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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第122回 多様な介護事業の展開で地域に貢献を!

内池 宝さん(75歳)
株式会社タカラサービス会長
新高齢者住宅こころ
ケアマネージャー
(北海道・室蘭)

取材・文:久田 恵

新しい高齢者のライフスタイルをサポートしたい

 私は、室蘭市の元助役で、行政マン生活を三十八年も続けましたから、自分が生まれ育った故郷のこの地への思いはことのほか強いと思います。
 そんなこともあり、定年と同時に会社を立ち上げて、在宅中心の介護事業をいろいろと始めました。居宅介護支援相談、訪問介護、音楽療法と健康体操を中心にしたデイサービス、短時間の身体リハビリ型のディサービス、生活支援や通院などの介助をする「お助けラビット」、高齢者用のマンションなど、自立して暮らせる方も介護が必要な方もみ~んなサポートしていける体制を整えています。
 この地、室蘭は、港を中心に発展してきましたが製鉄の大手企業の新日鉄の合理化の中で、人口が減って56万が8万に、後10年もしたら、5万人ぐらいになりますね。しかも、家族がバラバラになって、単身化していき、世帯数ばかりが増えて、老いと共に人の交流も希薄になっています。車がなければ動けませんし、生きる自信さえ失えかねない方が多いと思いますよ。
 これが現実なんですね。
 今の高齢者は、「独立心が強いにもかかわらず心身が衰えていく不安と寂しさがある」、そんなふうに思います。自分も高齢世代ですから、被介護者という立場で考えるのですが、介護という枠でとらえられるのはとても嫌ですね。日本人のこれからの理想の老後のあるべき姿を思い描いて、高齢者を支える環境づくりがどうしても必要だと思いますよ。
 同じ年代で暮すって、生活の流れも似ているので、若い人と暮らすより自分のリズムで暮せますから、むしろ同世代でいることの方が楽で、元気になる人も多い。そんな中で、できるだけ自由に生きていく、それがもう一番だと思っています。
 そのために、なんとかこの地域に楽しい人生の環境をいろいろと整えて、新しいライフスタイルをみなさんに実現していってもらいたいと思っているんです。

母の遺言はあなたは介護に向かない、だったのです

 実は、私はずっと役所一辺倒で生きてきた男なんですね。行政マンじゃなきゃできないことがあって、仕事が面白いわけですよ。それで両親の介護もなにも妻に任せっきりだったんです。私の実家は、戦後、駅近くにあった百年以上も前の大きな家を改築して、雑貨屋をやっていたんですね。妻は元幼稚園の先生で、札幌から嫁に来て、最初はなかなか大変だったのですが、よく両親の面倒をみてくれたんです。それで、私の両親は二人ともとても感謝して、「家は孝子さん(妻)にあげる」と言っていたんですよ。
 おやじが亡くなった、半年後に追うように母が亡くなったんですが、母が亡くなる一週間前に、病院で私と家内が一緒にいる時に、口頭で遺言があったのです。
「孝子さん、一生懸命介護をやってくれてありがとう。家を孝子さんにあげるから、そこで介護の仕事をして、必要な人を助けてあげなさい。ただし、代表は孝子さんがやりなさい。宝じゃないよ」って。
「俺じゃないの?」と言ったら、母が言うんです。「おまえは介護者にはなれない、寛容さに欠けるから。だから社長は駄目、孝子さんならきっと社会のためになってくれるから」と。
 それで、タカラサービスを立ち上げた時、母の遺言通りに社長を妻にしたんです。
 最初は私は専務で、妻につかわれる身でした。その後、ようやく会長になりました。

七十代でケアマネジャーに

 親からは、介護の仕事はできないと言われた私ですが、奮起しましてね、七十四歳で介護支援専門員、ケアマネジャーの資格を取りました。北海道内の合格率は14.6%で、さらに七十代で取得したのは異例のことだったんですが、三度目の挑戦でとりました。大変でしたが、地元新聞で大きく報道されたりしましたよ。
 市の行政としては、最近、観光を考えているのです。私のところもカレーハウスをやったり、レストランの出店をしたりしてまして、そのために畑もやって、野菜をたくさん作ったりしているんです。それで、高齢者住宅に入居されている皆さんには、自分たちで野菜を作り、土に触れたり、農園をやったりする場を提供しているんです。
 オランダ方式と言って、認知症の方がこういう仕事をしたりするのが効果があると言われているので、うちの入居者の方にもやってもらおうとしたら、びっくりでしたよ。徘徊していたような人たちの顔色が変わって、いろんな話をするのです。動きもきびきびして、みなで野菜を作り始めるんですよ。
 時間もあるしね、小さな庭でもミニトマトを作ったり、とうきびを植えたり。そういうことが人の暮らしにはいいんですね。
 デイサービスでは、妻の提唱で音楽療法もやっています。
 ピアノ、打楽器、リズム楽器、歌声、ビーチボール、トーンチャイムなどを使い、集団というかみんなで一緒に音楽をやる活動は、それぞれの自己実現力を高めますし、心身の自立とか、社会的な適応力も養ってくれます。この効果には著しいものがあります。
 まさに「心のリハビリ」ですね。
 介護の必要な方の行動や表情などから、相手の求めていることを察知して、手を貸す、それがお互いの信頼関係に発展して、スムーズで一体的な介護につながると、妻は、言います。大事にすべきは「心」ですね。
 私としては、自立している方もしてない方も、みんなおいでよ、自分らしく生きていこうよ、農園で土を耕したりして、みんなで高齢者として生きる道を作っていこうよ、と呼びかけている思いでいますね。
 ともかく、身体の機能を失ったりしたら、それはケアするよ、訪問介護もくるし、入浴もヘルパーさんが来てくれますよ。そんなふうに伝えて安心してもらい、同世代が一緒にいきいき暮らせる場所を作りだしていきたいと思っていますね。
「困った人たちの介護をしやすくしなさい、心を大事にしなさい、」
 なにしろ、それがおふくろの遺言ですから。

音楽レクを取り入れた
内池孝子さん。
デイホームでみんなで楽しく。

【久田恵の視点】
 七十、八十代になっても働いて元気な方が少なくない時代です。今や、元気な高齢者が、元気を失った高齢者を支える、そんな時代でもありますね。同世代は、一緒に頑張ろうと、介護者と被介護者の壁を越えて支え合える、そんな利点があるのですね。