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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第123回 相談員は、人生の岐路の立ち会い人 
ことばにならない気持ちも大切に、寄り添っていきたい

伊藤友美さん(46歳)
介護老人保健施設
グリーンポート恵比寿
支援相談員
社会福祉士/介護支援専門員
(東京・渋谷区)

取材・文:毛利マスミ

大ベストセラーが私のソーシャルワーカーとしての原点

 『君たちはどう生きるか』という、吉野源三郎さんが書いた本がいまベストセラーになっていますよね。じつはその本は、私が社会福祉士を目指したきっかけにもなったバイブルなんです。高校生のときに塾の先生に勧められて読んだのが最初ですが、現在も毎年のように読み返しています。
 物語は、主人公の少年「コペル君」が経験する、いじめや差別などについて叔父さんが、君はどう思うんだい? どう感じたんだい? と、問いかけていくような形で進みます。叔父さんの、少年に寄り添いながら一緒に考えていく態度は、いま、老健の相談員をしている私のソーシャルワーカーとしての原点になっているような気がしています。

 私は幼いころから、「自分はどう見られているのか」、「自分はどう思っているのか」、「いかに表現すれば相手に伝わるのか」ということに、すごく敏感に悩んできました。その端緒となった出来事が、私が小学校3年生のときの母の入院でした。私は4人きょうだいの末っ子で、長男は12歳も年上だったのですが、母のことが心配で泣く私に「お前ばかり甘えてるんじゃない。俺だってさみしいんだ」と長男が言ったんです。10歳ぐらいの私からすれば立派なおとなの兄だって、わたしと一緒の気持ちなんだということに、初めて気づいた瞬間でした。この時、「人の気持ちは表現しなければわからないもの」だけれど、「相手が表現しなくても、理解しないといけない気持ちがある」ことを知りました。
 自分が思うようには、人は自分のことを思ってはいない、どうしたら伝えあえるのだろう――そんな思いを抱えてきた私に応えてくれたのが、『君たちはどう生きるか』だったんです。

 私は福祉系大学を卒業後、すぐに社会福祉士の資格を取得しました。就活では、大学病院の教授秘書に就きました。でも、やはり社会福祉士の資格を生かせる仕事がしたいと思っていたところ、新設する老健の相談員のお誘いを受けて転職しました。
 当時はまだ2000年の介護保険スタート前のことで、老健がどのような施設なのか社会的に認知されておらず、どういう方を対象に、どのような形で利用していただくのかという方針が、今のようには定まっていなかったように思います。介護職と看護職、福祉職などのすみ分けもあいまいで、お互いの専門性を活かすことができていなかったんです。それで自分の専門性をもっと発揮したいと、ヘルパーステーションのアシスタントマネージャーに転職しました。

多職種連携の要としての役割

 ちょうど24時間巡回型訪問介護がスタートした時期で、とてもやりがいはありました。私はステーション全体の管理を任され、勤務表の作成や事務仕事もする傍ら、現場で夜勤もこなすなど、介護のいろはを教えていただきました。
 しかし私はじょじょに、訪問介護のような短時間の関わりではなく、利用者さまの生活全般に関わりたいという思いを強くしていきました。利用者さまは最後のライフステージを、どのように過ごしたいとお考えなのか、私は何をどうお手伝いすればいいのか――ご本人とご家族の人生をもっと知りたいと思うようになったのです。そんな折、現在、私が勤める老健が新しくオープンするというお話をいただき、ふたたび相談員として転職を決めました。

 老健は在宅復帰を目指す場所で、事情があって年単位で入所されている方もいらっしゃいますが、基本は3か月で移っていただく中間施設です。ですから、老健に入所されたとしてもその後をどうするのか、ということを常に視野にいれて考えていかなければなりません。終の棲家ではないからこそ、行政、在宅ケアマネ、病院のソーシャルワーカー、特養など、外部との連携が不可欠です。電話やメールも便利ですが、私はなるべく出かけていき、連携先の方々との対話を大切にしています。
 また、内部的にも多種職連携の要としての役割もあります。介護、看護、医療、栄養、リハビリ、事務など、利用者さまを支えるすべての部署を総合的にみていくことも求められます。

相談員の仕事は、絡んだ毛糸を手探りでほどいていくこと

 相談員の仕事は、目の前に悩んでいる人がいたら、どんな助けが必要なのか、どうしたら問題解決できるのかを一緒に悩むことです。こちらが情報を整理して、「はい、これがあなたに必要な情報ですよ」と手渡せば済む仕事ではありません。ご本人が最後のライフステージに何を希望していて、どんなことに悩んでいるのか、1段ずつ階段を上るように一緒に探っていく作業です。それに問題はひとつ解決するとそれで終わりではなく、その先に次の課題があることも、もしかしたら過去に遡らなくてはならない場合もあります。絡んだ毛糸をていねいに、手探りでほどいていくのです。
 ギリギリの状態で生活できていた高齢のご夫婦が、ちょっとした出来事をきっかけに生活が破たんしてしまうことがあります。もしかしたら、ご夫婦がお考えになっていた人生とは変わってしまうのかもしれないけれど、それをきっかけに支援の手が届くこともあります。以前、奥さまが転んで骨折したことをきっかけに、ご主人では家事全般が成り立たなくなり、ご夫婦で入所された方がいらっしゃいました。
 じつはご夫婦は、財産管理もできていない状態でしたが、海外暮らしの息子さんとは長年に渡って音信不通で、息子には迷惑をかけたくないと強くおっしゃっておいででした。しかし経済的な問題もあり、後見人から連絡をとらせていただいたところ、結果的には涙をポロポロと流して喜んでくださったのです。
 ことばにならない気持ちも理解しなければいけない仕事であることや、人生の岐路に立ち会う仕事であることを痛感した出来事でした。

 相手の人生に関わり、寄り添う仕事は正直大変です。大学のときに、ソーシャルワーカーも聖人君主ではないんだよと教わりましたが、同じ人間なんだから、自分だって悩み、苦しむ。それをいかに自分で理解し、相手に理解をもとめるのか――自己覚知と感情コントロールはソーシャルワーカーの基本です。
 勉強会や事例研究会は欠かせませんが、私はやはり何か迷うと『君たちはどう生きるか』を開いてしまいます。今のブームは不思議な感じもしますが、私はずっと前から知ってたよって、ちょっと自慢したい気持ちなんですよ。

【久田恵の視点】
 人生の最期をどう生き、どう終えるか、一人ひとりが課題を自力でクリアしていくことが求められる時代になりました。そんな時代だからこそ、ソーシャルワーカーの役割はとても重要。自分の気持ちに寄り添ってあたたかく援助してくれるワーカーに出会えた人は、本当に幸運です。