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脊髄損傷を受傷して

松尾 清美(まつお きよみ)

年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。

プロフィール松尾 清美先生(まつお きよみ)

宮崎大学工学部卒業。
大学在学中に交通事故により車いす生活となる。多くの福祉機器メーカーとの研究開発を行うとともに、身体に障害をお持ちの方々の住環境設計と生活行動支援を1600件以上実施。
福祉住環境コーディネーター協会理事、日本障害者スポーツ学会理事、日本リハビリテーション工学協会車いすSIG代表、車いすテニスの先駆者としても有名。

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第63回 「第62回 胃がん発症」の解説

 神様のいたずらか! 「NPO法人 障害者・高齢者自立支援スキップ」の活動も落ち着いて、穏やかな日々を送り始めた頃、丸山さんの胃がんが発見されました。頸髄損傷という重篤な障害を受け入れ、大学に復職し、退職まで学生の教育に心血を注いで、多くの体育教師を育てられました。また、入院中にはナース、退院してからはヘルパーなどからさまざまな相談を受けるなど、お人柄と信頼の大きさは計り知れません。このように素晴らしい人にも、がんは容赦なく襲ってきたのです。

 退職後の生活や仕事にも慣れ始めた時のことです。総合病院で「胃がん」との告知を受け、4月初めに手術を受けられましたが、「既に腹腔内にがんは広まっており、手がつけられなかったため、がんはそのままにして、食道と腸を直接つないだ」と、執刀医から奥さんに伝えられたとのことです。医師がレントゲンを見ながらの丸山さんに説明した内容は、「悪いところは切除しました」というものでした。丸山さんは「あの画像だものなあ」と受け止められたのですが、事態はもっと深刻で、「スキル性胃がん、余命1年」と、家族は宣告されていました。

 さまざまなことを考慮して、本人にはその事実は伝達されませんでした。「口から物を食べられるようになって本当によかった」と、主治医に手術の成功を感謝していた丸山さんには、「がんを摘出した」と偽りを言って、スキルスということも余命のことも伝えられなかったのです。抗がん治療を続ける丸山さんを見るたびに、奥さんや家族は大変苦しかったと思います。

 しかし、夏になって薬の効果も出始め、通院治療に切り替えるほど調子がよくなり、それから約4か月、少しずつ元気を取り戻し、食べるものもおいしくいただき、毎日の入浴のあとは車いすに乗って、訪ねてくださる方々と楽しく語らい、10月からは週1回、自宅で上越教育大学大学院の講座を持つほどに元気になって、「ひょっとして治っているの」と思われる日もあったと書かれています。そして、「新潟県中越地震の直後あたりから食事が次第にとれなくなり、11月15日に振り絞るような声で講義を締めくくり、その4日後に入院致し、入院してからは日ごとに悪化して、29日の夜半、その日に提出されたレポートを読み聞かせたところ、わずかに反応し、笑みをみせて、そのままの顔で逝ってしまいました・・」と奥さんの日記にはあります。「丸山さんは障害を乗り越え、教育者として人生を全うした!」と、私は確信しました。

 とても難しいのですが、私もこのような最期を迎えたいものだと思った次第です。

丸山夫妻

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