是枝さんは、特別養護老人ホーム「福音の家」勤務を経て、大妻女子大学で介護福祉学の教鞭をとってこられました。東京都介護福祉士会会長を長く務めるなど、介護の世界にはとても造詣が深い方です。
せっかく介護の仕事に就いたのにもかかわらず、辞めてしまう人が多いと聞きます。「もう辞めてしまおうか」などとお考えの人もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうした人に向けて、是枝さんには、介護に関するコメントとともに、介護の仕事の素晴らしさが実感できるような、さまざまなエピソードをご紹介いただきます。
是枝さんご自身も、決してこの仕事が楽しくて楽しくて仕方がないということばかりではなかったとおっしゃいます。ご自身の経験も踏まえながら、そんな悩みに対して、一緒に考えていっていただきましょう。
せっかく介護の仕事に就いたのにもかかわらず、辞めてしまう人が多いと聞きます。「もう辞めてしまおうか」などとお考えの人もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうした人に向けて、是枝さんには、介護に関するコメントとともに、介護の仕事の素晴らしさが実感できるような、さまざまなエピソードをご紹介いただきます。
是枝さんご自身も、決してこの仕事が楽しくて楽しくて仕方がないということばかりではなかったとおっしゃいます。ご自身の経験も踏まえながら、そんな悩みに対して、一緒に考えていっていただきましょう。
第2回 心のケア
尊厳ある排泄支援とは
たとえば、作業としてのおむつ交換ではなく、心のケアとしてのおむつ交換をしようと思うと、おむつ交換をしているときの相手の心が気になります。気恥ずかしい思いを起こさないように、なるべく優しく、目立たないように、声をかけたりしながら行います。
おむつの定時交換は、いくら高性能のおむつでも気持ちが悪いはずです。それは自分でつけてみればわかります。
「感覚がないから大丈夫だ」というのは勝手な思いつきのケアです。何を基準にして「大丈夫だ」と思うのでしょうか。1A日に何度もおむつ交換を行うことで、下肢筋力が強化されたり、血行が回復されます。褥瘡などの早期発見にもつながります。その人に合わせて行うことが大切です。
また、どの人も何らかの理由でおむつになったわけです。「なぜ、おむつになったか」という元々の原因を探り、おむつを外せないかを一人ひとり考えながらおむつ交換をすることはできないでしょうか。
ポータブルトイレなどを使って、座位で排泄することで、さまざまな心身機能がよみがえります。少なくとも座位をとることで、蠕動運動が起こりやすくなり、腹圧をかけることで排泄もしやすくなります。1回の排泄物が多くなれば、排泄のインターバルが長くなり、介護職員にとっても時間のゆとりができます。座位とはいわないまでも、寝たままでも、本人の自尊心を取り戻すことができるかもしれません。それは、次のステップへの足がかりになります。
排泄はすべての生活スタイルに関わります。たとえば、アクティビティを多くすることで、生活が楽しくなり、QOLが上がるだけではなく、生理機能が活性化され、排泄物も多くなります。
おむつの定時交換は、いくら高性能のおむつでも気持ちが悪いはずです。それは自分でつけてみればわかります。
「感覚がないから大丈夫だ」というのは勝手な思いつきのケアです。何を基準にして「大丈夫だ」と思うのでしょうか。1A日に何度もおむつ交換を行うことで、下肢筋力が強化されたり、血行が回復されます。褥瘡などの早期発見にもつながります。その人に合わせて行うことが大切です。
また、どの人も何らかの理由でおむつになったわけです。「なぜ、おむつになったか」という元々の原因を探り、おむつを外せないかを一人ひとり考えながらおむつ交換をすることはできないでしょうか。
ポータブルトイレなどを使って、座位で排泄することで、さまざまな心身機能がよみがえります。少なくとも座位をとることで、蠕動運動が起こりやすくなり、腹圧をかけることで排泄もしやすくなります。1回の排泄物が多くなれば、排泄のインターバルが長くなり、介護職員にとっても時間のゆとりができます。座位とはいわないまでも、寝たままでも、本人の自尊心を取り戻すことができるかもしれません。それは、次のステップへの足がかりになります。
排泄はすべての生活スタイルに関わります。たとえば、アクティビティを多くすることで、生活が楽しくなり、QOLが上がるだけではなく、生理機能が活性化され、排泄物も多くなります。
最期の居酒屋(川田さん2)
