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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第62回 老健を経て独立へ。 
いろんな人がいていい。ありのまま、その人らしく。

働けるデイサービス

 最初、利用者さんは来なかったですね。それで食事券を配ったり、ケアマネの事業所に行ったりしました。そのころ、川口の僕のおばあちゃんの具合が悪くなって、「それなら来ない?」と連れて来ちやったんです。当時、柏井の民家の1室でやっていたんだけれど、その2階にベッドを置いて、おばあちゃんが住めるようにして。自分のおばあちゃんを利用者さんにしちゃったんです。

 そのうち、デイサービスの利用者さんが増えてきて、スタッフもだんだん増やしていって。利用者さんは、男性陣がすごく来ていたんですよ。他のデイサービスに行ってたけど、レクリエーションとか「こんなのやってらんねえ」って出ちゃう人が。よくよく聞いてみたら、やっぱり男性は仕事がしたいんですね。それで、今度はまだまだ動ける人、若年性認知症の人たちのための「働けるデイサービス」を作ろうと思って、僕の自宅を開放して、デイサービスの2軒目を始めたんです。

 その利用者さんの中に、塗装店を営んでいたご夫婦がいて、アルツハイマーになった旦那さんを奥さんがみていたんです。うちに来て、落ち葉拾いやポスティングなんかをしてくれていたんですが、奥さんが脳梗塞で倒れちゃって病院に入ったんです。僕は旦那さんを「親方」って呼んでいたんだけれど、「親方、これからどうしようか?」って。

10年で6人、看取りました

 1軒目のデイサービスの隣に、お泊まりの人用の部屋を借りていたんですけど、そこに親方に来てもらって、そのころ老健にいた奥さんも「出たい、出たい」っていうので、奥さんも連れて来て、お泊まりのお家に夫婦部屋を作ったんです。そしたら、ご夫婦の息子さんが「自宅を使ってください」って言ってくれて。それでお泊まりの機能と僕の自宅でやっていたデイの機能をそのまま、親方の家に移しました。それで、親方も元の自宅に帰れるという。それで今の「みもみのいしいさん家」があるんです。親方は、今から4、5年前にそこで看取りました。住み慣れた自宅で看取れたからよかったです。息子さんと娘さんが、「ありがたい」って喜んでくれて。

 10年で6人、看取りました。人って、死んじゃうんだな、って思っちゃいますよね。

 だから「多少のことはいいじゃん」って思うんですよ。あのときはケンカしたけど、いい思い出だねって振り返られれば。病気で「飴ない?」ってずっと言っている人がいるんだけれど、「適度にならあげてもいいんじゃない?」とスタッフには言っていて。ずっと「先生、先生」って言っている人も、うるさいな、って思うこともあるけれど、生きているんだからいいじゃない、ってそういうふうになってきますよね。自分自身もパワーをもらいますね。1日1日を大切に生きようって。

うちでは、断るっていうことはないです

 利用者さんは、紹介とかではなくて、どこかで「いしいさん家」を知って来る人が多いですね。家族の会(月に一度、家族が集まって語り合う会)を通じてきたり。だから、同じような人が集まるんですよ。どこかで入所をお断りされたような。うちでは、断るっていうことはないです。「障害を持った子たちの遊ぶところもないね」ってことで、「じゃあ作っちゃおうか」ということで、日中一時支援も始めました。母子家庭のママや小さい子がいても働きたいママを応援したかったのもあって、子連れで働きに来ていたり、スタッフには引きこもっていた人や、精神疾患を持っている人、外国人もいるんです。

 僕らもそうなんですけれど、認めてもらえる場所って、誰もが必要だと思うんですよ。「ここにいていいんだよ」「あなたは存在の価値があるんだよ」みたいな。許し合ったり、認め合ったり、そういうことがあって輝けるのかなって。認知症状の重い人もなかなか理解してもらえない。排除されがちなんですね。でも本人にしてみたら、過去に戻っていたり、俺はまだまだできるんだ、って葛藤していたり、何か理由があるんです。相手目線で考えると違う訳で、それを病気と見ないで、こっちの見方を変えれば、関わり方も変わる。相手も変わってくる。介護って相関関係なのかなと思って。

 例えば、暴力を振るうおじいちゃんがいたとして、こっちが構えちゃうと、それは相手にも伝わるんです。イライラもニコニコもせかせかも伝わるから。関わって関わって、その人のことが分かってくる。恋愛と同じなんです。不思議なことに短期記憶って、一般的にはすぐに忘れちゃうって言われているじゃないですか。認知症の人でも、同じ人がずっと関わっていると、それが記憶に刻まれていくんですよ。

 ここの場所はなんだか安心できる、この人は信頼できる人だ、みたいな感じになってくる。うまくいなしたり、かわしたり、おちゃらけたり、場面転換したり。そういうのが大事かなと思います。子どもたちも、ここにいて生活の中で自然に「老い」と「死」を学び取る。障害を持っている人に対しても、偏見もなくなるし、それが普通に思えてくる。そういう、「いろんな人を受け入れていいよ」っていう場所があると、それが普通になってくる。やっぱり環境なんだと思うんですよね。

 10年やってきて、やっていくうちに自分も成長できたのかなと思います。一見介護って僕らが支えているように思うんだけれど、みなさんに支えてもらってるなって。全部返ってくるので。スタッフも何となく僕の思いが伝わる人が残っているのかな。はたからみたら「大変」ってよく言われますけどね。僕はそんな苦労をしているとは思ってなくて、好きで独立したので。好きで普通にやっていること。生きづらい世の中になってきたんだけど、ちょっとでも、どんどん前を向いて行こうっていう気持ちになれるように、いろんなことを通じて発信できれば。たんぽぽの綿毛のようにどんどん広がっていったらうれしいなと思っています。

いしいさん家には、ゆったりとした時間が流れる。
(撮影:野田明宏さん)

見つめ合う1歳と99歳。
子どもは肌で「老い」と「死」を学んでいく。
(撮影:野田明宏さん)

インタビュー感想

 その人がその人らしくいられる場所をつくった石井さん。独立した当初は、ほとんど泊まり込みの状態が続いていたそうです。たまに自宅に戻っても、小さかったお子さんに泣かれ、「パパ、おうちに帰らないの?」と言われるほどだったとか。試行錯誤しながら全力で駆け抜けた10年を経て、今では従業員の方も30名弱。利用者の方に限らず、どんな人も受け入れるという信念で、引きこもりだったスタッフの方にも「何もしなくていいから、取りあえず来て」というところからスタート。今では欠かせない存在となり、パートで活躍中だそうです。介護だけではなく、就労支援、子どもの教育と「いしいさん家」には、あらゆる社会問題を解くヒントのようなものが、たくさん詰まっているように感じました。石井さんの思いが、いろいろなところへ、どんどん広がっていくことを願ってやみません。「当たり前のような日常が、本当は幸せなことなのだ」ということを、あらためて感じさせられた取材でした。

  • いしいさん家のホームページはこちらから

【久田恵の眼】
 働ける介護ホーム、子どもから高齢者まで、みんなで助け合って暮らす場、介護の場というのは生活の場ですから、それが可能なのですよね。「こんなところがあったらいいな」と思う場を作れるのだという「希望」のような場所ですね。