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精神保健福祉士として働く

精神保健福祉士の職場は多様です。業務の内容も多岐にわたります。
ここでは、さまざまな現場で活躍する精神保健福祉士の「職場と仕事の内容」をご紹介します。
「精神保健福祉士」という仕事の特性とその奥深さ、可能性を感じ取ってみてください。


第4回 福祉事務所+α

野口誠さん Noguchi Makoto

①渋谷ダルク・スタッフ、②一般社団法人蒲田ソーシャルサポート、③「アルコール関連問題と福祉研究会」事務局

1977年、大田区役所(東京都)に入職。1984年に福祉事務所へ異動し、生活保護ケースワーカー、面接相談員、路上生活者対応業務などに従事。資格社会の到来と自身の仕事をジェネリックソーシャルワークとして主張する必要から、社会福祉士は2006年、精神保健福祉士は2011年に取得。市民活動として1990年代より「AKK(アディクション問題を考える会)」事務局長、副代表を歴任。アディクション関連問題のほか、DV、児童虐待、若年女性問題への支援も行う。事務局を務める研究団体「アルコール関連問題と福祉研究会」は創設より31年目に入った。昨年(2021年)、大田区役所を退職し現活動を展開中。

私の職歴

 私は、主に福祉事務所で生活保護関連の仕事をしてきました。生活保護は、生活困窮になった原因は問いません(無差別平等原理)。だから、さまざまな人が相談や申請に来ます。精神科の疾病を持った方とも出会います。ここで、精神保健福祉士としての知識や技能が役に立ちます。
 しかし、表面の知識や技能的なものよりもっと大切なことは、貧困という大きなアクシデントに見舞われた方々は、どなたであってもそれだけでさまざまな心理的な困難を抱えることになること、そのことを知っているということです。多くの人は自分を責める、あるいは抑うつ状態になります。また、人に言えない家族内部の強い葛藤を持っている方もたくさんいます。このようなときに役に立つのは、精神保健福祉士として学んできた人権尊重の姿勢です。
 ときにはトラウマ症状等のために他者とぶつかる生き方をしてきた方と出会うこともあります。このようなときは、福祉職としての人間理解が大きな力を発揮します。
 人間の生活は、部分ごとにバラバラにできない総合性を持ち、社会とのかかわりも総合性を持っています。このような丸ごとの生活を持つ方々の貧困問題にかかわるには、私たちも何にでも対応できる総合性を持つことが大切です。このような視点から実はクライエントとの信頼関係も生まれます。
 いきなり始めてしまいましたが、はじめに私の職歴をご紹介します。

1977年 大田区役所入庁

大学で教育学を学んでほどなく、地方公務員になる。

1984年 福祉事務所ヘ異動

当時、人気職だった生活保護ケースワーカーになりたく、所内事務に従事。

1986年 生活保護ケースワーカーに着任

生活保護ワーカーになって早々、クライエントに刺されそうになる。そしてアルコール依存症者4人を担当。酒乱の元夫によるDV被害者を支援。同年、ダルク創始者で薬物依存症回復者の近藤恒夫さん(故人)と出会う。

1987年 依存症の団体活動に参加

あるアルコール依存症の研究会で、三ノ輪マック責任者でアルコール依存症回復者の山本晋一さん(故人)と出会う。同年、AKK(アルコール問題を考える会~後にアディクション問題を考える会に改称)の活動に参加。市民講座、各種セミナー、冊子発行、相談例会に従事するほか、自助(相互援助)グループの応援、紹介を行う。この頃より、依存症当事者が運営する三の輪マックと東京ダルクに入り浸るようになる。

1988年 セミナー、例会など活動を広げる

第1回アディクション・セミナーin横浜に参加。同イベントはアディクション当事者・家族の自助グループと市民運動による実行委員会方式で運営。この2年後(1990年)、AKK相談例会(家族中心のグループワーク)を地元につくり参加。同年、統合失調症者中心の共同作業所のボランティア運営委員に着任。福祉事務所業務の傍ら、複数の活動とかかわりをもつ。

1991年 「アルコール関連問題と福祉研究会」開始

開始当初の名称は「公的扶助研究会アルコール関連問題常設分科会」。全国公的扶助研究会全国セミナーのアディクション分科会の運営を担った。活動内容を時流にあわせて変化させ、定例の研究会は現在(2022年)も継続。

1993年 研修講師、資格取得、執筆など

この頃よりアディクション問題に関するワーカー研修などの講師を務める。専門資格は、2001年に介護支援専門員、2006年に社会福祉士、2011年に精神保健福祉士を取得。執筆活動は、2002年に「知っていますか?アダルト・チルドレン一問一答」(解放出版社)を分担執筆、2008年に「実践精神科看護テキスト第14巻 薬物・アルコール依存症看護」(精神看護出版)を分担執筆。

