回るあなた
石になってもらいたい私

食べないあなた
でもどうにか食べさせて
元気になって
長生きしてくれと祈った息子の私
その息子の私が
あなたを殺してしまおうかと
思ったことがあった
殺せばあなたのこの認知症という病も
そして、私のこの苦しみも
跡形もなくなくなってしまう
だから、あなたを殺してしまおうかと
思ってしまったことがあった
あったのではなく
そんな気持ちが心のどこか深い所にあって
私にゆっくりと近寄っては
どこか心の深い所に離れていっていた
そんな時が私にはあった

『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)


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 先日、新聞で認知症の母殺しの記事を読んだ。いかなる理由があろうとも殺すという行為は、決して許されないし、私には理解はできないが、認知症の人を前にして、殺したいと思ってしまうほど混乱している人の心の中は、私には痛いほどよく分かる。そんな私の心の中にある弱い部分を、冒頭の詩「そんな時があった」でさらけ出した。私は、この詩の中で弱音を吐いた。
「介護はプロに任せて、家族は愛情を注ぐ役割になるのが介護保険制度の理想。」と桝添要一厚労相*1。家族の介護で共倒れにならないようにという配慮の言葉だろうが、愛情を注ぐこと、これがなかなか難しい。愛をもって認知症の母に接しようと思って、一日をはじめるのだが、自分のイメージ通りに動かない母に苛立ち、自分を育ててくれた親だからこそ情けなくなり、叱ったり、怒ったりしながら、母との将来が不安になる。そして、ついには自責の念に駆られる。こんな「思い」が、心の中で、ぐるぐるぐるぐる堂々巡りをするのだ。愛情を注ぐのも大変なのだ。
 この堂々巡りは、健康によくない。そこで、私はその思いを言葉にして外に吐き出すことにしている。認知症の母に対する私のそのままの気持ちをノートに書き出す。いやなときはいやだと書き、辛いときは辛いと書き、悲しいときは書きながら泣く。そして、この堂々巡りを断ち切る。「これが私なんだ」と、私の心の中から外に吐き出された本当の自分を確認する。私の場合、こうすることによって何か救われた気持ちになる。つまり、弱音を外に吐き出すことで、心の健康を保ってきた。 心の浄化法というところだ。
 私は詩人なので、その吐き出したものを詩にする。すると、その詩を読んだ読者から読書カードが届く。「私も同じ経験をしました」「私も同じ思いです」と。その感想を読みながら、こんな思いをしているのは、私一人ではない、私の思いを分かってくれている人がいると涙が出たりもする。私には、弱音を吐き出す場所があり、共有してくれる相手がいるのだ。「本を書いてくださってありがとう」と書き添えてあるカードもあるが、助けられているのは私の方であって、ありがとうを言わなければならないのはこの私だ。
 厚生労働省研究班の調査によると、高齢者などの介護をしている家族の4人に1人が軽度以上のうつ状態で、介護者が65歳以上の「老老介護」では、介護者の3割以上が「死にたいと思うことがある」と回答したとのこと*2。このようなデータを見ると、弱音を吐き出す場所や相手を持たず、その苛立ちや悲しみを、孤独の中で堂々巡りさせている介護者が多いのではないかと、勝手な推測ながら考えずにはいられない。
 私のような三文作家でも、講演会の後、本を売るためにサイン会をするときがある。本の扉を開けて、サインをして、落款を押す。その間に、多くの方が私に話しかけてこられる。「お話、心にしみました」と一言講演の感想の後、「私にも認知症の母がいて…」と自分の体験談や介護している親や連れあいの方の話をされる場合が多い。あまり長くなってくると、帰りの飛行機の都合や主催者の会場を借りている時間などが気になってくるが、そんなのお構いなしにじっとその話を聞く。いろんな介護の体験や介護への思いを聞く。お互いの思いや心を共有する場が、そこにはできる。介護をしている方は、こんなにも自分の心にたまったものを吐きたがっているんだと、いつもいつも感じる。
 みんな吐きたがっている。みんな聞いてほしいのだ。介護される側はもちろん、介護する側も、そして、「介護を任せられたプロ」も、みんな自分の心の叫びを聞いてほしいのだ。これは、認知症や介護に限ったことではない、子どもも大人も、人は自分の話をみな聞いてほしいと思っている。自分を聞いてもらうことで、人は一人ではないと感じたいのだ。それが微かなものであっても、聞いてもらうことで、人は人とのつながりを感じていたいのだ。口をつぐみ、まなざしを向け、相手の言葉に耳を澄ませる。ただそれだけで、人は人を優しく包み込むことができる。話を聞くことは、人を愛することと、どこか似ていると思う。ふと見つけた花が、静かに私に向かって開いている。それだけで、私は愛を感じるときがある。

