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介護の仕事って、こんなに素晴らしい

是枝 祥子 (これえだ さちこ)

是枝さんは、特別養護老人ホーム「福音の家」勤務を経て、大妻女子大学で介護福祉学の教鞭をとってこられました。東京都介護福祉士会会長を長く務めるなど、介護の世界にはとても造詣が深い方です。
せっかく介護の仕事に就いたのにもかかわらず、辞めてしまう人が多いと聞きます。「もう辞めてしまおうか」などとお考えの人もいらっしゃるのではないでしょうか。

プロフィール是枝 祥子 (これえだ さちこ)

1941年生まれ。
1964年、東洋大学社会学部応用社会学科卒。
短い製薬会社勤務を経て、子育て中に友人の紹介で、1980年から神奈川県の児童相談所で非常勤相談員を始めたのが、福祉との本格的な出会い。
1983年から介護福祉分野へ転じて、特別養護老人ホーム、在宅介護支援センター、ヘルパーステーション等の現場経験や施設の管理職経験を積む。
1999年、多摩キャンパスに新設された大妻女子大学人間関係学部人間福祉学科の助教授に迎えられ、2004年には教授に昇任。現在、名誉教授。

第9回 目の前の介護だけに追われていませんか?

家族の本音と建前

 介護職員は、利用者の家族と信頼関係をもつことが重要です。そして、必要に応じて家族とさまざまなことを取り決めておくと、いざというとき、適切な判断が下せます。この「取り決め」によって、家族の「本音と建前」の間で悩むことがないようにします。

 80歳半ばのB男さんは、妻が特養に入居中で、一人暮らしです。心臓が悪く、軽い認知症はありますが、訪問介護と、離れたところで暮らす息子さんがときどきやってきて面倒をみていました。息子さんとは男同士のためか、会話はほとんどありません。妻の入居費用とB男さんの介護費の合計は結構重く、年金だけではなかなかまかえない状態です。

 あるとき介護職員が訪問したら、心臓の悪いB男さんが発作を起こして倒れていました。

 介護職員が息子さんに電話すると、「救急車を呼んでください」といわれたので、介護職員は救急車を呼び、B男さんは病院のICUに運ばれて一命を取り留めました。もし、介護職員の来るのが遅れたらB男さんは亡くなっていたかもしれません。喜ぶべきです。

 しかし、息子さんの思いは複雑でした。息子さんの妻はB男さんの介護をいやがるので、息子さんは今後も「遠距離介護」を一人で続けることになります。休みのたびに父親の面倒をみることに、疲れを覚えてもいました。あらためて、この状態をいつまで続けられるだろうかと、金銭面も含めて、息子さんはため息をつきます。

あなたがB男さんだったら

 介護職員は、息子さんには細かい記録をいつも報告し、息子さんの気持ちはある程度理解していました。もちろん、介護職員のとった行動は介護職員として当然なことなのですが、息子さんの悩みに共感することもできます。この場合は特殊ですが、介護職員は、利用者の生き方、その人らしい死に方について理解しておくことが必要ではないでしょうか。

 単に、「今日の体調はどうですか」といったような当たり障りのない会話だけではなく、機をみて、利用者を含め、延命処置をどこまで希望するかといったことを介護職員としても知っておくことは重要だと思います。すぐにどんな場合も救急車を呼ぶことは適切なことか。また、肺炎などで救急車を呼ぶのはどんなときか、家族と本音で話し合っておく必要があります。

 病院に搬送すれば、医師はどんな場合でも患者さんの命を守ろうとします。肺炎で入院すれば、熱は下がり、退院できます。そして、何度か入退院が繰り返されて、段々、衰弱していきます。その間、胃ろうなど経管栄養が行われ、延命期間は長くなりますが、心身の機能は不可逆的に低下していきます。体が衰弱していっても、ご本人の意思が確かであるなら、それは必要なことです。しかし、ご本人が認知症などで自分の意思をいえないときはどうなのでしょうか。

 もし、自分がそのような状況に至ったら、自分ならどう考えるでしょうか。たとえば自分がB男さんだったらどうでしょうか。自分は認知症で一人では生活ができない、息子は遠くから会社の休みごとにやってきて自分をみてくれるが、かなり疲れてもいる。息子の夫婦関係も、何となく自分のせいでギクシャクしている。自分は心臓が弱く、心臓病で死ぬかもしれない。

 それでも、「1分でも長生きしたい」と考えるでしょうか。

 もしB男さんが認知症でなければ、息子さんが悩みながらB男さんの看病にエネルギーを使い果たすことを好まなかったかもしれません。「心臓発作があってもあわてて救急車を呼ばないこと」などといったかもしれません。それが正しいことかどうかという判断は別のことですが、もしそういうB男さんの意思を介護職員が理解していたら、介護職員は倒れているB男さんをみて、もっと悩んだに違いありません。もちろん、B男さんがそこで苦しがっていたら話は別です。でも、B男さんはまるで死んだように静かに息をしていました。