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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第120回 ご利用者さまの「困った」を断らないことが理念 
自治体にも働きかける実行力が求められる仕事です

入江祐介さん(43歳)
社会福祉法人パール 福祉総合プラザ
常務理事/施設長
主任介護支援専門員/社会福祉士/介護福祉士/福祉用具専門相談員


渋谷区地域福祉サービス事業者協議会
事務局長
(東京・渋谷区)

取材・文:毛利マスミ

資格取得をモチベーションに、唯一無二の存在になることを目指す

 超元気高齢者から最重度の方まで、すべてのライフステージを網羅できる福祉総合プラザで施設長をしています。特養、デイサービス、訪問介護、訪問看護、居宅介護支援、福祉用具、そして地域包括支援センターなど、介護保険対応の事業のほか、配食や移送サービス、介護予防など介護にまつわることはすべて複合的・一体に提供する地域ケアの拠点となることを目指しています。

 少々やんちゃな青春時代を過ごしていた私が、福祉の仕事を目指すきっかけとなったのは、偶然聴いたラジオでした。ふつうの「よい子」のレールを歩んでいない子たちこそ、より深く思考している。悩みながら成長するのは大切なことだ、というような話でした。
 高卒で働くつもりだった私ですが、このラジオをきっかけに社会福祉士の資格をとって相談員になりたい、と思うようになったのです。
 私が大卒で入社した時期は特養の認可も下りて、社会福祉法人として多角的に福祉サービスを展開するようになった頃でした。デイサービスや訪問介護、ショートステイなど新しい仕事がどんどんスタートするなかで、仕事に使われるのではなく、君がいないと損失だと言われるような存在になりたい、という意識で働きました。
 それで資格取得の目標を立て、入社してすぐにホームヘルパー3級を取得したのを皮切りに、ホームヘルパー2級、介護福祉士、社会福祉士、介護支援専門員、主任介護支援専門員と自らハードルを次々に課し、クリアしていきました。
 仕事も配食サービスから始まり、介護職員、居宅介護支援事業所の管理者、地域包括センターのセンター長、特養の生活相談員など、ほぼ全ての部署を経験してきました。

お看取りもご葬儀も。最後までご支援するのが使命

 当法人の特養のご利用者の平均介護度は4.5と重度な方が多く、入所の時点が広い意味でのお看取りの時期ととらえています。平成17年からは施設でのお看取りも始めましたが、当時はまだ、最期は病院でという意識が高く「施設で亡くなる人を出すな」という風潮でした。それが徐々に病院は治療の場で最期の場ではない、という風潮に変わってきました。 これまで、延べ103名のお看取りをしてきましたが、最初は職員も戸惑うこともありました。当法人常勤医の丁寧なご指導のおかげで、今では最期までご支援することが自然の流れになっています。
 ご家族にも入所の際に、急変に対する心構えや施設でのお看取りについてご説明すると同時に、延命についてのお考えもうかがっております。気管切開や胃ろうは、一度処置をしてしまうと止めることは難しいので。

 また、1階のホールではご利用者さまのご葬儀もしています。亡くなったらそれで終わりではなく、お葬式もして見送りたいという理事長の思いと、ご利用者さまからのご希望が合致して、10年くらい前から始めました。ご葬儀まで行う施設は少ないのではないでしょうか。施設でのお別れ会は、アットホームでいいですよ。無宗教の方はお寺さんも呼ばずに、職員や現場のワーカーが、ご利用者さまの日々の様子をご家族と話したりします。
 施設で共に過ごしたお仲間も参列し、最後は棺をお花でいっぱいにします。病院とは違い、堂々と正面玄関からお見送りをします。
 亡くなったのが誰なのかわからない、自分がどこにいるのかもよくわからないような重度の認知症の方も、涙を流すんです。人間のすごさをあらためて感じる瞬間です。

自分がしたことは、必ず自分の糧となって戻ってくる

 私は新卒入社の翌日、配食サービスの仕事で自転車に乗り原宿・竹下通りに行きました。竹下通りに家がある方がいらしたのです。人ごみをかきわけて進むとき、大学を出た自分がなんでこんなことしているんだろうと、早くも辞めたい気持ちでいっぱいになりました。でも、この配食サービスの経験で、渋谷区全域の地域性がわかったのです。当施設のある代官山あたりは芸能人も暮らすお屋敷町ですが、区内には銭湯が何軒も建つような地域もありました。当時は、特に何も感じていませんでしたが後に、地域包括センターの部署に就いたときに、あの町に銭湯がたくさんあった意味がつながりました。つまり、内風呂がない家に住む人が多い地域だということ。同じ区内でも、ニーズは同じではないのです。

 今までの経験を活かし、たとえばデイサービスが希望なのに特養に配属されたのが嫌など、希望が通らないことに不満を募らす職員もいるかもしれませんが、どこにいても学ぶことは必ずある、ということを伝えたいですね。渦中にいる時は意味を見出せなくても、私自身がそうだったように、何十年かしてつながることもあります。必ず自分に戻ってくると信じています。
 介護の仕事はボランタリーな精神で入ってくる人も多い世界です。でも、私たちにとって介護は仕事。国家資格を持っている人もたくさんいて、高い技術力を誇るべきだし、そういう場がもっとあっていい。ヘルパー=お手伝いさんではありません。誰にでもできる仕事ではないこと、専門性をもっとアピールする必要性を強く感じています。

ミクロからマクロまで。広い視野と実行力を持って

 特養の待機が社会問題にもなっていますが、申込者=実待機者ではないことをご存じでしょうか。実際に区内で調査したら、「今すぐに入所したい」と回答したのは、全体の20%程度。特養の入所は2~3年待ちだから、今のうちに申し込んでおこう、という人が大半。そうした真のニーズを把握して、見通しをつけて政策を立てていかなければ財源も破たんしてしまいます。
 2040年をピークに、高齢者人口は減少に転じます。今後は、団塊の世代以後も視野に見据えた政策を立てなければいけません。

 当施設では、日中、行くところがない元気なお年寄りのニーズに応えてサロンを開いています。また、夕方にはいわゆる「子ども食堂」も始めました。地域性から貧困対策というより、共働き家庭の支援といった意味合いとなっています。いずれも赤字の事業ですが、うちの理事長の理念は、「地域のご利用者の“困った”を断らない」ということ。高齢者でも子どもでも、当たり前の生活の権利を支援することが、我々の仕事のコンプライアンスです。ですから自分の法人でできることがあればやる。そしてそれが地域全体の問題点なら、区に提言して制度を作っていきましょう、と。
 個々の事例から見えてくる地域全体の問題点、弱いところ、強いところはどこかを見極める目を持ち、実行することがこれからの介護に求められることと考えています。私は常に、熱い心と冷静な判断力、そして確実に実行できる行動力――この3つを心に留めていますよ。

渋谷区地域福祉サービス事業者協議会会長も務める理事長の新谷弘子さん(左)と。自分の施設のみならず、業界全体のボトムアップに尽力する現役の85歳だ。

【久田恵の視点】
 地域住民のすべてのライフステージを対象とした福祉の拠点。これからはこういった福祉拠点が地域を支えていく時代になるのかもしれません。仕事の大変さを乗り越えるために、資格取得と言うハードルを設けてモチベーションにしたという体験には、なかなか示唆深いものがありますね。