第32回 健康は自分で学ぶもの
福沢諭吉、吉田松陰、クラーク博士の共通点とは?
今の日本では、教育は「学校の教室で先生がするもの」ということになっているようですが、私はそれだけでは不十分だと思います。教育には、教師と生徒が一緒に生活しながら学ぶような場が必要です。
1858(安政5)年、福沢諭吉が、慶応義塾の原点となる蘭学塾を開きました。彼の行った教育は「教授とは言いながら実は教うるがごとく、学ぶがごとく、ともに勉強しているうちに」(『福翁自伝』)と書いたように、教える者と教わる者が共に学ぶ「共学」の精神に基づいたものでした。
1857(安政4)年には、吉田松陰が松下村塾の主宰者となりました。松陰もやはり、塾生たちに一方的に教えるのではなく、一緒になってさまざまな問題について論じました。また、講義は室内だけでなく農作業を共にしながら行なうなど、心身両面の鍛錬に重点が置かれたといいます。
松陰は29歳という若さで亡くなりましたが、彼のもとで学んだ高杉晋作、伊藤博文、山県有朋ら数人の若者が、のちに明治維新の中心人物となり、新しい日本をつくったのです。
また、1876(明治9)年には、札幌農学校(現在の北海道大学)が開校し、クラーク博士が初代教頭に就任しました。2期生からは、新渡戸稲造や内村鑑三など、その後の日本の発展を支える人物を輩出しています。しかし、彼らは直接クラーク博士の指導を受けていません。クラーク博士は、米国から来日してわずか8か月で帰国したからです。
2期生、3期生の教育は、なんと1期生が行いました。8か月という短い期間でしたが、クラーク博士と寝食を共にするうちに、1期生がその志をしっかりと受け継いだのです。
1858(安政5)年、福沢諭吉が、慶応義塾の原点となる蘭学塾を開きました。彼の行った教育は「教授とは言いながら実は教うるがごとく、学ぶがごとく、ともに勉強しているうちに」(『福翁自伝』)と書いたように、教える者と教わる者が共に学ぶ「共学」の精神に基づいたものでした。
1857(安政4)年には、吉田松陰が松下村塾の主宰者となりました。松陰もやはり、塾生たちに一方的に教えるのではなく、一緒になってさまざまな問題について論じました。また、講義は室内だけでなく農作業を共にしながら行なうなど、心身両面の鍛錬に重点が置かれたといいます。
松陰は29歳という若さで亡くなりましたが、彼のもとで学んだ高杉晋作、伊藤博文、山県有朋ら数人の若者が、のちに明治維新の中心人物となり、新しい日本をつくったのです。
また、1876(明治9)年には、札幌農学校(現在の北海道大学)が開校し、クラーク博士が初代教頭に就任しました。2期生からは、新渡戸稲造や内村鑑三など、その後の日本の発展を支える人物を輩出しています。しかし、彼らは直接クラーク博士の指導を受けていません。クラーク博士は、米国から来日してわずか8か月で帰国したからです。
2期生、3期生の教育は、なんと1期生が行いました。8か月という短い期間でしたが、クラーク博士と寝食を共にするうちに、1期生がその志をしっかりと受け継いだのです。
教育とは教師と生徒が共に学ぶもの
このように、教育とは、教師が教壇からじょうろで水をかけるのを生徒がただ口を開けて受ける「お説教型」ではなく、生活の中で共に実践しながら学びとる「体験共有型」が本来の姿だと思います。
ところが、今の日本の学校教育ではどうでしょうか。
私は、2年前から主として10歳の子どもたちに「いのちの授業」を行っています。これまで80校以上の小学校を訪れました。小学校の授業は、一般に算数や国語、社会などと教科ごとに分かれていて、それぞれの先生が専門の分野について教えているところが少なくありません。ところがどの科目でも「いのちの大切さ」については教えていないようです。足し算や掛け算、漢字の読み方などは教えていても、それを生かして使う人間の「生き方」は教えていないのではないかと思うのです。
小学校の教育では、人間の生き方の根幹になるものを教えなければなりません。つまり、どう生きるかということを教えることです。これを、理科や算数、国語などの教科を活用しながら、生徒と一緒に体験しながら教えるということです。生きることについて先生がよく学習し、理解していなければ、そういったことはできないでしょう。
ところが、今の日本の学校教育ではどうでしょうか。
私は、2年前から主として10歳の子どもたちに「いのちの授業」を行っています。これまで80校以上の小学校を訪れました。小学校の授業は、一般に算数や国語、社会などと教科ごとに分かれていて、それぞれの先生が専門の分野について教えているところが少なくありません。ところがどの科目でも「いのちの大切さ」については教えていないようです。足し算や掛け算、漢字の読み方などは教えていても、それを生かして使う人間の「生き方」は教えていないのではないかと思うのです。
小学校の教育では、人間の生き方の根幹になるものを教えなければなりません。つまり、どう生きるかということを教えることです。これを、理科や算数、国語などの教科を活用しながら、生徒と一緒に体験しながら教えるということです。生きることについて先生がよく学習し、理解していなければ、そういったことはできないでしょう。
健康は医者が与えてくれるものではない
健康や医療についても同じことがいえます。たとえば、病気の治療法は、医者が言うよりも、同じ病気を患った友達から聞く方が説得力があるものです。また、いくら奥さんが「たばこをやめなさい」と言ってもあまり効果はありませんし、たばこを吸っている医者が言うならなおさらです。
医療は、医者が授け、患者が受けるという一方通行ではなく、両者が一緒になって取り組んでこそ効果があるものです。
健康は、何もしないでいて誰かが与えてくれるというものではありません。私たち医療者はもちろん、病を持った人もそうでない人も、ともに体験し、考え、健康意識を高めていくようにしていくことです。
医療は、医者が授け、患者が受けるという一方通行ではなく、両者が一緒になって取り組んでこそ効果があるものです。
健康は、何もしないでいて誰かが与えてくれるというものではありません。私たち医療者はもちろん、病を持った人もそうでない人も、ともに体験し、考え、健康意識を高めていくようにしていくことです。
(2008年7月22日)
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