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脊髄損傷を受傷して

松尾 清美(まつお きよみ)

年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。

プロフィール松尾 清美先生(まつお きよみ)

宮崎大学工学部卒業。
大学在学中に交通事故により車いす生活となる。多くの福祉機器メーカーとの研究開発を行うとともに、身体に障害をお持ちの方々の住環境設計と生活行動支援を1600件以上実施。
福祉住環境コーディネーター協会理事、日本障害者スポーツ学会理事、日本リハビリテーション工学協会車いすSIG代表、車いすテニスの先駆者としても有名。

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第65回 「第64回 丸山の死後」の解説

 丸山さんと奥さん、そしてスタッフや当事者、協力者が作り上げた「ボランティアと、最も報酬の少ない訪問介護事業にこだわったスキップ」の10周年記念パーティーの写真を見ると、皆さんとてもいい顔をしており、丸山さん自身は亡くなってしまいましたが、丸山さんと奥さんが考えていた介護の心と、自律の考え方や精神は、脈々と継続されていることがわかります。

 そして、奥さんと丸山さんの言葉があります。「命があったことさえ悔やんだ日々から、何とか乗り越えてきた車いすの夫が、『体育とは、結局はいのちの教育なんだよ』、『こうなることが、俺の運命だったような気がする』」などと奥さんに話されたというのです。

 障害を得てから、自分自身を見つめ直し、自分に問いかけ、人生を振り返り、障害を受容していく過程と、再出発して自分が神様から授かった使命を感じ取り、教育という天職を丸山さんは全うしたと感じました。丸山さんが願っていたという「人の心に残るような生き方をしたい」、「障害を持った普通の人として生きたい」との願いは、達成できたと思います。みなさんはどのように感じましたか?

 「障害を負わざるを得なくなって、底知れぬ闇の中にいる者に向かって、初めから『よくて寝たきり……』と言い放つ医療ではなく、『幽かな光の兆し』を寄り添って届けられる医療になって欲しいと、心から願います」

 以上のような、医療の世界に対する、丸山さんと奥さんからの願いを確かに受け止めました。

 丸山さん、そして奥さん、いろいろなことに気づかせていただき、ありがとうございました。

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