川田さんは、日曜日には教会の人が車で迎えに来て、教会に行くことを楽しみにしていました。「福音の家」には5年ほどおられたのですが、最期は肝臓の末期がんで亡くなられました。
本人の強い希望もあり、私たちは川田さんを看取ることにしました。当時は、1980年代のはじめですから、特養での看取りはほとんどありませんでした。でも、西澤施設長(この人はとても個性的で信念の人でした。といっても、今もかくしゃくとしてお元気にしておられます)や、介護職員がみんなでしょっちゅう話し合っているうちに、「病院じゃなくて、ここで死にたい」と希望する人には看取りが自然になっていきました。
現在のように在宅医療の器具も発達していないし、死を施設や自宅で迎えるというのは、かなり不安でもありました。
でも、病院の先生の中に、「患者さんが希望するなら全面的に協力する」という人がいて、私たちも「それなら、ここで看取ってあげよう」ということになりました。
最近は、延命医療に対する批判が公にいわれるようになりましたね。確かに、病院と違って、施設や自宅で亡くなられる人は、亡くなる数時間前、数分前までおしゃべりしたり笑ったりして、その人らしく亡くなられる人が多くいます。
川田さんも、「あれに比べたら痛くない」と、イエス像を指さしてから、肩呼吸になり、静かに息を引き取りました。
川田さんが亡くなる前の金曜日が居酒屋の日で、さすがにそのときは、“筋金入り”の常連さんでも3階の部屋から1階の居酒屋まで車いすで下りるのはつらそうでした。でも、若い男性介護職員は何とか川田さんを1階に下ろそうと相談しました。最期の居酒屋(月一度開催)になるかもしれないので・・。
「たとえ居酒屋で命を落としてでも、筋金入りの常連として本望じゃないか」とまで考えたかどうかわかりませんが、若い介護職員は「川田さんをベッドごと運ぼう」ということになりました。でも、川田さんは、人に迷惑をかけてまで居酒屋に行くつもりはないようで、固辞されました。その代わり介護職員の気持ちを汲んで、「居酒屋から電話して」と、その介護職員に頼みました。居酒屋が盛り上がってきたとき、愉快な実況報告が1階から3階に報告されます。
「今、焼き鳥を食べているよ」
川田さんは、口もきけないほどの容態で、うなずきながら聞いていたのですが、「私も負けないくらい楽しい」と電話で答えていました。一方、黄疸で、シーツが人のかたちに黄色くなっていました。
本人の強い希望もあり、私たちは川田さんを看取ることにしました。当時は、1980年代のはじめですから、特養での看取りはほとんどありませんでした。でも、西澤施設長(この人はとても個性的で信念の人でした。といっても、今もかくしゃくとしてお元気にしておられます)や、介護職員がみんなでしょっちゅう話し合っているうちに、「病院じゃなくて、ここで死にたい」と希望する人には看取りが自然になっていきました。
現在のように在宅医療の器具も発達していないし、死を施設や自宅で迎えるというのは、かなり不安でもありました。
でも、病院の先生の中に、「患者さんが希望するなら全面的に協力する」という人がいて、私たちも「それなら、ここで看取ってあげよう」ということになりました。
最近は、延命医療に対する批判が公にいわれるようになりましたね。確かに、病院と違って、施設や自宅で亡くなられる人は、亡くなる数時間前、数分前までおしゃべりしたり笑ったりして、その人らしく亡くなられる人が多くいます。
川田さんも、「あれに比べたら痛くない」と、イエス像を指さしてから、肩呼吸になり、静かに息を引き取りました。
川田さんが亡くなる前の金曜日が居酒屋の日で、さすがにそのときは、“筋金入り”の常連さんでも3階の部屋から1階の居酒屋まで車いすで下りるのはつらそうでした。でも、若い男性介護職員は何とか川田さんを1階に下ろそうと相談しました。最期の居酒屋(月一度開催)になるかもしれないので・・。
「たとえ居酒屋で命を落としてでも、筋金入りの常連として本望じゃないか」とまで考えたかどうかわかりませんが、若い介護職員は「川田さんをベッドごと運ぼう」ということになりました。でも、川田さんは、人に迷惑をかけてまで居酒屋に行くつもりはないようで、固辞されました。その代わり介護職員の気持ちを汲んで、「居酒屋から電話して」と、その介護職員に頼みました。居酒屋が盛り上がってきたとき、愉快な実況報告が1階から3階に報告されます。
「今、焼き鳥を食べているよ」
川田さんは、口もきけないほどの容態で、うなずきながら聞いていたのですが、「私も負けないくらい楽しい」と電話で答えていました。一方、黄疸で、シーツが人のかたちに黄色くなっていました。