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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第145回 死が身近にある現場だからこそ
ご利用者さまの願いは、何としてでも叶えたい

小川力信さん(39歳)
天誠会 介護老人保健施設 小金井あんず苑
副施設長
(東京・小金井市)

取材・文:毛利マスミ

初めての実習で、おじいさんがいて驚く

 老健の副施設長をしています。老健は、医療職から介護、福祉までの専門家が集まる多職種連携が求められる職場です。そのかじ取りをするのが副施設長としての役目でしょうか。
 僕は、高校時代から将来は福祉の道に進むことを決めていました。当時は介護保険がスタートしたばかりで、「措置から契約へ」と福祉行政が大きく変化した時代です。福祉・介護業界は、将来性が高く輝く未来が約束されていると言われていて、高校卒業後は迷いなく介護福祉士の資格取得ができる専門学校に進みました。

 僕が、介護の仕事に興味を持ったのは、2年前に他界した祖母がきっかけです。おばあちゃんは一人っ子の僕をとてもかわいがってくれて、「おばあちゃんが好きだ。だから他のおばあちゃんのお世話もしたい」と思ったのです。すごく単純な理由です。
 おばあちゃんは、背中を支えるだけでとても喜んでくれて、しかも褒めてくれます。僕にとっての介護は、「足が痛いといっているおばあちゃんの背中を支えてあげる僕」というイメージでした。
 そんな単純な思考回路でしたので、初めて高齢者施設で実習をしたときには戸惑いました。まず、そこにおじいさんがいることに驚きました。おばあさんもおじいさんもいるのが当たり前なのですが、僕の高齢者のイメージには、自分のおばあちゃんしかいなかった。
 それで、「おじいさんのお世話ができるのかな」「うんちやおしっこの介助は?」「お風呂では、裸の体を洗ってあげなければいけない」──実習を通して、高齢者の「お世話」が具体的な「サービス」に落とし込まれたときに、初めて現実が見えてきたのです。
 僕にとって実習は、介護を一生の仕事としてやっていけるのかを見極める期間でした。そして体験を重ねるうちに、次第に「これはできる」という確信を持てるようになっていきました。

僕を変えたご利用者さまの死

 就職先に小金井あんず苑を選んだのも、たまたま実習先だったからという、これも単純な理由からです。ちょうどベッド増設のタイミングと合い、多くの人材を募集していたのです。
 職場はとても雰囲気もよく、同期の仲間たちと仕事明けに飲みに行くのが楽しくて仕方ありませんでした。正直なところ、仕事を始めたばかりの僕は、正社員とはいえバイト感覚。ご利用者さまに、正面から向き合ってはいませんでした。
 そんなある日のことです。カラオケのレクリエーションで、あるご利用者さまから「デュエットしましょうよ」と誘われたことがありました。その時、僕はレクリエーションの担当日ではなかったし、忙しかったこともあり、「また今度ね」と受け流してしまったのですが、翌日容体が急変して、その方は、亡くなってしまったのです。
 今でこそ霊安室を作るなど、施設で看取りも行うようになりましたが、当時は容体が悪くなると病院に転送することがほとんど。施設で亡くなる方はほぼいらっしゃいませんでした。それにその方は、とても元気でしたので、まさか亡くなるとは、夢にも思っていませんでした。
 僕はこの死をきっかけに、「一緒に歌ってあげればよかった」という後悔とともに、「昨日まであんなに元気だった人が死んでしまうんだ」「ここにいるのは、死と隣り合わせの人たちなんだ」ということを思い知ったのです。

ミクロとマクロの視点を大切に

 僕が心がけているのは、どんなに忙しくても、ご利用者さまがボソっとつぶやいたひと言は、絶対にその日のうちに叶えてあげようということです。ご利用者さまの死をきっかけに、「今をいかに大切にするか」「願いを叶えるためには、どうしたらいいのか」を考えるように、仕事のスタンスが変わったのです。

 入所しているご利用者さまのなかには、「ここは施設だから、できないわよね」とあきらめてらっしゃる方も少なくありません。たしかに集団生活ですので、食事の時間が決まっていたり、ご利用者さまお一人でのエレベーターの使用はできないなど、ルールはあります。でも、規則に縛られた生活は誰だってしたくありませんよね。ですから、「桜がきれいだから、きょうは散歩に行きたい」「部屋で食事を摂りたい」「朝寝坊したい」という方がいらしたら、希望は叶えて差し上げるようにしています。
 また食事も「食べたくない」という方がいたら、「食べない」という選択も尊重したいと考えています。もちろんその頻度にもよりますが、誰だって食べたくない気分の日もありますよね。ご利用者さまの意思を最大限に尊重することを第一に、無理やり食べさせるのは、違うかなと思っています。

 また、ご利用者さまの個々を大切にする一方、この仕事は、広く社会をみることも大切です。国の方針を理解し、たとえば「国は、在宅復帰に力を入れているな」と思えば、老健もそちらの方向にシフトしていかなければ、潰れてしまうかもしれないのです。3年に一度、報酬改定があるように、介護の現場は国の動向に無関心ではいられない現実があります。
 政治には振り回されてばかりですが、国の方針を押さえつつ、小金井あんず苑ならではのやり方を模索していくという毎日です。

最期まで地元で暮らせる町の要として

 僕は、地元の高齢者の方がどこか遠くの施設に入所するのではなく、地域に最期まで暮らせるような支援がしたいと考えています。在宅ときどき施設でも、施設ときどき在宅でもいい。行ったり来たりで、ショートステイや通所サービスも利用しつつ、ご家族はもちろん在宅のケアマネとも連携をして、切れ目のない支援をしたいと思っています。小規模多機能型居宅介護がありますが、うちの場合は大規模多機能、地域密着型の老健という感じでしょうか。
 老健は特養とは異なり、リハビリに強いのも特徴です。医師も常駐してますので、医療ニーズにもある程度は答えられます。最期まで安心して暮らせる町の要としてありたいですね。

 今年の4月から第2、第4日曜日に、駐車場と1階の交流スペースを地域に開放して「軒下マーケット」を開催しています。地元の人にお声がけをして、駐車場ではクレープやコーヒー、地元野菜などを販売。交流スペースでも、ワークショップを開きたい人を地元で公募して、高齢者に限らない地域の集いの場を目指しています。ご利用者さんやご家族からの評判もとてもよく、続けていこうと考えています。お近くにいらした際にはぜひ、立ち寄ってくださいね。

2年前に改修し、ホテルのように生まれ変わった浴室。リラックスできるようにとウォーターウォールを取り入れた。

【久田恵の視点】
 介護の分野には、さまざまな施設の形があり、法律があり、しかも短い間に、国の方針もくるくると変わっていきます。全体を捉えきるのは大変。けれど、どんな場所にも志を持ち、自分のいる場所で最善を尽くそうとしている介護者がいます。そのことに、いつも胸を打たれます。