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和田行男の「婆さんとともに」

「痴呆」からの解放

 ひょんなことから9年前に僕が書いた資料が出てきました。
 まだこの頃は「痴呆」と呼称されていた時代ですが、厚生労働省が痴呆の呼称を変えるため「痴呆呼称検討委員会」を設置しましたが、その委員会に参考人として招かれたときに提出した資料です。
 まずは、じっくりと俯瞰してみてください。

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 名古屋の娯楽街にある大須演芸場もいよいよファイナル。
 映画館、演芸場、見世物小屋、ストリップ劇場、純喫茶など、また「ぼくのふるさと・昭和」が消えていきます。

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「丸ごと痴呆ケア」から「生きること支援」への転換を

平成16年6月21日
㈱大起エンゼルヘルプ 和田行男

痴呆ケアの摩訶不思議

「痴呆」という状態になって専門職の手にかかると「痴呆の人」「痴呆性高齢者」「痴呆ケア」対象にされ、ひとくくりにして語られ・扱われる不思議
*「婆さんが呆けた」と「呆けた婆さん」
「痴呆」は後天性であり、「普通の人」+「知的能力の衰退」であって、「普通の人」の全てが「痴呆」になってしまったわけではないのに、全てが「痴呆ケア」の枠組みの中で語られ、同じ舞台の上で「人権」「尊厳」などの文字が躍ることの不思議
身体能力が何らかの原因によって「普通ではない」状態になったときは、「普通の人」+「知的能力の衰退」+「身体能力の消失」というように重複状態になっていくのであるが、その全てをひっくるめて「痴呆ケア」と捉えている不思議
人が生きていく上で、あるいは人とかかわって行く上で当たり前のこととして大切な事柄まで「痴呆ケアの質」として語られる不思議
* 美辞麗句を並べても痴呆の人は人にあらず扱いの証

生きること支援は必要に応じて・随時受ける支援

人は産まれた直後から支援を受ける → 何のために
有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように
そのために様々な専門職が活躍する
自立した日常生活を獲得した人が「痴呆」になると支援を受ける → 何のために
有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように・・・ 
社会福祉法・介護保険法に明記された理念
そのために様々な専門職が活躍する・・・はずだが
生活を奪った「痴呆ケア」
有する能力の如何にかかわらず、できることもできないことも職員が代行している。あるいは能力があっても発揮できる環境におかれていない
受動的な日常の中で生活が奪われ、一方的で画一的な「保護」の対象者とみなされ、痴呆ケアの世界で生きさせられている
やっぱり、痴呆=「ばかげたことをする人」という意味通りの扱いをされていると言っても過言ではない状態がある
その枠組みの中で良質な痴呆ケアが論じられ、痴呆ケアの質として生活が捉えられ、「痴呆の人扱い方マニュアル」が論じられている
  人が生きていく上で、あるいは人とかかわって行く上で当たり前のこととして大切な事柄まで「痴呆ケアの質」として語られる不思議
* 美辞麗句を並べても痴呆の人は人にあらず扱いの証

新しい痴呆ケアではなく「おかしくない痴呆ケア」を

 普通の人=誰もが状態に応じて、手助けしたり手助けされたりしながら生きている
 *介護とは手助け=特殊なものではなく特別なことでもない
 +痴呆=知的な能力が衰退した状態に対して、応じたケアを受ける
 +身体=身体能力が低下・消失した状態に対して、応じたケアを受ける

 福祉とは「人々が幸福に暮らす生活環境」とある。誰もが子供の頃から「大きくなったら自分の事はできるだけ他人にしてもらいなさい」とは教わらないし、多くの人は「最後まで自分のことが自分でできてコロッと死にたい」と願っている。
 つまり福祉とは、「人々ができるだけ最後まで自分のことが自分でできてコロッと死ねる生活環境」とも言え、それを整えるのが福祉の専門性である



痴呆になったことは残念なこと
でも決して不幸なことではない
なぜ?
痴呆を良く知っている人たちが
私が生きることを支えてくれる
その人たちは
私の可能性を閉ざさない人たちだから
痴呆になったおかげで
私の知らない私に出会えるかも知れない
それって人間の生活でしょ
私が
どこにでもいる人として
人々が生きている姿から遠く離れなくてすむのは
その人が
生きること支援のプロだから

