是枝さんは、特別養護老人ホーム「福音の家」勤務を経て、大妻女子大学で介護福祉学の教鞭をとってこられました。東京都介護福祉士会会長を長く務めるなど、介護の世界にはとても造詣が深い方です。
せっかく介護の仕事に就いたのにもかかわらず、辞めてしまう人が多いと聞きます。「もう辞めてしまおうか」などとお考えの人もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうした人に向けて、是枝さんには、介護に関するコメントとともに、介護の仕事の素晴らしさが実感できるような、さまざまなエピソードをご紹介いただきます。
是枝さんご自身も、決してこの仕事が楽しくて楽しくて仕方がないということばかりではなかったとおっしゃいます。ご自身の経験も踏まえながら、そんな悩みに対して、一緒に考えていっていただきましょう。
せっかく介護の仕事に就いたのにもかかわらず、辞めてしまう人が多いと聞きます。「もう辞めてしまおうか」などとお考えの人もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうした人に向けて、是枝さんには、介護に関するコメントとともに、介護の仕事の素晴らしさが実感できるような、さまざまなエピソードをご紹介いただきます。
是枝さんご自身も、決してこの仕事が楽しくて楽しくて仕方がないということばかりではなかったとおっしゃいます。ご自身の経験も踏まえながら、そんな悩みに対して、一緒に考えていっていただきましょう。
第4回 ハラハラドキドキ
ケアマップをつくろう
「外の空気が吸いたい」「鍋物をみんなでつつきたい」「アツアツのラーメンが食べたい」・・。施設に入居していると、外の風景は見えるけど、何だか狭い世界の中に閉じ込められている感じがします。誰だって、家の中だけで生活するのは苦痛でしょう? 外に出たいと思うのは当然です。
外に出たいけど、施設側は、「外には出たら危険」「転んだら誰が責任をとるんだ」と、安全のことばかり考えます。
でも、人間の生活って安全が目的ではありませんね。
私たちの日常生活は、最低限度、散歩をしたり、買い物に出たり、景色をみたり、近所の人と話したり、たまには外食をしたりして成り立っています。多少の危険はあるけれど、ハラハラドキドキがあるから外出は楽しいのです。外出は、足腰にはいいし、歩くことは脳の刺激になり、認知症の予防や進行の抑制につながることがわかっています。
だから、ケアの「現場」を、もっと町なかに広げたらどうでしょう。そのためには、外出先での行動を考え、連れて行くことができる場所のマップをつくります。散歩コースも、季節や時間帯によっていくつか用意します。公園に行って休んだり、歌を歌ったり、幼稚園などとタイアップして散歩コースに組み入れてもいいですね。休憩場所やトイレの場所も確認します。
外に出たいけど、施設側は、「外には出たら危険」「転んだら誰が責任をとるんだ」と、安全のことばかり考えます。
でも、人間の生活って安全が目的ではありませんね。
私たちの日常生活は、最低限度、散歩をしたり、買い物に出たり、景色をみたり、近所の人と話したり、たまには外食をしたりして成り立っています。多少の危険はあるけれど、ハラハラドキドキがあるから外出は楽しいのです。外出は、足腰にはいいし、歩くことは脳の刺激になり、認知症の予防や進行の抑制につながることがわかっています。
だから、ケアの「現場」を、もっと町なかに広げたらどうでしょう。そのためには、外出先での行動を考え、連れて行くことができる場所のマップをつくります。散歩コースも、季節や時間帯によっていくつか用意します。公園に行って休んだり、歌を歌ったり、幼稚園などとタイアップして散歩コースに組み入れてもいいですね。休憩場所やトイレの場所も確認します。
聴覚は最期まで残る(多恵さん1)
マイペースなおばあさんがいました。一口でいってしまうと「他人のことなんかお構いなし」というより、人間嫌いなのかもしれません。人が声をかけるのを嫌がるし、そばに寄るのも嫌う。何しろ「来ないで!」などと、はっきり口にするのです。生涯独身の人で、優しい姪御さんが近くにいて、ときどきおばあさんを訪ねて様子をみていました。
この人を「多恵さん」と呼びます。多恵さんはお針のうまい人で、お針のことになると、人に教えたり、いろいろな話になります。好きなことでは饒舌になるんです。
人が声をかけると無視するのですが、ときどき私たちに声をかけることはありました。それがとてもいやみなのです。
たとえば、若い介護実習生が、「何かさせていただくことはありませんか」などと聞くと、「あんた、勉強中なのに何のお世話ができるの?」などと返事します。
「あんたの親の顔がみたい」なんていうのも、朝飯前のごあいさつでしたね。実習生を泣かせるだけではなく、私たちもいやみ攻撃にあわないように、かける言葉に気をつけていました。