2000年 福祉事務所業務の展開

2000年に生活保護法更生施設指導員となり、2002年に生活保護ケースワーカーに復帰。2011年より福祉事務所生活保護経理と法外住宅支援給付、就労支援業務に従事。2013年より福祉事務所相談係長として生活相談、DV相談、母子相談等のスーパーバイズに従事。2019年より面接相談員として従事。

2019年 若年女性支援「若草プロジェクト」に参加

若年女性を支援する「一般社団法人若草プロジェクト」に参加。LINE相談スーパーバイズなど活動に携わる。

2021年 福祉事務所退職、フリーに

福祉事務所を退職後、渋谷ダルクのスタッフ、一般社団法人蒲田ソーシャルサポートのスタッフとして活動。「アルコール関連問題と福祉研究会」は月1回開催。

何もできなくても立ち会う

 こんな話があります。
 生活保護ワーカーの頃は、転居するとテレビが視聴できないというお年寄りたちがいるので、いつもドライバーとラジオペンチを持って自転車で出かけました。テレビのアンテナは、新しい家では同軸ケーブルになり、テレビ不通になります。お年寄りたちは、困ったことを私に相談してくれるようになりました。
 あるときは、精神疾患があり援助者との関係が悪かったクライエントから、内科系病院の入院時同意書を書く人がいないと緊急の訴えがあり、原付バイクを飛ばして病院に駆けつけました。この一件を機に、その方は福祉事務所に信頼を寄せるようになりました。
 その人がピンチのときに見捨てれば、その後の関係は絶望的になります。しかし、ピンチのときにたとえ何もできなくても、その場に寄り添って立ち会えば、その人との第一歩を歩み始めます。
 経済自立に向けて尻を叩いたり激励したりがソーシャワールワークではないこと、こんななんでも屋がソーシャルワーカーであることを現場で学びました。ソーシャルワークはクライエントに寄り添うこと、正当に関心を持つことであり、これは姿勢の問題ですから、実は難しいことではないと考えています。

「物語」を感覚で聴く

 福祉事務所では手に入らないものを得ようとする好奇心から依存症の研究会に参加し、依存症回復者たちと出会ったことは、その後の私に大きな影響を与えました。彼らから語られるのは、アルコールや薬物をやめた、あるいはやめる途上の正直な話であり、それは素晴らしくユーモアに富んだ話であり、つまりその人の「物語」との出会いでした。私はこの物語に引き込まれました。
 AKK(アディクション問題を考える会、2016年に解散)という市民運動がありました。当時、アルコール依存症とその他の精神障害のある両親を持つ中学生の孤立を何とかしたくて、AKKの相談例会(グループワーク)に彼と一緒に通いました。そこでは、依存症者の家族やDV被害者の方々がやはり正直な自分の「物語」を語っていました。その後、私は自分の職場のある土地でAKK相談例会を始めました。そして、多様な属性を持つ仲間と30年以上続けている「アルコール関連問題と福祉研究会」へと活動は連なっていきます。
 ソーシャルワークの基本は、聴くことのプロフェッショナルになることだと思います。「物語」を感覚的に聴くということ。物語にはその人の「生」が息づき、聴く人の心を動かし、心の視界を奥ゆきあるものとします。
自分の職場の外にあるソーシャルワークの場に身を置くこと。それは初学者でもできます。何年か後に、それがクライエントを丸ごとの人間として感じる第一歩であり、そうしたことの総体がソーシャルアクションであることに気がつくかもしれません。私はそうでした。

「精神保健福祉士」の醍醐味

 ソーシャルワークは、人間と社会にかかわる仕事です。だから仕事の範囲を決めることが難しいけれど、実はそこがこの仕事の醍醐味だと思います。クライエントとともに、同じ社会に生きていることを実感できる稀有な仕事であり、そんな仕事に携われることを私は光栄に思っています。
 クライエントが感じる不安、怒り、喜び、悲しみ、そして微妙な心の揺れや戸惑いなどを受けとめるには、そのことがわかる感受性をソーシャルワーカーも持っていなければなりません。感受性に公的も私的もありませんから、ワーカーはふだんから自分の感受性能力を高めておくことが必要です。ということは、感受性豊かな自分自身であり続けるすてきな仕事ともいえます。これからもたくさんの映画を観て、小説を読み、音楽を聴いて、たまには踊りに行ってください。日々の勉強とともにそんなことも、人の「生きる」ということにかかわるソーシャルワーカー(=精神保健福祉士)には必要なのだと思います。
 そして、資格は単なるスタート地点です。ソーシャルワーカーは生涯、勉強を続けることを要求されます。それが要求されたとき、あなたの隣に私もいると思ってください。リアルで出会ったら、よろしく!

研究会の仲間と、ダルク創始者・近藤恒夫さんとともに。
後列中央に近藤さん。筆者は後列右端。(2021年12月12日撮影)
※近藤さんは2月27日、永眠されました。ご冥福をお祈りいたします。

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