第7回 人生の春夏秋冬をどう迎えどう送るか(1)
シュバイツアー博士の医療活動の現地を訪ねて
シュバイツァーは21歳の時、直接人類に奉仕する道を見つけたいと思い、30歳になったら、それを実行することを固く決意していました。その頃のシュバイツァーは、既にパイプオルガンの演奏家として世界的名声を得ていたばかりか、哲学者、神学者としても名を馳せていましたが、パリ伝道協会の会報にアフリカの深刻な医療事情が報じられ、医師を求めているのを知り、医学校へ入学して医師になることを目指し、38歳で医師の免許を取得しました。そして欧州の各地の教会で音楽会を開いてお金を集め、それで薬や医療器具を買って、50年余にわたりアフリカで医療活動をされました。
私はフランスから飛行機でガボン共和国の首都リーブルヴィルに飛び、そこからランバレネまで3時間車でドライブをしたのですが、路面はカタガタで信号もありません。シュバイツアー博士の開設した病院には、今でも世界から若い医学生やお医者さんが医療活動をしています。ところが日本からは1954年に野村実医師が約9か月間、そして1956年から1966年までは高橋功医師が現地で奉仕活動をしていますが、それ以後誰も行っていません。
そのような様子を見て、私は、日本は今、世界に何を貢献しているのだろうかと考えました。ネパールには、今でも小学校に行けない子どもたちが大勢います。小学校が不足しているからです。またお医者さんも不足しています。そのような地域に私たちはお医者さんや看護師さんを送らなくてはなりません。
新しい医学教育を提案する
私は長い間、日本の医学教育の革新に取り組んできましたが、アメリカやカナダの大学では、日本のように授業の出欠を取ったりすることはありません。先生よりも遅れて出席する学生はいないのです。日本で出席を取らないのは東大と京大の医学部だけではないかといわれていますが、どうも日本では、学生はアルバイトのほうが忙しいらしいのです。
日本の大学生はあまり勉強をしません。アメリカでは、親に授業料を出してもらっている医学部の学生などいません。経済的に豊かな家庭でも、医学生はローンを組んで授業料を払っています。ですから授業を受ける姿勢は真剣です。
このような状況では、日本の医学教育はますます世界から遅れをとり、医学についても先進国についていけないのではないかと危惧します。
日本の医学の分野では、新しい研究はなかなかむずかしいようです。100年以上あるノーベル生理学・医学賞の歴史の中で、日本人でノーベル生理学・医学賞を受賞した人はただ一人、利根川進先生だけです。しかし、彼は京都大学の出身ですが、医学部ではなく、理学部で化学を専攻されました。
100年余りの間、一人もこの分野に受賞者がいないということは、医学部出身者に人材がいないというわけでなく、医学部の教育や研究の仕方が間違っているからです。
私はこれまでにないような若手研究者を養成する学校を設立しなくてはならないと考えています。そこで近々、私は文部科学大臣や厚生労働大臣に、新しい医学教育を提案するつもりです。韓国の医学教育は、今までは日本と同様高等学校卒業後の6年制でしたが、再来年からアメリカ式に全部変わるというダイナミックな政策転換を図っています。
日本の大学生はあまり勉強をしません。アメリカでは、親に授業料を出してもらっている医学部の学生などいません。経済的に豊かな家庭でも、医学生はローンを組んで授業料を払っています。ですから授業を受ける姿勢は真剣です。
このような状況では、日本の医学教育はますます世界から遅れをとり、医学についても先進国についていけないのではないかと危惧します。
日本の医学の分野では、新しい研究はなかなかむずかしいようです。100年以上あるノーベル生理学・医学賞の歴史の中で、日本人でノーベル生理学・医学賞を受賞した人はただ一人、利根川進先生だけです。しかし、彼は京都大学の出身ですが、医学部ではなく、理学部で化学を専攻されました。
100年余りの間、一人もこの分野に受賞者がいないということは、医学部出身者に人材がいないというわけでなく、医学部の教育や研究の仕方が間違っているからです。
私はこれまでにないような若手研究者を養成する学校を設立しなくてはならないと考えています。そこで近々、私は文部科学大臣や厚生労働大臣に、新しい医学教育を提案するつもりです。韓国の医学教育は、今までは日本と同様高等学校卒業後の6年制でしたが、再来年からアメリカ式に全部変わるというダイナミックな政策転換を図っています。
世界のことを知らなくてはならない
日本では、高校や大学を卒業したら、一年間外国に出かけて、ボランティア活動をするようにしてみてはいかがでしょうか。たとえば、難民のキャンプでボランティアをする、農業を手伝う、医療のない地域で医師や看護師の手伝いをするなどです。そして、アジアやアフリカ、南米がどのような国家情勢になっているかを体感してから、日本に帰り、社会に入って学校の先生になったり、病院で働いたり、公務員になったり、政治家として働くようにするとよいのです。
日本では、大学に入学しても十分な勉強をせずに卒業して社会に押し出され、就職して、銀行員や公務員になったり、ビジネスをしたりします。世界を知らないままなのです。
私は95歳のお正月に決心したのは、聖路加国際病院に新しいタイプの医学校をつくってみようということでした。私は間もなく96歳になりますが、100歳までにそれがやれるかどうかと考えると、とても時間が足りません(笑)。だからどうすればいいかと思って考えております。(続く)
日本では、大学に入学しても十分な勉強をせずに卒業して社会に押し出され、就職して、銀行員や公務員になったり、ビジネスをしたりします。世界を知らないままなのです。
私は95歳のお正月に決心したのは、聖路加国際病院に新しいタイプの医学校をつくってみようということでした。私は間もなく96歳になりますが、100歳までにそれがやれるかどうかと考えると、とても時間が足りません(笑)。だからどうすればいいかと思って考えております。(続く)
(2007年7月2日)
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