fujikawa090511jpg.jpg
写真=藤川幸之助

*1 2009/02/16【紀伊民報】
*2 2006/05/31【共同通信】


 きこりさん、パルさん、みくさん、ぷーさん、ブログの感想ありがとうございます。
 きこりさん、あなたの書かれた「この詩を胸に、これからの父が待つ病院へ顔をだしに行ってきます。」という詩「手帳」への感想。認知症になったばかりの母とのことを思い出しました。「今日こそは叱るまい。今日こそは母に優しく笑顔で接しよう。」と、何度思って家を出たことか。そう思っても、帰りにはいつも、なかなか認知症の母や母の行動を受け入れられない自分がいやになっていたことを思い出しました。
「支える側が,実は支えられている」という言葉の深い意味を実感します。という、パルさんの感想。学校に勤めていらっしゃるパルさんの言葉はずっしりと重い。教育に置き換えれば、「教える側が、教えられるとき」ということになるのでしょうか。教える側の教師が、教えられる子どもから学ぶということを自覚したとき。その時こそ、教育というものが、「生きること」としっかりと重なり合う瞬間だと思います。
 認知症に向き合うのではなく、その人自身に向き合うことの大切さを今更ながら気づきました。という、みくさんの言葉。私も、認知症を通しての母ではなく、母そのものと向き合い、母の後ろに広がる人生を見つめるようになってから、それまで見えなかったものが見えてくるようになったような気がします。認知症は、母の人生の一部に過ぎないのだと感じるのです。
 私自身、母が認知症になりだんだんと物忘れが多くなり、苛立つことも多くありました。
という、ぷーさんの感想を読むと、私も「私だけではなかったんだ」と、何か安心します。私が読んでもらっているのに、私が、ぷーさんに話を聞いてもらってるような気になります。ありがとうございます。


コメント


「介護はプロに任せて、家族は愛情を注ぐ役割になるのが介護保険制度の理想。」
これって本当に理想なんです。
でも家族だから全てに愛情を注ぐことが難しい時もあるんだと思います。理想のようにいかないから、泣いたり、悲しんだりしているんだと思います。
介護保険ではまかないきれないものは、たくさんあるんだと思いませんか?「介護を任せられたプロ」達も一生懸命なのです。一生懸命になりすぎるとバーンアウトしてしまうんです。プロたちも時には、肩の力をふーっと抜いて欲しいです。プロに任せるのではなく、一緒に頑張っていきましょうの方が、私は好きです。


投稿者: ぷー | 2009年05月03日 20:16

認知症の母を介護しています。
穏やかな父と、介護を手伝ってくれる姪と一緒に。
手は出さないけれど、実家に通う毎日を応援してくれる家族もいます。
贅沢しなければ金銭的に困ることもありません。
五十肩や腱鞘炎は痛いけれど、重症な病気ではありません。
以前は介護の仕事をしていましたので、認知症の知識もあるつもりです。
今まで人には言えませんでしたが、こんな恵まれた状況の私でも、この詩のように思うことがあります。ありました。
そんな自分を認めたくなかった。でも私だけじゃなかったんだ。と。泣きながら楽になりました。
ありがとうございました。


投稿者: kiki | 2009年05月08日 22:59

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
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