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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

「何のため」の喪失

 「行き場なく雑魚寝の老後」-1月13日(月)の朝日新聞朝刊が「報われぬ国-負担増の先に」と副題をつけ一面トップで報じた記事の見出しです。介護保険のデイサービスの事業者が「客集めのための付録」として、介護保険の枠外で実施する「お泊りサービス」の現実です。1泊¥800~1,000くらいのようです。まさに「粗悪な付録」です。

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 8畳にベッド4台の雑魚寝、夜間の汚物処理はなし、「お泊り」時の記録もなし、あずけている高齢者に外傷を見つけても説明はなしと、深刻な実態が報じられています。「8畳4人部屋」とはわが国のかつての成人施設に長年設定されてきた救貧的な基準(いわゆる大人1人当たり畳2枚)で、夜間の支援と記録はまったくないと言うのですから、このような状況そのものがもはや高齢者虐待なのではないでしょうか。高齢者虐待を所轄する厚労省の担当部局は、即刻、実態調査に入るべきだと考えます。

 これならグリコのおまけの方がはるかによろしい。虐待の温床となりかねない「デイサービスの付録」をグリコのおまけと比べること自体、グリコにあまりにも失礼でしょう。このような粗悪なサービスが介護保険サービスとリンクした「客集め」に登場している事態を、もし国がこのまま放置するならば、いずれは介護保険制度の自滅崩壊につながる大問題であることを指摘しておきたいと考えます。

 かつて、佐賀県の地域共生ステーションの視察に赴いたことがありました(2009年10月15日から11月12日のブログ参照)。地域共生ステーションも、デイサービスのような取り組みを基本に、必要とあれば「お泊りサービス」も実施しています。この外形的特徴だけをとれば、朝日新聞が報じた営利目的のデイサービスと同様にみえるかもしれませんが、内実はまったく異なるものです。

 自治と協働に立脚した支え合いの親密圏として、制度の谷間となりがちな人たちにも支援サービスを行き届かせようとする地域の営みの拠点が佐賀の地域共生ステーションです。

 これに対して、営利目的のデイサービスは、有料老人ホームで「部屋の利用率75~80%で黒字」のところを「65%の利用率でも黒字にする」ための「付録」として「お泊りサービス」が実施されています。利用者の側からみれば、特別養護老人ホームの圧倒的な不足からおさまりきれない待機者の弱みにつけいった「付録」に過ぎません。

 佐賀の地域共生ステーションを利用するお年寄りの柔和で朗らかな表情を、私は今でも忘れることができません。それに対し、新聞が報じる営利目的のデイサービスの「付録お泊り」は、生活・介護をめぐる厳しい困難の下で「即席介護に頼るしか」ない状況に追い込まれた「現代の姥捨て山」のようで、お年寄りの悲痛な気持ちが伝わってきます。

 新聞報道によれば、「24時間365日のデイサービス」を売りにするある営利事業者の研修は、「介護については『笑顔でいれば相手も笑顔になる』という漠然としたことだけだった」と参加者が証言し、この事業者も「職員の人間力を研鑽することが大切と考えて研修している」と説明したといいます。

 バカ言っちゃいけませんよ。このような研修は、良くいって「でたらめな支援を笑顔でごまかす方法」、はっきり言えば「不適切な行為または虐待のススメ」です。「人間力」も無内容な説明で、「営業力」がせいぜいのところでしょう。介護・福祉サービスとは無縁の、高齢者に対する組織的な人権侵害行為に限りなく接近しているように思えます。

 それではなぜ、このような「粗悪な介護サービスもどき」が介護保険サービスとリンクする「付録」として登場してしまうのでしょうか。ここでは、経営至上主義の問題を指摘しなければなりません。「何のため」の事業・サービスなのかは等閑に付され、金融価値の増殖の観点から採算性・効率性を評価する経営の問題です。お客さんや利用者の幸福追究権に資する内実は、どんどん喪失されていくのです。

