第34回 健康は日々の対策が大切
サリン事件で多くの人の命を救った「備え」
1997年3月20日の朝8時過ぎ、地下鉄サリン事件が起きました。
そのとき、私は聖路加国際病院で幹部会の最中でしたが、それをただちに中止し、院内放送で「今日の外来は全部中止します。今日の手術は今麻酔をかけている人以外は全部中止して、地下鉄の被害者を収容するように」と告げ、全スタッフを緊急招集して治療にあたりました。そして、来院した急患は全部受け入れました。
搬送されてきた時には呼吸停止状態だった人が4人いましたが、残念ながらそのうち1人だけは手遅れで亡くなりました。
540床の聖路加国際病院が、事件発生から2時間で640人もの患者さんを受け入ることができたのはなぜか。それは、緊急時を想定して病院を設計していたからです。
廊下やラウンジ、待合室などは広くとり、そして広々としたチャペルも作りました。これは、緊急時にはたくさんの患者さんを収容するスペースとして使うためです。
また、病院中の壁に酸素吸入とサクション(吸引)の配管をめぐらせました。これで、いざというときにどこでも適切な救急処置ができるというわけです。
建設計画時には、過剰投資だ、この広さでは採算が取れないなどと批判も受けました。しかし、私の考えが正しかったことが、サリン事件のときに証明されたのです。
また、大地震などの災害時は、病人を大都市の病院に搬送しますが、その道中で亡くなってしまうことが多いのです。阪神淡路大震災のときには、水がなくて透析ができなくなったために困った腎臓病患者の方もたくさんいました。聖路加国際病院ではそういうことがないように考えて設備を整えました。
そのとき、私は聖路加国際病院で幹部会の最中でしたが、それをただちに中止し、院内放送で「今日の外来は全部中止します。今日の手術は今麻酔をかけている人以外は全部中止して、地下鉄の被害者を収容するように」と告げ、全スタッフを緊急招集して治療にあたりました。そして、来院した急患は全部受け入れました。
搬送されてきた時には呼吸停止状態だった人が4人いましたが、残念ながらそのうち1人だけは手遅れで亡くなりました。
540床の聖路加国際病院が、事件発生から2時間で640人もの患者さんを受け入ることができたのはなぜか。それは、緊急時を想定して病院を設計していたからです。
廊下やラウンジ、待合室などは広くとり、そして広々としたチャペルも作りました。これは、緊急時にはたくさんの患者さんを収容するスペースとして使うためです。
また、病院中の壁に酸素吸入とサクション(吸引)の配管をめぐらせました。これで、いざというときにどこでも適切な救急処置ができるというわけです。
建設計画時には、過剰投資だ、この広さでは採算が取れないなどと批判も受けました。しかし、私の考えが正しかったことが、サリン事件のときに証明されたのです。
また、大地震などの災害時は、病人を大都市の病院に搬送しますが、その道中で亡くなってしまうことが多いのです。阪神淡路大震災のときには、水がなくて透析ができなくなったために困った腎臓病患者の方もたくさんいました。聖路加国際病院ではそういうことがないように考えて設備を整えました。
東京大空襲の悔しさが新病棟設計の原点
私がこのような病棟を作ったのは、昭和20年3月10日の東京大空襲の経験があったからです。
あのとき私は、大火傷を負った人たちの治療に明け暮れました。しかし、病院に入りきれなかった大勢の人たちが、野外に寝かされたまま、ろくに治療も受けられずに亡くなりました。
この悲惨な体験から、私は、戦争や大災害に対応できる病院を作ろうと心に誓ったのです。
1992年の聖路加国際病院の新病棟建設にあたって、私はスイスとスウェーデンの病院を視察しました。これらは中立国ですから、自ら他国を攻めることはありませんが、攻撃されたときに国民を守るための軍隊や防御態勢は整っています。
爆撃を受けたときのために、病院には地下に手術室や自家発電施設が完備していました。聖路加でもそれを採り入れて、チャペルの壁や廊下の壁にも配管してすぐに病室として機能するようにしました。
あのとき私は、大火傷を負った人たちの治療に明け暮れました。しかし、病院に入りきれなかった大勢の人たちが、野外に寝かされたまま、ろくに治療も受けられずに亡くなりました。
この悲惨な体験から、私は、戦争や大災害に対応できる病院を作ろうと心に誓ったのです。
1992年の聖路加国際病院の新病棟建設にあたって、私はスイスとスウェーデンの病院を視察しました。これらは中立国ですから、自ら他国を攻めることはありませんが、攻撃されたときに国民を守るための軍隊や防御態勢は整っています。
爆撃を受けたときのために、病院には地下に手術室や自家発電施設が完備していました。聖路加でもそれを採り入れて、チャペルの壁や廊下の壁にも配管してすぐに病室として機能するようにしました。
いつか遭うかもしれない危機に備えて
今の日本ではどうでしょうか。戦争は遠い昔のことになってしまっています。
しかし、これから自衛隊が「自衛軍」になり、米国と共に集団行動をするようになれば、日本が核兵器を持つのと同じことです。これから何が起こるかわからない、追い込まれた危険的状況にあるのです。そのことを、私たちは、大人だけでなくこれから21世紀をつくる子どもたちにも教えなくてはいけません。
私たちの体も、今は健康でも、それがこの先もずっと続くという保証はありません。あらゆる可能性を想定して、危機管理対策を怠らないようにする必要があります。
しかし、これから自衛隊が「自衛軍」になり、米国と共に集団行動をするようになれば、日本が核兵器を持つのと同じことです。これから何が起こるかわからない、追い込まれた危険的状況にあるのです。そのことを、私たちは、大人だけでなくこれから21世紀をつくる子どもたちにも教えなくてはいけません。
私たちの体も、今は健康でも、それがこの先もずっと続くという保証はありません。あらゆる可能性を想定して、危機管理対策を怠らないようにする必要があります。
(2008年8月18日)
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