婆さんより

 皆さんはどう感じましたか。
 僕は自分ながらに思ったのは、ひとつは「これを参考人の資料として出す僕」「最期まで人として生きていけるようにを追求する僕」は、今でもその僕のまんまだなぁということです。
 年は重ねましたが、老(ふ)けてはいないですよね。ハハハ
 痴呆とは「ばかげたことをする、ばかげたことをする人」であり、痴呆老人とは「ばかげたことをする年老いた人」ということで、痴呆の呼称を使わなくなったということは「ばかげたことをする人呼ばわりしなくなった」っていうことです。
 それはそれで社会的前進だと思いますが、重要なことは、社会的に「ばかげたことをする人あつかいしなくなること」ではないでしょうか。
 最近、僕の仲間である北海道伊達市でグループホームを運営している宮崎直人さん(有限会社グッドライフ代表:グループホームアウル施設長)が、和田さん流に言わせていただければ「大逆転の痴呆ケア」に開眼したようで、入居者の変化に驚いています。合わせて、その変化に触れた職員たちの変化に喜んでいます。
 ばかげたことをする人あつかいというのは、おかしなことをする・異常な人あつかいってことだけじゃなくて、できることまでも危ないからと先入観をもってさせないといったようなことも含めた全人的なことです。
 なぜなら、僕ら「人の社会」では、自分が生きていくためにできることを自分でするのは当たり前のことで、その当たり前のことを止めるってことですから、「人の社会の人ではない」って思っているってことでしょ。
 認知症に呼称が変わったからといって、人なのに人と同じように暮らす姿を目指すこともなく、逆にそれを奪ったのでは、ばかげたことをする人あつかいは変わってないってコトです。
 ぜひ、宮崎直人さんの話を聞いてみてください。

日 時: 2月21日(金)18:30-21:00
場 所: 町田市文化交流センターホール
JR町田駅ターミナル口直結 プラザ町田6階)
主 催: 介護の学校町田本校(有限会社ノベライズ)
参加者: 200名
参加費: 500円(資料代)
問合せ: 042-732-5512 nowayutaka@novelize.jp

 トークライブと謳っていますが、宮崎さんの実践発表が基調となる取り組みです。
 広い北海道で大活躍の宮崎直人さんの話は、東京ではなかなか聞く機会がないようです。メチャお得なこの機会にぜひお越しください。

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 出演者の写真を撮れる演芸場も珍しいでしょ。名古屋出身の落語家三遊亭円丈さんの「いつもこんだけ客が来てくれていたら、こんなことにならずにすんだのに」って言葉に胸が痛んだわ。

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 一階は椅子席ですが二階はご覧の通り。いいでしょ。

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コメント


尊厳を保持し、有する能力に応じ、自立した日常生活を営めるように…

目的に添って役割や責任を果たしたいと思っている事業者って、ほんとに少ないんだなぁと感じます。
いっそ出来高制にすればいいのに!

専門性をもち、関わった結果、要介護状態が軽減したことなど、目に見えたプラスの実績には見合った評価があってもいいのではと思います。
報酬だけでなく、レストランのように☆がつくとか。
要介護度が重くなるほど報酬があがり、特定の支援に加算がされる現状の仕組みは、介護する側の視点が中心で、介護を受ける本人の姿がどう変わったか、による事業者の成績評価が、あまりなされていない気がします。

介護保険法の理念で言ってる目的と、制度でやってることが、うまく連動してない気もします。

プロとしてはたらくということは、その結果報酬を得るということだけど
何に対して(どんな目的を果たしてこそ)支払われる報酬なのかを具体的に、はたらく人が実感できる仕組みがやっぱり必要かなと思います。

評価がなければやらないというのもどうかと思うけど、支援の基本とおなじで、自分で気付き、自分で考え、なんとかしてあげたい!と思えるような、そそられる要素が制度の中に(職場の中に)あちこちに仕掛けられたら、少しは変わると思います。


投稿者: 夜勤ヘルパー | 2014年02月07日 10:53

次の法改正で特別養護老人ホームに入所できるのは要介護3以上になるかも、とニュースでやっていました。

要支援・要介護度は、介護に要する手間の度合いで決まるようなので、より介護の負担が大きい方を優先する、ということだと思いますが、どうしても気になったことがあります。

介護に要する手間が大きいってことは、言い換えると、本人にとっては、生きるのに、それだけ多くの支援を要するということですよね?

特別養護老人ホームで、それだけの支援に応じる人が配置されているんでしょうか?
できるだけ自分の力で、自分の意思で、自分らしく生きられるような支援をしてもらえる土台が本当にあるんでしょうか?

なんとなく、なんとなくですが、
介護負担が大きい人は、施設に収容するしかないでしょう…の方向に向かっていないのかなあと、気になりました。

手のかかる認知症の人を精神病院に入院させてしまおう…と似た空気を感じるのは、考えすぎでしょうか?
家族のこと、お金のこと、先々のこと…思いもよらないくらい、いろんな角度から考えて成り立っている制度だと思いますが、

介護を受けなければ生きられない、他の誰でもなく本人の代弁者としての介護職でいたいです


投稿者: くたびれの未知 | 2014年02月07日 12:30

福祉とは・専門職とは・・・
確かに和田さんの言うとおりだと思います。


 先日、NHKで『ユマ二チュード』という認知症支援技法の紹介を番組で放送していました。
それを見た私の母(65)は「いろんな方法があるんだね」と私に話しかけました。 そして母は「この技法が特別な事をしているようにはみえない。人として当たりまえのことを実践しているだけにしか見えない」とも言っていました。
・・・母は介護の素人ですが、専門職になると、「当たりまえ」が見えなくなり、視点がずれてしまうのだな・・・と。
私自身、また考えさせられました。


投稿者: たけちゃん | 2014年02月07日 12:43

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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定価:¥1,470(税込)
発行:中央法規
→ご注文はe-booksから
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