 金融資本の論理が、実業や介護・福祉サービスの領域までを飲み乾す時代を反映しているのでしょう。JR北海道は線路の異常を放置する鉄道事業者、食品偽装だらけの「一流」ホテル・百貨店、そして、支援の充実をはかるのではなく虐待の温存と隠蔽を重ねるようになっていた千葉県社会福祉事業団。本来の事業目的を逸脱し、事業の内実が喪失されていくのに経営だけが成り立っているという倒錯した事態が広がっています。

 このような日本の現状をさまざまな事実から分析し、問題指摘をした新刊に柳田邦男著『終わらない原発事故と「日本病」』(2013年12月、新潮社)があります。この本を読んでみると、日本の「ものづくり」、日本人の「生真面目さ」や「思いやり」「おもてなし」は文化としてはすでに解体され、オリンピックの開催や和食の輸出に資する限りにおいてのみ、もてはやされていると思えてきます。

 そして、一見異なる業種・業態でありながら、共通する同根の病理が巣食っているのではないでしょうか。JR北海道であれ、千葉県社会福祉事業団であれ、これらの事業体では、経営事業計画の上で、「お客様」または「利用者」に「ご満足いただけるサービス」と「採算制・効率性の最大化・最適化」の実現が掲げられていたはずです。高らかにうたわれた場所が、株主総会か理事会・評議会なのかの違いがあるだけです。

 誤解のないために付言しますが、私は千葉県社会福祉事業団を批判したいのではなく、ここに象徴され凝縮された問題を明らかにしたいのです。つまり、自治体や公共性を担保しなければならないあらゆる事業体のすべてが、金融価値の最大化を求める金融資本の巨大な自己増殖圧力から私化されていく問題を批判しているのです。先日のブログ(2013年11月27日ブログ参照)で指摘した「自治体ポケモン」をはじめ、すべての自治体や社会福祉法人・NPOが巻き込まれざるを得ないシステムの問題です。

 西武鉄道の秩父線は生活鉄道として地域には必要不可欠です。しかし、採算性と効率性の観点から筆頭株主であるサーベラスが、秩父線の廃止を提案した問題は記憶に新しいところです。このように公共性よりも金融価値が優先されるという「ハゲタカの論理」が、少子高齢化の進展を背景に、介護・福祉サービスの世界でも闊歩しだしていると考えるのは、果たして私の杞憂に過ぎないのでしょうか。


コメント


お泊まりデイが近くにあり、相談員募集に応募するために行って来た事があります。六畳の部屋、畳敷きに毛布とマットが。雑魚寝です。経営者か学生のバイトが別の部屋に寝泊まりして管理するとか。もうひとつの四畳半にベッドがあり、柵とベルトが。拘束ですが、介護ではないので大丈夫のとのこと。相談員は名目で、夜9時までの食事介助を含む介護作業か、朝6時からの介護と朝御飯介助。お泊まりから同じ民家改造の同じ居室のデイに゛通う゛利用者、まるで住んでいるようです。就業はさすがにためらわれました。こんなお泊まりデイ、経営者兼管理者は、普通の経営方法だと話していました。   埼玉県狭山市 60台、男


投稿者: 純一 | 2014年01月21日 04:12

介護についてのテーマだったのでコメントさせてもらうことにしました。2013年の11月に介護体験をさせてもらったので大変タイムリーなのでこのブログの内容をみて衝撃を受けました。介護保険の枠外で実施する「お泊りサービス」という現実です。また8畳にベッド4台の雑魚寝、夜間の汚物処理はなし、「お泊り」時の記録もなし、あずけている高齢者に外傷を見つけても説明はなしと、深刻な実態に言葉が出ません。自分が介護体験させていただいた場所は施設の高齢者一人ひとりに対して丁寧な対応をしていたのでこれが当たり前だと思っていた自分はまだまだ日本の介護の現状を知らないのだと痛感しました。教師になる立場としても当てはまるところがあるので日本の介護にも目を向けなければいけないのだと感じました。