意地が悪いといってしまえばそれまでですが、「明治女」らしい節度というか、意地も強かった。たとえば、歩行が難しいのですが、ポータブルトイレを傍らに置いて、はってでもポータブルトイレを一人で使う。「そばに寄るな」というだけあって、なかなか人にケアをさせないのです。姪御さんだけには許していました。一人が好きな人で、今なら、「高機能自閉症」などという病名がついたのかもしれません。
多恵さんがターミナルを迎えました。私たちは、どちらかというと、「嫌われているかな」という気持ちがありましたし、ご希望に添うように距離をとっていたので、病院に入院されるほうがよいのではないかと思っていました。看取りというとやはり、接触しないわけにはいきません。でも、多恵さんは、がんとして「病院には行かない!」というのです。
そのときのいいぐさがこうです。
「私の住所はここよ。ここが私のうちなの。姪も近くにいるしね」
私たちは、「ここは、それなりに多恵さんには居心地がいいのかしら」と、ちょっと半信半疑ながら、信頼されているという気持ちを抱いたものです。看取り態勢が始まりました。
でも、マイペースですから、たとえば、食べ物は白いご飯以外は受け付けない。おかゆはダメ、お寿司もだめ。何が好きなのかわからないけれど、はっきりしているのは卵焼きが好きなことだけ。そして、とうとう食べられなくなりました。チアノーゼも出てきた。それも手だけに。手が氷みたいに冷たくなった。
そして、ずっと目をつぶっている。もう最期だ、と誰もが思いました。姪御さんやほかの親戚、介護職員も集まって、「亡くなったら、お葬式をどうするか」なんて話を多恵さんの枕元でしていました。
ところが多恵さんは、数日の生死の彷徨の中から、短い時間ですが、よみがえったのです。そして、そのときの言葉が多恵さんらしい。
「心臓が元気なので、みなさんにご迷惑をおかけしました」。
耳が澄んだように聞こえていた、というのです。
亡くなる人というのは、最期まで聴覚機能は生きているそうです。このことはあとで知りました。枕元でお葬式の話までしてしまっていた私たちは、申し訳ない思いで深く反省しました。
この人を「多恵さん」と呼びます。多恵さんはお針のうまい人で、お針のことになると、人に教えたり、いろいろな話になります。好きなことでは饒舌になるんです。
人が声をかけると無視するのですが、ときどき私たちに声をかけることはありました。それがとてもいやみなのです。
たとえば、若い介護実習生が、「何かさせていただくことはありませんか」などと聞くと、「あんた、勉強中なのに何のお世話ができるの?」などと返事します。
「あんたの親の顔がみたい」なんていうのも、朝飯前のごあいさつでしたね。実習生を泣かせるだけではなく、私たちもいやみ攻撃にあわないように、かける言葉に気をつけていました。
意地が悪いといってしまえばそれまでですが、「明治女」らしい節度というか、意地も強かった。たとえば、歩行が難しいのですが、ポータブルトイレを傍らに置いて、はってでもポータブルトイレを一人で使う。「そばに寄るな」というだけあって、なかなか人にケアをさせないのです。姪御さんだけには許していました。一人が好きな人で、今なら、「高機能自閉症」などという病名がついたのかもしれません。
多恵さんがターミナルを迎えました。私たちは、どちらかというと、「嫌われているかな」という気持ちがありましたし、ご希望に添うように距離をとっていたので、病院に入院されるほうがよいのではないかと思っていました。看取りというとやはり、接触しないわけにはいきません。でも、多恵さんは、がんとして「病院には行かない!」というのです。
そのときのいいぐさがこうです。
「私の住所はここよ。ここが私のうちなの。姪も近くにいるしね」
私たちは、「ここは、それなりに多恵さんには居心地がいいのかしら」と、ちょっと半信半疑ながら、信頼されているという気持ちを抱いたものです。看取り態勢が始まりました。
でも、マイペースですから、たとえば、食べ物は白いご飯以外は受け付けない。おかゆはダメ、お寿司もだめ。何が好きなのかわからないけれど、はっきりしているのは卵焼きが好きなことだけ。そして、とうとう食べられなくなりました。チアノーゼも出てきた。それも手だけに。手が氷みたいに冷たくなった。
そして、ずっと目をつぶっている。もう最期だ、と誰もが思いました。姪御さんやほかの親戚、介護職員も集まって、「亡くなったら、お葬式をどうするか」なんて話を多恵さんの枕元でしていました。
ところが多恵さんは、数日の生死の彷徨の中から、短い時間ですが、よみがえったのです。そして、そのときの言葉が多恵さんらしい。
「心臓が元気なので、みなさんにご迷惑をおかけしました」。
耳が澄んだように聞こえていた、というのです。
亡くなる人というのは、最期まで聴覚機能は生きているそうです。このことはあとで知りました。枕元でお葬式の話までしてしまっていた私たちは、申し訳ない思いで深く反省しました。