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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第142回 息子を育て見えてきたもの 
欲に支配されず、いいあきらめ方のできる人になりたい

坂西伊都美さん(52歳)
株式会社ソラスト介護事業部
介護福祉士
(東京・府中市)

取材・文:藤山フジコ

障害を持って生まれてきた長男

 学生の時からお付き合いをしていた男性と21歳で結婚しOLをしていましたが、25歳で長女を出産後は自営業の夫の仕事を手伝いながら育児に奮闘していました。

 28歳のとき長男が誕生しました。生後五日目に体重が増えず急性腸炎と診断され、別の病院へ入院することになったのです。一カ月経った頃やっと3000グラムになり退院しましたが、保健所の四か月検診ではなんとなく発達が遅れていると感じていました。一年間経過観察ということで、ひと月に一度病院で検査してきました。検査の結果が出るたび祈るような思いでしたね。一年経っても発達の遅れの原因が不明で、別の病院へ転院しそこで出会った医師からルビンシュタイン・テイビ症候群ではないかと伝えられたのです。その時はこの一年である程度覚悟ができていましたので、気持ちを切り替え夫婦で頑張って行こうと話し合いました。この障害は知的や運動などの発達遅滞があるため、一歳から心身の機能訓練や作業訓練など療育の生活が始まりました。

 当時マンションの二階に住んでいたのですが、知的障害のある息子は多動だったので、彼を置いてゴミ捨てに行くこともできません。大人しいな…と思ったら色んないたずらをしていて、ひどいときは包丁で怪我をしたり、ベランダから落ちそうになったり。ひと時も目がはなせずご飯をつくることもままならない状況でした。夫が仕事から帰ってきてやっと息が付ける感じでした。幸い夫は子育てに協力的で夫婦で役割分担しながら毎日を乗りきるという感じでした。

最愛の夫の死

 娘が中学二年、息子が小学五年のとき夫の肺がんが発覚し、余命一年半から二年と告知されたのです。しばらくは夫に隠れて泣くしかなく食事も喉を通らず、見える世界が灰色でした。そこから半年で夫の状態はみるみる悪化し、私の精神状態もギリギリで。そんな状況でも子どもの世話はしなくてはなりません。半年間の壮絶な闘病生活の末、夫は亡くなりました。パパが亡くなったことを理解できない息子と、思春期真っただ中の娘を抱えて、悲しみに暮れる暇は私にはありませんでした。ただ、常にしなくてはならないことが山のようにあるおかげで、前だけを見て頑張れたのかもしれません。息子の学校の先生から施設に入所することも考えたらとアドバイスがありましたが、夫の残してくれたお金を使い切ってもいい、これからの十年間、息子が二十歳になるまでは生活を共にしていこうと思ったのです。

息子の独立と私の自立

 息子がやっと高校を卒業し通所の施設に通い始めたころ、それまでだましだまししてきた私の持病が悪化し手術の為入院することになったのです。息子のショートステイ先やヘルパーさんの手配などを切っ掛けに、自分にもしものことがあった場合、息子はどうなるのだろうと考えるようになりました。また私がいなくなった後、すべてが娘にいってしまうのは娘にとって負担が大きすぎる。そう考えて意を決して息子を施設に入所させることにしました。もちろん葛藤はありましたが、彼を大人として独立させることが親の愛だとの思いもありました。幸いとても良い施設に入所が決まり、通所の職員さんや高校時代の恩師に門出を祝ってもらい彼は巣立っていきました。

 息子が施設に入所した日、私は二十数年ぶりに夜の八時ごろ駅前をぶらぶらしようと家を出ました。すごく気が抜けた感じで、今後の経済的な不安や息子がいなくなった空しさなどを感じながら歩いていました。ところがふと、「これで息子のお迎えなどで縛られることはないのだな」と曇り空が晴れるような気持ちになったのです。「息子は家にも帰ってくるし会えなくなったわけではないのだ」と気持ちを切り替えることができました。

 次の日さっそく仕事に就こうと職安に行きました。私が新たに始められる仕事として年齢がネックにならず、今までの人生経験が何かしら役に立つかもしれないと思い、介護の仕事を選びました。そこで東京都のトライアル雇用事業を知り、働きながら介護の資格(初任者研修)が取れるという事で、今の職場で働かせていただく事になりました。夫が亡くなり世帯主になっても、息子の世話のため仕事ができない事がコンプレックスであり、常に先の不安に押しつぶされそうになっていたのですが、介護職に就いてからは資格のスキルアップもでき、目の前のことを頑張ればいいという安定感があります。

常に恐れと怖さを忘れてはいけない

 私の職場はショートステイの施設なので、半月以上滞在されている方から一泊の方もおられ利用者も変わります。常に先を見越して介護するのですが、イレギュラーのことも起こり、そんなときの対応が命にかかわってくることもあるのです。介護職に就いて四年になりますが、常に恐れや怖さを忘れてはいけないと思います。仕事に慣れ、慢心した時にミスが起こりやすいように思います。

笑っていられる仕事

 利用者さんとの会話は大事にしています。認知症のある方との会話も最後は笑いに持っていくことを心がけています。そうすると自分も楽しいのです。ある事務の仕事をしている友人から、普通、仕事で笑うことってないよと言われたんですね。気付くと私は仕事中によく笑っています。私と一緒にいる人が気分良くいてほしい、楽しい時間になってほしい、そこに生きる意味もあるのではと思うのです。利用者さんは介護者を良く見ています。見られているのだという意識をもち、相手の立場に立った介護を目指しています。

 息子を育てたおかげで、見えてきたものがあります。欲に支配されず、いいあきらめ方のできる人になりたいなと。取捨選択できる目を持っていたいと思っています。今現在、介護の仕事に就いている人、これから就こうと思っている方たちにぜひ伝えたいことがあります。この仕事は楽ではありませんが、楽しくはできる仕事だと思います。こんなことが私はできるのだと介護の仕事に自信と誇りを持ってほしいと願っています。

【久田恵の視点】
 六人の取材チームで、百人を超す介護職の方たちのインタビューをしてきた私たちですが、この取材を通しての実感を語り合ったことがあります。 「誰でもなれるけれど、実は選ばれた人しかできない仕事、それが介護職だよね」と。坂西さんは、まさにその選ばれし人のお一人なのだと思います。