投稿者: ヒロユキ | 2014年01月21日 11:01

福祉施設の営利的行為というのは、非常に大きな問題だと思います。そもそも福祉施設というのは社会に住まう人々のためにあるのであって、その施設が利益を追求し私腹を肥やしているような状況は、社会のために人々の税金によって作られた施設としてあるまじきことです。
確かに、施設で働いている人へのお金など、施設を維持するためには多くの金銭が必要とされるでしょう。しかし、そんな時のために私たちは税金を払っているわけで、それに加えて施設にお金を払う必要があるでしょうか。ましてや、記事で取りあげられているのは介護施設です。介護が必要であるからには、金銭がいくらあっても足りないという人もいるはずです。どうしても黒字にしたいというのならば、介護を必要とする人から金銭を巻き上げるのではない方法で黒字にする努力をするべきです。


投稿者: 豚のしっぽ | 2014年01月21日 23:54

介護保険のデイサービス事業者が実施する、高齢者から料金を徴収して行う「お泊りサービス」の実態について認識し私は驚きました。
まず八畳の部屋にベッドを4つ並べて生活させるといった非常に劣悪な環境の元で何らかの不自由を抱える高齢者が生活を余儀なくされるという事実はやはり高齢者への介護保障というよりもむしろ人間としての保障といった問題へと関わってくると思います。更には高齢者の外傷に対しても適切な処置をしないことや、夜間の汚物処理は無しといった介護サービスとは言えないような扱いをするこのような業者が存在できているということに驚きました。
このようにできるだけコストを削減し、ただ利益だけを追求している業者を存在させてはいけないと思います。
それらの悪質な業者を減らしていくためには私たちがまず積極的に高齢者福祉について興味を持ち、このような事実があることをしっかり認識することから始まると思います。


投稿者: 666666 | 2014年01月22日 10:47

この記事を読んで、私は少子高齢化の進展の背景にこのような状態が起こっていることに憤りを感じました。昔は家族みんなで祖母や祖父のことの面倒を見るということが当たり前でしたが、ここ最近は、核家族化などでそのような家庭は少ないと思います。高齢者に対して、敬意などなしに扱っていることがここの記事で見られます。金融価値などの理由で私はこのような粗悪な介護サービスは絶対にしてはいけないと思います。お客様や利用者の幸福追求権を最も重視すべきで、この時代の問題をどう改善していくべきか考えなければいけないことだと思います。


投稿者: me | 2014年01月22日 11:06

僕も、宗澤先生の意見に賛成です。いくら企業の利益を上げたいからと言って、行っている事業自体の内容が粗悪になってしまっては、その事業を行う意味は全くないといっても過言ではないでしょう。それも、少子高齢化の波を利用し、困っている高齢者の方々を陥れてまで利益を大きくしようとするなど、言語道断の極みだと思います。しかし、このような事態に陥ってしまった原因も、また少子高齢化にあるのだと思います。働き盛りの若者の層が薄くなり、高齢者を支えなくてはいけない者の負担は増すばかりです。それに、働ける者が減ってしまえば、国の経済は低迷し、景気が悪くなっていく。そのせいで、企業は利益を上げるのに必死になり、事業の内容よりも、それによって得られる利潤の方に重点を置くようになってしまう。よって、先生の提唱する問題を解決するには、少子高齢化問題の対策を早急に見つけ出さなければいけないのだろうと僕は思います。


