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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第133回 那須に移住して、一人でデイサービスを立ち上げました 
人生の転機は何歳からでもできるんです。

山本照代さん(68歳)
生活機能訓練センター・デイサービス ゆうり
生活相談員
(栃木・那須塩原)

取材・文:久田恵

私はここで頑張ると決めたんです

 東京生まれの東京育ち。私は、八年前、六十歳で、生まれて初めて区役所へ行って住民票を那須に移して、人生を変えた移住者です。

 そもそもの始まりは、会社が那須に持っていた工場が廃業になり、残された従業員の職場を作るためデイサービスを立ち上げるよう言われたこと。デイサービスは、六ヶ所ぐらいの立ち上げ経験があるのですが、那須は初めての土地。駅近くのビジネスホテルに住みながら東京と行き来して働いていたのです。

 都会の14階建ての12階なんてところに住んでいたもので、私には自然へのあこがれがあり、その時に思わず那須に家を買っちゃったんです。

 まず東京・文京区の白山で喫茶店をやっていた夫が先に那須に来て、私は新幹線通勤などしていたんです。むろん、いずれ夫と悠々自適の那須暮らしを夢見ていたのですが・・・。移住して一年半で、夫が急逝してしまったのです。夫の遺骨を置いたままで東京には帰れない、そう思って私は会社を退職してしまいました。寒いし、夫はいないし、つらいし、その冬の二か月の間、私はずっと泣いていました。けれど、夫の遺骨を平成二十六年のお彼岸に、やっと那須のお寺のお墓に入れ、私はここ、那須で頑張る、そう決めたんです。

 そんな頃、たまたま車で走っていて、「家を貸します」の看板をみました。すぐに不動産屋さんに電話をして、「なんでもいいからおさえて」、と言ったんです。たまたま、大家さんが南那須で福祉農場をやっている方で、私がデイサービスをやると言ったら、安い賃料で貸してもらえたんですよ。

 この家と出会って、大家さんに背中を押してもらって、私はこの那須の地で仕事をすると、本気で決められたんです。

実は鍼灸師なんです

 デイサービスにしたここは、大家さんのご両親が住んでいた家です。素晴らしい材木を使っていて、気軽に柱に釘も打てない立派さ。広いお座敷がふたつもあって、素敵な襖絵が描かれていて、部屋もいくつもある一軒家。利用者の皆さんが、「こんなところはなかなかないんだよ」、ととても喜んでくれています。

 家のまわりの畑も全部一括で借りているので、リハビリもかねて、利用者の皆さんから野菜作りを教わりつつ食材つくりをしています。「教えてちょうだい」、これが基本です。うまくできるとみながほめてくれるし、それが大事なコミュケーションになるので、必ず畑から野菜をとってきてすべて食事を手作りするんです。

 それから、実は、私は鍼灸師なんです。

 農家で、農作業をしてきた方って、腰が痛い、肩が痛い等の整形外科的疾患が多いので、デイサービスの利用時間外に、無料でやってあげたり、施術してあげたりもしますね。

 「ゆうりさんに行ったら、上がらなかった手が上がった」とか、「脳こうそくでしゃべられなかったけれど、回復した」とか、それがあるとほんとうれしい。鍼灸師はもう30年やっているので、自分の技術の低下が嫌なんです。私は、人の身体に触るのも好き。ハグも好き。だからこういう仕事をしているんだと思います。

 うちは、地域密着型の通所施設(デイサービス)で、その定員は十人。小規模だと、自分が、必ず、その日、利用者さん全員と会話ができる、身体にも触れられる。それが可能なのがこのくらいの人数ということかな、と。私にとって、仕事は喜びです。10人を相手にしていれば、喜びも十倍になる。そう感じて楽しんでいろいろやること、それが心の喜びなんですよね。だから、やっていて楽しいんです。

命がけのデイの送迎

 同じデイサービスでも、その地方ならではの体験がありますね。

 ここは、冬が大変で、時々とんでもない経験をします。

 今年は二回、怖い目にあいました。どうしてもデイに行きたいという方がいて、S字カーブが二つある山の奥に迎えに行ったんです。タイヤにチェーンつけて、アクセル全開で行っても、途中で、ガガーっていって止まって、さがっちゃうの。それで、慌ててブレーキをかけてもずるずると滑ってハンドルもきかなくて、利用者さんに、「どうしたらいいの?」って電話したら、「バックするしかないね」っていうわけ。でも、こっちは崖、あっちは山、おまけに側溝があって。もう怖さのあまり涙が出たってこと、初めてでした。仕方なくて、バックに入れてゆっくりサイドブレーキで下がっていったけれど、ほんとうに怖かった。そういうのが1回あって、2回目は雪がないけど、凍ってつるんつるん、その時は、側溝に後輪がはまってしまった。まるで命がけでデイサービスの送迎をしたんです。つまり、そういうところに住んでいるってことです。

 でも、そういうところだから、カタクリの花が咲いたり、おいしいタケノコが出たり、行くたびにたくさんもらったり、畑のものも余ったからとか、家で食べたら美味しかったからとか言って、持ってきてくれて、もう地域の人に支えられて運営しているのを実感できる場所なのです。

社長の給料、十五万円に昇給しました

 ここで、私は、夜は9時に寝て、朝は5時半に起きて、6時半にここに来ます。そして、夕方6時半に帰る。12時間以上もこの事業所にいるんです。朝、畑で野菜をとり、昼食の下準備、昼は、17、8人分ぐらい食事を作る。それも楽しい

 それからここの夜の星の多さ、月明かりの素敵さ。仕事を終えて事業所の鍵を閉めるときもほかの明かりがいらないの。空に上がってくるときの太陽の大きさ、風のなる音、その自然の美しさは東京では味わえない。ほとんど宮沢賢治の世界。ここを立ち上げて6年目、空を見上げて、ああ、あれがほんとに銀河鉄道だあ、なんて思えるのがいいなあ。

 ここは、昔は水がなく、人が暮らせない荒地だったから、言ってみれば、みんなが移住者なんです。でも、若い人も含めて、地に足がついている生き方をしてきているのを感じるのよ。東京の飲み屋さんでのコミュニケーションの形とは違って、必要な時に必要なことをみんなが呼びかけてくれる。だから、よそ者は暮らしにくいということはなく誰でも受け入れOKの地域なので、暮らしやすいのです。

 スタッフも地元の癒し系の人たちだから、私は癒されています。介護の仕事は、基本が人と人の世界。芯のところで、あなたのことを心配してますよ、というのがこもっている人同士の世界。それが介護というものだから、その人がどういう人かで空気が変わってしまうとても分かりやすい場所なのです。だからスタッフひとり一人に、私は感謝しています。

 社長の私の給料は、10万円でした。去年からは、15万円になりました。

 それでなんとか暮らせているのも、いいなと思っています。

厳しい那須の冬

デイサービスの素敵な襖絵

【久田恵の視点】
 行きたい場所に行って、やりたい仕事をいくつになってからもやれる、介護の仕事って、そういうものなのかと、山本さんの実践力によって教えられますね。むろん、そう簡単ではない、でも、やれる人がいる、やっている人がいる、そう知るだけでも勇気をもらえます。