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障がい者福祉を知って高みを目指す!

松崎 匡 (まつざき ただし)

介護職として高みを目指すなら、高齢者福祉も障害者福祉も知っておきたいところ。この2つの現場を経験した松崎さんだからこそ言えるそれぞれの違い。それらを知り、介護職としてあらためて「福祉ケア」について考えていきましょう。

プロフィール松崎 匡 (まつざき ただし)

この4月より「合同会社M&Yファクトリー」代表社員。
元アルファ医療福祉専門学校教務主任。福祉関連事業所の開業、業務改善などのコンサルティング、研修講師、市民向けの介護講座などのほか、青少年の更生、フリーター、ニートの就職支援などを手掛ける新たな福祉への関わりを中心に活動中!

第11回 『愚痴と意見の大きな違い』~自己実現のためには「意見」が言えるようになろう~

 先日、ある大学の新入ゼミ生の歓迎会に来賓として参加させていただきました。

 大学生が、大人に囲まれて緊張しながらも自己紹介したり、私のところにも挨拶しにきてくれたり、学生さんたちはこんな機会も少ないだろうに、よく頑張っているなと感心しました。また、「若いうちにこうした異世代の人と関わる機会をもつことが、きっと将来に役立つ」という先生の隠れた思いがあるのだろうなと想像し、このまま変に染まらずに成長していって欲しいなと清々しい気分で帰ってきました。

 帰り道、なぜこんなに清々しい気持ちになっているのだろう? と考えてみました。

 うまく言えませんが、参加者全員が「真っ白」な状態(利害や対立や妬みや恨みなどではない、ある一定の方向性を持って集まっていること)だからなのかなと感じました。学生さんは「これから頑張ります」というメッセージを、我々大人は「とにかく頑張れよ」というメッセージをもってお互い参加している。つまり、相互が「正の方向」に向いているため、参加した人がただその場にいるだけで共感し、それぞれの範疇で私のように「すがすがしい」気持ちになれたのだと思いました。

 さて、今回のテーマ「愚痴と意見の大きな違い」について前振りで私のメッセージを入れておきましたが、もう少し詳しくお話ししましょう。

愚痴を愚痴で終わらせないようにしよう

 私自身も、以前はかなり愚痴っぽい人間でした。でも、ある時気付いたのです。

 仕事帰りに同僚と飲んでいたとき、いつものように「うちの上は何にもわかっちゃいない」「現場はこんなに大変なのに、全然人が足りないじゃん!」など、今思うとぞっとするほど愚痴に終始した時間を過ごしていました。毎日のようにそんな日々を過ごしていたある日の帰り道…「なんか虚しいな~」って。

 そう、先ほどの学生さんたちとの会で感じた「真っ白」とは真逆の「真っ黒」な感情が自分の中で渦巻いていることに気付いたのです。そこには何の純粋さも、介護への思いも、利用者への思いもなく、ただ自分の不遇を嘆くだけ。そして、この飲み会では何一つ解決しないことにも気付いたのです。

愚痴はステップアップではなく足踏み状態

 仕事の愚痴というのは、同じ境遇の同僚などと不満を出し合って「そうだよね~」と相づちを打ちあい、そこにいるもの同士の「連帯感」みたいなものが生まれるので、その場は何となくすっきりした気分になるのかもしれませんが、実は何も解決することがないのです。むしろ、そればかり繰り返していると、自分の心がどんどん黒く染まっていくだけ、未解決のことがどんどん溜まっていくばかりで、変な連帯感もあいまって、その状態から抜け出せなくなってしまうものです。

 これではステップアップどころか「足踏み」状態のまま、無駄に時間ばかりが過ぎていくことになってしまいますね。

 それだったら、その愚痴の場を「職場の課題」を抽出する機会と捉え、その課題をどのように解決していくかを考えるほうがよっぽど有意義な時間となります。愚痴というのは、自己実現したくてもできない原因分析だと考え、一通り課題が出たらその原因を人のせいにしないでどのように解決したらよいのか? 「上が悪い」などと単純化しないで、その上司や組織をアセスメントし、どのように「意見」したら、この課題が解決するのか? を議論するように意識すれば、とても清々しい気分で日々を過ごせるのではないでしょうか?

 自分は「愚痴」ばかり言っていて「意見」として何も言っていないのではないか? と自分自身をぜひ再アセスメントしてみてください。