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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第127回 本人にしか分からない苦しみに安易に共感しない。 
大切なことは寄り添い方。

秋山真里さん(44歳)
友愛みどり園
介護福祉士・支援員
(千葉・八千代市)

取材・文:藤山フジコ

祖母から教えられた“人として生まれてきたからには、人の役に立たなければいけない”

 母が再婚する14歳まで、大家族の中で育ちました。決して裕福ではなかったのですが、家にはいつも人が集まり、祖母は誰にでも分け隔てなく自然体で接していました。“人として生まれてきたからには、人の役に立たなければいけない”と祖母に言われ育ったので、福祉の道へ進むことはごく自然なことでした。

生まれつきの病気で苦しんだ思春期の頃

 生まれつき左右の顔のバランスが違う先天性顔面神経麻痺という病気があり、子どもの頃から差別や苛めに苦しんできました。母が看護師だったこともあり、将来、同じ道を志そうと思ったこともありましたが、患者さんに顔のことを指摘されたら私は耐えられるのか……福祉だったら、相手の方も病気や障害があるので指摘されないのではと思ったのです。
 しかし、こんな逃げているような気持ちで果たして務まる世界なのか見極めたくて、高校生のとき「障害を持っている未就学児親子教室」へ体験実習に行ったのです。子どもの障害を受け入れられない母親を目の当たりにして、自分の母と重なり、家族も含めて支援していきたいとこの道へ進むことを決心しました。
 その頃私は思春期で荒れていた時期で。それでも大好きな母親に心配をかけたくなくて顔のことで苛められたとか、辛い思いをしたとか、悩んでいるところを見せないようにしてきました。あるとき母に「なんで責めないの」と泣かれたことがあったのですが、母が悪いわけではないし、看護師であるのに見守ることしかできなかった母が一番辛かったと思うのです。

大切なのは家族も孤立しないような状況を作っていくこと

 高校を卒業し、福祉の専門学校の社会福祉科へ入学しました。年寄りっ子だったので老人ホームの実習は楽しみにしていたのですが、実際は想像していたこととは全く違うものでした。常に時間に追われ、お年寄りを人として扱わず、物のように介助していました。あまりに辛くお年寄りの前で思わず涙声になったとき、「人間はね、諦めなくちゃならないこともあるんだよ」と言われたのです。この人はそんな境地でここにいるのだとやりきれない気持ちになりました。このことがトラウマになってしまったこともあり、卒業後は高齢者の施設ではなく知的障害者の施設へ新卒で入社しました。

 そこは医療ケアの高い中高齢の人達が入所する施設でした。50歳くらいの女性の方でしたが、その方のお母さんは既に亡くなっていて、お父さんと二人暮らしでした。お父さんが認知症を発症したため、民生委員の紹介で入所してきました。父親と暮らしていた頃は、食事は菓子パンのみで常に飢えている状態でした。お皿をなめるように食事をしている彼女を見て、成人障害者を高齢家族がケアすることの限界も感じずにいられませんでした。障害者本人だけではなく、家族も孤立しないような状況を作っていくことが大切だと思います。

安易に辛さに共感せず悲しみに寄り添う

 この施設を経て、年齢に関係なく重度の知的障害者が入所する施設に生活援助員(生活指導員)として転職しました。
 4人部屋の担当をしていたのですが、4人とも年齢や障害は違います。自分の要求が通らないとき、人を傷つけたり(他害)、自らを傷つける(自傷)こともあります。強いトラウマ体験(心的外傷)からフラッシュバックして突然怒り出す場合など、怒りの原因が絡まって容易にほどけません。
 また、親に愛されて育った人とそうでない人は自己肯定感が違いました。ご家族と距離のある人は、お正月に家に帰れる人を羨んで荒れてみたり、常に愛情に飢えている状態でしたね。親より長く一緒にいる私達職員ですが、親になることはできません。なので「大好きだよ」と常に声に出して伝えていました。しかし愛情で満たされた経験がないので、もっと、もっと愛情がほしいという感じで終わりがないのです。当時は若かったので、利用者さんと一緒になって泣いたり笑ったりのめり込んで働いていましたが、今は年の功と言うか、愛情を示す加減が分かるようになりました。

 大切なことは寄り添い方だと思います。その人がどんな生い立ちで辛いことがあったとしても、本人でなければその苦しさは分からないと自分の経験から思うのですね。「その気持ち分かるよ」って言うのはおこがましいことだと思うのです。ですから安易に辛さに共感せず悲しみに寄り添うことを心がけています。

胸をはって生きていこう

 30歳を前にして自分のコンプレックスに逃げずに向き合おうと、生き別れた父と会ったり、子どもの頃受けた手術を調べたりしました。それまで病名すら知らなかったのです。今後どんなことが予測されるのか病院で受診しました。私の顔はどんなに手を尽くしても治ることはないのですが、機能的に問題がないので障害者にはなれないのです。
 社会人1年目に母から「あなたは私の宝物です。最高傑作です」という年賀状が届きました。今でも下を向いてしまうことはときどきあるけれど、この母のためにも胸をはって生きていこうと前向きになりました。

介護の正解はこちらの思惑とは関係ない

 この仕事に就いて20年以上経ちました。長く続けてこられたのは、人に恵まれたおかげだと思っています。祖父母や叔父叔母。苦労して育ててくれた母。ありのままの私を受け入れてくれた専門学校の親友や職場の人達。みんなから愛をたっぷりもらったおかげで今の自分がいる。人から愛をもらうと自分を許せるし好きになれる。これからは、“みんな一緒が当たり前”を実現したいですね。障害がある人もない人も共に生きられる社会にしていきたいと思います。
 介護の正解は上手く言えませんが自己満足に終わらないこと。こんなことをしてあげた、笑顔を引き出したってことは仕事の糧にはなるけれど、自己満足のみのような支援ではだめだと思います。こちらのモノサシで図らずに、その人が望んだ人生を送れたと思ってもらえたらそれが正解なのだと思います。

利用者さん達と行った地下鉄博物館にて

利用者さんと一緒に。
明るく元気で前向きな秋山さん

【久田恵の視点】
 秋山さんは、「他者に寄り添って生きることの意味」を介護の仕事を通して問い続けてきた方なのですね。自分を支える介護観を持つということは簡単なことではありません。でも、それなくしては支えられないのが介護の仕事でもある、と教えられます。