投稿者: でかまるくん | 2014年01月22日 11:33

近年では「貧困ビジネス」と呼ばれる、低所得・生活保護受給者世帯を狙った搾取のやり口がありますが、今回のブログにある高齢者を対象として狙ったものは、上記と同じく弱者を狙った構図であることが言えますね。
本題として今回の内容にある、「付録」を引き起こす金融資本の論理、価値の優位性がそもそも何故起こっているのかを考えないのは介護者、事業者に対してやや失礼なのではないかと考えます。
介護現場でのいわゆる「給料」は、自治体によって支払われるそうです。それは厚生労働省によって定められた「介護報酬」という、事業者に支払われる費用を決める制度があり、この制度によって事業者の給料は大体決まると考えられます。
しかし巷で聴こえてくるのは「キツい、汚い、給料が安い」…
このような職に就く方にはさまざまな事情や思いがあるんでしょうが、非正規雇用も増える中、満足に働ける環境であると私は考えません。労働の価値を認められていないとすら言えるのではないでしょうか。
金融価値の優位性の背後には、道徳性の考慮をも上回る金融価値の非妥当性の訴えがあると考えます。
一面的に考えれば給料と供給(介護者の数)が増えればいいように見えるのですが、それこそ「人間力」のある人も増えると魅力のある場になると思いますね。


投稿者: たま | 2014年01月23日 01:56

冒頭部分を読んだだけでは、老人ホームに入ることができなかった方を1000円ほどで一泊させることができるのならば、悪くはないサービスなのではないかとも思いましたが、実際は宿泊者への配慮がまったくと言っていいほどされておらず、自分たちが利益を得られるだけ得て、大げさかもしれませんがお金にならないことはしないということを行動で示しているようにも見えます。また、本文に書いてあるように、本来の目的である介護や福祉などの国民のための事業が営利目的にかわっていくようなことは、少数の特定の団体に対してのみ言えることではなく、かなりの広範囲に及ぶ問題であるということに対しても同意見です。困っている人がいたら、その弱みに付け込むのではなく、純粋に救いの手を差し伸べられる世の中になればいいと思います。


投稿者: けい | 2014年01月28日 03:36

高齢者を介護するという本来思いやりの活動であったものが、経営との両立をこなしていくうえで粗悪なものになってしまったことは現代日本の大きな問題として根付いているとわかりました。何をするにもお金は必要であるのは資本主義社会である現代では仕方のないことだと思います。しかし、採算を重視するあまりサービスの内容が粗悪になったり、本来の目的とはかけ離れたサービスの提供が行われていることは、こういった介護等の業界においては危惧すべき問題です。日本人のすばらしい気質であった「思いやり」だとか「おもてなし」が時を重ねるごとに摩耗し、見た目ではすばらしいもの見えていても中身の薄っぺらなものになってしまうことは悲しいことと感じます。


投稿者: うより | 2014年01月28日 23:47

老人を介護する人が不足しているのは周知の事実である。そこにサービスが介入してくるのもわかる。しかしそこで過度の競争が発生し、粗悪なサービスが成り立ってしまっているのは問題である。親や年上の敬うべき人を、そのような粗悪なサービスを提供する施設に預けることに問題がある。施設を決める際にサービスを吟味しているのだろうか。それ以前に、預ける人に対する慈しみの念はあるのだろうか。年を取ると存在意義がなくなる?そんな社会で暮らしていきたくはないものですね。


投稿者: るん | 2014年01月29日 08:59

介護の問題は、少子高齢化が進む現代において深刻な問題の一つとなっています。先日「待機児童」ならぬ「待機高齢者」が増加しているというニュースを耳にしました。介護サービスの不足の一方で本件のような劣悪な介護の存在を知り、驚きと不安を感じました。一流ホテルやJR北海道の偽装や隠ぺいなども最近問題になっています。本来の事業目的を逸脱し、利益だけを求めているこの現状は利用者に大きな不安と不信感を与えます。ホテルはまだしも、電車や介護はなくては困る人がたくさんいます。このようなサービスは金銭的な利益だけでなく本来の事業目的の利益を追求すべきであると思います。経営が厳しいのであれば国が支援してでも守らなくてはならないものであると思います。しかし、国も財政面の問題も抱えており、そう簡単に解決するものではないこともわかりますが、介護が虐待の温床になるようなことは決してあってはならないことであるので早く解決することを願います。


投稿者: あいこ | 2014年01月29日 13:16

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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